■久しぶりに出た、「名(珍?)邦題」の件は、この際スルーするとして

 本作の原題は「プサネン(プサン/ヘン)」つまり「釜山行き」である。非常にシンプルであると言えよう。シンプルで素晴らしい。

 もし日本映画で

「のぞみ32号博多行き」

 あるいは単に

「博多行き」

 だけでもいいが、「このタイトルの、斬新なゾンビ映画」が出来たら、正直どうすか? オーラ感じる? 期待値上がる? それとも地味なタイトルで見る気がしない?

 オーラ、ビンビンに感じるよねえ? どう考えても。これにムラムラ来ない人、一種の不感症でしょう。

 と、本作、まずは名(珍?)邦題よりも、原題のメッセージ性、斬新さの方が遥かに上回っているのである。既に一本取っているにも関わらず、余裕の珍邦題を許しているのは、かなりの自信の現れと見るのが、本作に対する的確な判断である。

 半島国家である大韓民国は、列島国家である日本全体の約半分の尺だ(因みに人口も同じく約半分。にも関わらずソウルが賑わって見えるのは、人口集中率が極端に高いからだ)。

 首都から最南の大都市(因に沖縄にあたるのは「チェジュ島」である)までが2時間、つまり、「東京ー博多間が2時間である」という事実が、隅から隅まで実に丁寧に工夫が凝らされた本作の基底部を担い、作品を律している。要するに「基本アイデアだけで成功が決まっている系」の作品と言えるだろう(「基本アイデア抜群、出来はイマイチ系」な映画も多々あるが)。

■なんでやらないんだろう? 日本人のゾンビ好きの人たち

 なんで『Zアイランド』とか『アイアムアヒーロー』とか、ああいうことになるのだろうか? 両作とも観たが(ゾンビものに興味があるわけでないので、前者は「芸人監督」という日本に独特の文化の視察として、後者は、当連載のレビューのために、言わば仕事として観た。以下、最重要なことをカッコ内に書くのは我ながら如何なものか? と思うのだが、筆者はクラシックスである、いわゆる「ロメロ版」以外は、マイケル・ジャクソンの「スリラー」のPVが関の山で、映画は偶然テレビでやってたやつぐらいしか観たことがない。つまりゾンビ物完全ビギナーである)、水準の高低を度外視すれば、どちらも特に詰まらなくもない。適度に面白い作品だ(好みによると思うが『アイアムアヒーロー』の方が、ちゃんとしているというか、えー、、、、、、まあとにかく忘れてしまうに限るよ。「芸人監督作」は。北野松本を除けば。太田光のストイシズムは素晴らしいでしょう)。

 しかし、エンタメ映画、それも強烈さを旨とするゾンビものが「特につまらなくもない、適度に面白い作品」で良いのだろうか? フランスの恋愛映画でもあるまいし。

「いやあ、実際のJRであんな撮影無理っすよお。お手柔らかにお願いしますよお」

 という嘆きに「いや。昔日は『新幹線大爆破』(75年東映。言わずと知れた『スピード』の元ネタであり、驚くべきことに「特急内パンデミックもの」の元祖であると言われる『カサンドラ・クロス』よりも1年早い)だの『皇帝のいない八月』(78年松竹。ブルートレイン「さくら」内を舞台にした、クーデターもののポリティカルフィクション)だの、あったよ列車内パニック映画」。などと知ったかぶりで野暮な返しはしない。

 しかし、ゾンビものって、何らかの密室性に閉じ込め縛りでしょ? 愛する人がゾンビになっちゃうマストなんでしょ? 後なんかあるの? だったら何だって出来るじゃん。「1幕もの、出演者6人だけの演劇の舞台が汚染される」というのは? あるいは「内戦地域での野戦病院(瀕死の患者が次々に元気になっちゃう)」、あるいは「夏フェスの会場」、時代劇とくっつけて街道がゾンビだらけ、遊郭か宿場か禅寺に立て篭もる。

 「日曜の秋葉原」もいけるでしょう。肉のハナマサが生肉だらけ。ハロウィンみたいな画になっちゃいそうだけれども。そして何より採算と倫理度外視でよければ、一番見たいのはやっぱオリンピック会場か国会でしょう。<次の東京オリンピックの競泳会場を発端としたゾンビ映画作ります>という気骨のある監督いないかね? いないよね。

■とまあ、使えないアイデアの羅列で文字数を稼ぐのはもうやめるにしても

 「ジョーズもの」と並び「結構な曲球なのに、意外とジャンルものになっちゃった」このジャンルに、どれほどの強い啓示性やフェティシズムの重層性があるかという分析は専門家の手に回すとして、本作はもう、『ラ・ラ・ランド』等と同じマスヒステリーで、「誰もが<すげえ面白い>としか言わない映画」になっているので(劇場パンフのメインテキストでありながら、かなりの客観性と、個人的な物足りなさを堂々と表明した高橋ヨシキ氏が寄せている解説は、そういう意味でとても素晴らしいーー何でもマスの意見に反骨すれば良いと言っている訳ではないがーー)、そして、筆者自身も「ゾンビもののビギナーとして、下手な当て推量は出来ないとはいえ、「これ、どう考えてもかなり面白いし斬新なのではないか?」と思ってしまったので、あとは「どう面白いか」を書くしかない。しかもそのほとんどは、もう既にネットに書かれているだろう。推測では、それらは総て正しいだろう。こんな目的が明確で出来の良い作品を褒めるのに、勘違いの指摘をする方が難しいのではないか。

 なので、鑑賞の手引きとしては、第一にはそれらをお読み頂くのが最も手っ取り早いし、もっと言うと、何も読まずにクチコミの評判だけで観に行くのが一番良いに決まっている(インターネット以前は、このエレガンスな愉しみが地上に残されていた)。

 以下、「原題の方がセンス良い」以外に、筆者独自の本作鑑賞のツボを提示する様に努力する。

(1)意外とオールスター映画ではない

 韓国映画ビギナーが一番「解らないこと」、それは、作品の面白さでも、ストーリーに畳み込まれているローカル・カルチャーでもない。まずは「俳優がどんだけの、どんな人か?」であろう。

 本作の主人公はコン・ユを中心に(子役も入れれば)5名とするのが適切だろう。血も涙もないコンサル業の、実際に血も涙もないエゴイストで、このパニックを経て、そもそもの人格であった、誠実で良い人。に戻って行くコン・ユは、所謂二枚目俳優で、韓国TVドラマの中で、タコツボを若干飛び出した、00年代初期の名作『コーヒープリンス1号店』でブレイクスルー&受賞しまくり、その後も社会派を中心に、どっちかといえばシリアス系の作品に出ていた人だが、銀幕の大スターとはちょっと言い難い、現在での彼のコンディションとキャパシティを知るには、TVドラマの『トッケビ』を観るのが良い(これは素晴らしい)。

 昭和のプロレスファンには「頭がしっかりしているマサ斉藤」というのが一番しっくりくるであろう、マ・ドンソクが、「外見は醜いが、心は美しい」、いわゆる<野獣>役でコン・ユと堂々たる二枚看板を張る。

 映画にも大分出ているが、彼のコンディションとキャパシティを知るには、やはりTVドラマが良い。『38詐欺動隊』は、大スター、ソ・イングクとのダブル主演だが、国家的な脱税者を、税務署や警察ではなく詐欺師と組んで倒すという設定の、クライムサスペンスの大傑作だが、DVD邦題が『元カレは天才詐欺師♡』という、いわゆる韓流マナーになっているので、気をつけてレンタルして頂きたい。

 ヒロインはどうか? チョン・ユミ演じるソギョンはマ・ドンソクの妻であるが、身重である事で、「絶対助かるな」と思わせ(以下自粛)だが、まあ、エンタメ大作のヒロインとしては地味ですよね。彼女を良く知っていて、大好きな日本人は、1人残らずホン・サンスのファンである(4作組んでるから)。筆者はホン・サンスのコンプリーターなので、「あのチョン・ユミが、ハイバジェットのゾンビものなんかに出て大丈夫か?」と、要らぬ心配までしたのだが、結果としては堂々たるエンタメ名演技である。

 子役は省き、エンタメ脚本の骨法である「同情の余地無しの最悪役」には、やはりホン・サンスマニアにはホン・サンス組だと認識されてしまうだろうキム・ウィソンがあたっている。この人は、ホン・サンスの監督デビュー作(『豚が井戸に落ちた日』96年)に参加してから10年休んだ、インテリというか気難しいというか、とにかく変わり者だが、復帰後もホン・サンスの『次の朝は他人』『へウォンの恋愛日記』『自由ヶ丘にて』(加瀬亮が出て、プチ話題になった奴ね)と、ホン・サンスの傑作に立て続けに出演し、単なる名バイプレーヤーを超えた、主人公と並ぶ奥行きと強度を持つ登場人物として、10年休んだ分の演技力を炸裂させている。ホン・サンス作品にばかり出ていると、こうした特殊メイクとかもある大エンタメに出た時にハッチャケてしまいがちなのかどうか(笑)、本作での、図式的すぎるほどの悪役も怖いわ憎いは大変素晴らしいのだが、何せ一番怖いのは、これまたドラマで申し訳ないとはいえ、大スター、イ・ジョンソク主演の『W』での、<子供が傷を負うから止めてくれよ>というほどの気持ち悪い特殊メイクと1人2役の恐ろしい演技であり、ホン・サンス組の「エンタメ欲求不満」を大爆させており、大変に気持ちが良い。

 つまり本作は、綺羅星の如きオールスター映画ではない(10年代初期に俄でK-POP女子チームのマニアになった皆さんに於かれましては元ワンダーガールズのアン・ソニとか出てますけどね。因にここで突然業務連絡だが、現在、「少女時代」のメンバー達の多くは、「じっみー、なテレビドラマで、じっみーな脇役をやる要員」として定着しております。じーんとしろ!笑)。実に渋いのである。ここはかなり重要だ。日本映画の<エンタメ大作>で、キャストがやや地味。というのは状況的にはありえない。各セクションに独立した興収の自信が無く、勢い、<大スターのブッキング>にほとんどのカロリーを消費せざるをえないからだ。

(2)ちゃんと「帰郷」映画になっている

 更に言えば本作主要キャストには、ソウル生まれとプサン生まれしかいない。前述のコン・ユとチョン・ユミはプサン生まれである。この、微妙なリアリティも、微妙ながら重い。

 いくら仲間由紀恵や二階堂ふみが名女優で、ガレッジセールのゴリが俳優転向に見事に成功したとしても、札幌行きの飛行機の中でのサスペンス映画で、帰郷性を内包してたらちょっと落ち着かないでしょうが。やはり「札幌行き」ならば、生田斗真が主演で加藤浩次、吉田美和が見事に映画デビューなんかして欲しい所だ。

(3)列車の車内アクションの偽闘スキルは、現在、圧倒的に韓国だと知っていましたかな?

 これまたTVドラマで申し訳ないのだが『スリーデイズ〜愛と正義〜』(参考:菊地成孔の『シグナル』評)に於ける、本作と同じ特急列車内での、SPと警察の、激烈かつリアルで、高いオリジナリティを誇るアクション(因に主演は、5人組体制だった頃の東方神起の、<辞めてJYJを結成した1人>であるユチョン)はアクション映画史に名を残す筈だ。

 所謂「特急」が極めてマイナーもしくは皆無であるかも知れないアメリカがこのスキリング体系を持たなくとも文句は無いが、何故フランスが、何故日本が、何故中国がこれの開発を怠ったか、関係者に猛省を促したいと同時に、そもそも一対一の武道がテコンドーメインである韓国が、その補償としてか、「列車内アクション」「街路、特に赤信号で車が往来するときアクション」という、狭い国土への人口密集(東南アジアのゲトーのような感じではなく、かなりのソウルオリジナル)、そして儒教的な、前近代的な倫理/宗教、その基盤である血族のつながりのうんざりするような強さ、等々のファクターが醸し出す、独特の<息苦しさ>が、スタント・フォームの発達にまで及んでいる。

 更にはカースタント王国アメリカにもない、エゲツないほどのスタントスキル(車が駒のように回転するお家芸等々)がコリアンホット的に発達したのは、正に韓国文化と呼ぶに相応しい(というか、はやくやっちゃえよ新幹線の中での、TGVの中での、息をもつかせぬアクションシーン。出来たらもうそれで確実に得点1じゃんよ)。

(4)上品である事

 こうしたしっかりした基盤の上に、脚本は、ロメロ版を始めとしクラシックス〜オールドスクーラーへのリスペクトから、スマホの活用やゾンビの性質設定、脱出や殺傷方法、鉄道の活用にまで至る斬新さを、韓国映画特有の「ギリでやりすぎでしょこれ」という、盛り感覚満載で、しかも非常に上品に仕上げてある。この点は最重要と言って良い。

 ゾンビはルックス自体がエグいし、大虐殺が必須だし、恋人や家族が感染するという、悲しさと恐ろしさによって、ついつい自家中毒的にグログロのゲロゲロ(と、ユーモアと泣き)に走りがちだが、本作のアティテュードは「どこまでもスペクタクルを拡大しつつも、上品さを保つ事」「新旧のアイデアを、VSFの駆使によって、クールにファインデザインすること」だ。何せ、韓国の国是とも言うべき、大好物の「泣かせ」のシーンさえ、かなりあっさりしているのである。

 微弱ながらディスになるやもしれぬので、個人名は伏せるが、パンフレットに、これ観て号泣3回したというお笑い芸人がいたが、誰が何を観て何回泣こうが自由とはいえ、いくらなんでもそれゾンビ映画好きすぎないか? これ、トーンとして泣きにストイックである事を心がけてるでしょ。そんなこったからZISLA(以下自粛)

 また、登場人物の総数に比しての、生き残る人数、このリアリティもクールでスマートである。あんな過酷な環境で、「生き残って欲しい人の全員が生き残る」なんてことになったら、いかなエンタメとはいえ、ご都合主義に辟易するだろう。「普通は全員アウトよ。普通だったらね。普通なんてないとはいえ、エンタメにもリアルさがないとね」という視点から、ある意味無慈悲なまでにクールに、書かれている脚本が素晴らしい。

 こうした動きは、『キック・アス』や『キングスマン』といった「可愛い、あるいは上品な顔つきで、始まったら、かなりエグイことしますよ」という、ここ数年のトレンドのラッシュバックとして、例えば『ワンダーウーマン』(主人公はでかいソードで敵をなぎ倒すが、水戸黄門の様に、血は一切出ない。監督は女性で、オタクが期待していたパンチラ系エロは全くない)のそれと共鳴関係にある様に思える。市民はゲログロに胃もたれしたのだ(おそらく『ヘイトフル・エイト』を食った人から順に)。

■後はもう、SNSが指摘している筈だ

 本作は「止まらない汽車が一直線に進む」「社内も外界はパンデミックという二重の絶望(何せ、大韓民国全体がヤラれているのだ)」という斬新さを下地に、豊潤なフェティッシュと掲示性を持つ「ゾンビもの」をしつらえた、痛快な傑作である。

そして、最大の「斬新な絶望」は

 「生き残りの約束の土地」そのもののあり方であろう。

 ゾンビ物の多くは「生き残った主人公が(もう、かなり少ないが、残されている、希望の地としての)安全地帯に、途方に暮れつつも安心し、疲れ果てつつも希望を持って」向かう。そしてその多くは「どこかはわからないが、どうやらあの辺りに希望がある」と言ったことになりがちである。エンディングで与える情緒が似通ってしまう。

 しかしここではそれが、<うんざりするほど明確に>終点のプサンなのである。これは新しい。「最初から約束の地に向かっていた」「そして、当たり前にそこに着いた」にも関わらず「それをどう感じて良いかわからない」という突き放し方は、ジャンルムーヴィーとして情感がお約束=膠着していたゾンビものに、ロメロ版のラストに横溢する「途方にくれる(という一種の恍惚感)」という初期衝動を取り戻してくれる。

 映画の開始からものの数分でパンデミックは始まり、特急の名に恥じなく、映画はノンストップのリアルタイムで進む。韓国の料理、特に鍋物は真っ赤なゲログロで、そのまま頭から浴びれば、手軽にゾンビに成れるほどだ。焼肉屋は鋏ででっかい生肉を平然と切り裂く。ゲログロ生肉マニアの御仁は、パク・チャヌクを、ポン・ジュノを生んだ国のゾンビと聞いて、垂涎を禁じ得なかったであろう。

 しかし、現在の韓国が求めている物はコレなのである。スマートで知的で誠実である事。情念的な粘着から無縁である事。それは、例えば日本をロールモデルとした近代化という堕落ではない。「ゾンビだって、こうやってまだまだ新しく作れるんですよね」という、極端に言えば、エンタメを発達させることが、自国の文化風土に対する、ガチンコのカウンターカルチャーでもあるという、知性と気骨の側面が、この作品の最大の強みである。

 何せ、監督はアニメの世界ですでに巨匠であるヨン・サンホ、その実写第一作なのだ。エッジでないわけがない。そして案の定、TGVの国フランスのゴーモンがリメイク権を獲得しているのだ。RottenTomatosの査定は驚異の96%FRESH。号泣してる場合じゃないぞ日本。(菊地成孔)