7日、澎湃新聞は、日本の古代建築が中国のようにすべて左右対称に作られなかった理由について考察する記事を掲載した。写真は法隆寺。

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2017年9月7日、澎湃新聞は、日本の古代建築が中国のようにすべて左右対称に作られなかった理由について考察する記事を掲載した。

記事は、今年南京大学出版社から出版された書籍「図説日本建築史」の文章を引用。欧州や中国の宮殿、教会、寺院などの建築はいずれも左右対称で、規則正しい配置になっているのに対し、日本の古代建築では左右非対称のものが多数を占めているとした。

説明によると、四天王寺や飛鳥寺など、6世紀後半に仏教が大陸から伝わった当初に建設された寺院の伽藍配置は左右対称であるという。しかし、7世紀末に建立した法隆寺西院伽藍は右手に金堂、左手に五重塔がある非対称の配置。日本ではすでにこの時期から左右非対称の傾向が出現したとのことである。平安時代には左右対称と非対称の傾向が繰り返され、鎌倉時代に入ると大陸から禅宗建築が伝わった影響により鎌倉・建長寺のように左右対称の伽藍配置が再出現するが、やがて再び非対称の形式へと回帰したようだ。

また、寺院のみならず、大陸の都を模したとされる平安京や平城京の区画配置にも左右非対称が見られたという。平城京も平安京も東側が栄えており、この点において左右対称に作られた大陸の都の形式を打ち破ったとのことである。

記事はその理由について「自然の地形と関係しており、山の多い日本では中国のように左右対称の配置が難しいとの解釈がなされる。確かにそれもあるが、根本的な問題は、大陸が統治上左右対称の都市区画と伽藍配置を必要としたのに対し、日本の為政者や宗教勢力はその必要性に縛られなかったという点だ。中国は原則に基づくオリジナルの文化だが、日本にとっては外部から取り入れた文化であり、原則に対する意識はなかった。これが大きな差になった」と解説している。(翻訳・編集/川尻)