銀行の常識は社会の非常識か? その2 “ATMお荷物”報道に接して

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 前回、ATMの始まりや支払いに関する銀行とコンビニの違いについて触れた。すると7日付の日本経済新聞に「銀行ATM、今やお荷物? 台数15年で1割減」という見出しで近年の銀行とコンビニのATMの動向について興味深い記事が掲載された。

【前回は】銀行の常識は社会の非常識か?

 過去に、窓口の繁忙対策としてATMの利用を促進させ、銀行店舗以外の場所にも競争のように積極的にATMを設置してきた銀行が、いまやそれを負担に感じて閉鎖を進めているのだという。店舗以外のATM設置には、当時の営業戦略や地域に見込まれる成長性の先取り、競合行との競争、有力取引先からの要請、顧客に対する利便性のアピール等様々な理由があった筈だ。もちろん歳月の経過とともに色々な変化がありそれに対応することは止むを得ない。ATMに設置戦略があったのだとしたら、撤退戦略があってもおかしくない。

 しかし、その撤退戦略の動機を形成する大きな要因がコンビニATMの増加と聞くと首を傾げてしまう。ATMには経費が掛かるからというのが理由らしいが、そもそも人件費を軽減するために、政策的にATMへの依存度を高めたのではないか。それが、ATMの経費すら惜しくなるような銀行の収支状況とは何なのだろう。コンビニATMにも経費は掛かっているだろうに。ここにもコンビニにできて、銀行にできないことが出てきた。日本では昔からこうした状況を”人のふんどしで相撲を取る”と言った。

 100歩ゆずって店舗以外のATMの代わりに、コンビニATMを当てにすることに目をつぶったとしても、銀行店舗内のATMもコンビニATMに置き換えるところが増えていると聞くともはや違和感の消しようもない。大手銀行で銀行店舗内の自前のATMをゼロにして全てコンビニATMへ置き換えたところや、島根地方の地方銀行では新築したばかりの本店にコンビニATM(訪日外国人が使う外国銀行カードへの対応だそうだ)を置いたところまで現れたという。HPに掲載されている新築間もない本店はまさに銀行としてのイメージ通りの、金が掛っていそうな外観である。“お金の掛け方が違っていませんか”と言いたくなるような威容だ。

 何処に行ってもコンビニATMしかなくなれば、預金利息と同じように銀行同士を比較する必要もなくなる。そんな世の中になってしまうのか?