どんなに偉大なストア派哲学者たちでも、現代の子育ての様子を伺い知ることはできなかったでしょう。それでも、彼らが残した知恵は、現代の親たちにも大きな気づきを与えてくれます。

指導者としての役割

親は扶養者であると思いがちですが、生涯にわたる子どものガイド役でもあります。奴隷出身の哲学者であるエピクテトスは、『The Discourses(直訳:講話)』で次のように言ったとされています。

子どもにはお金を残すのではなく、たくさんの指導をするように心がけるべきだ。指導を受けた者の希望は、無知な者の富よりも優れている。

我が子に「セルフケア」「責任感」「価値あるスキル」「生きる力」を教えることを、何よりも最優先にしましょう。もちろん養うことは必要ですが、道を示すことも忘れないでください。

何を褒めるべきか

ストア派では、褒めることはあまり実用的ではなく、それを求めるものへの罠と考えられることが多いようです。ですから、マルクス・アウレリウス・アントニヌスのようなストア派哲学者は、滅多に褒めるものではないと考えていました。アウレリウスは、著書「Meditations(自省録)』で次のように語っています。

美しいものはすべて、そのままで美しい。それだけで完結しており、その一部に称賛はない。褒められたから美しい、責められたから台無しなどということがあるだろうか?

我が子を絶対に褒めてはいけないという意味ではありません。アウレリウスは、褒めるときは十分に注意して慎重にならなければならないと言っているのです。

このような偶有性を正しく使えば、人は良くもなるし、いっそう褒めるに値するようになる。

ストア哲学者たちは、称賛は、挑戦し、失敗し、学んだ者に与えられるべきと考えていました。ですから、我が子が何かに挑戦したら褒め、失敗したら継続を促し、成功しても放り出さないことに注目すべきかもしれません。

「あなたって天才」という褒め方は何の努力もなく達成したかのように聞こえますが、「よくがんばったね」と言えば、子どもが自らその成功を勝ち取ったことを認めていることになります。

怒りや不満の抑制

子どもが厄介を起こして手に負えなくなることがあります。しかし、ローマ帝国の哲学者であり詩人のルキウス・アンナエウス・セネカは、子どもやパートナーに多少の裁量を与えることをすすめています。

それよりもこう考えるべきだ。人のミスに、誰も怒るべきではないと。暗闇の中でつまづきながら歩く人を、怒るべきだろうか。耳が聞こえないために命令に従わない人を、怒るべきだろうか。遊びに熱中してやるべきことを忘れた子どもを、怒るべきだろうか。病気や加齢で疲れはてている人に、怒りたいと思うだろうか。誰も、個人に怒ってはならない。全人類を許さなければならない。人類に免償を与えなければならないのだ。

子どものミスに正気を失って金切り声を上げるのではなく、双方にとって学びの機会にするのです。マルクス・アウレリウスはこう書いています。

他人に優しく、自分に厳しくあれ。

おそらくその失敗は、子どもの失敗ではなくあなたの失敗。それに加えて、昔ながらの「怒ってるんじゃなくて、残念なだけ」という習慣は、一部の子どもにはよく効くようです。

健全な視点を維持する

小さな子どもがあなたを疲れ果てさせたり、10代の子どもが手に負えなくなったりという試練の時にあっても、感謝から1日をはじめましょう。マルクス・アウレリウスはこう言います。

朝目が覚めたら、生きていること(息をして、考え、楽しみ、愛せること)は、何て尊い特権なのだろうと思うことだ。

あなたは生きていて、家族がいて、彼らを愛しているのです。いま直面している問題なんて、そんなにたいしたことではないでしょう。もっと悪いことはいつだってあります。いつだって。

よき価値観を植え付ける

ここに紹介するエピクテトスの言葉は、親だけに向けられたものではありません。でも、ストア派の考えを紹介するウェブサイトThe Immoderate StoicのMatt Van Natta氏は、家族のエクササイズとして最適だと述べています。

その日の行動をすべて思い出すまで、疲れ果てた目を閉じて眠らないこと。どこで間違えたのか。何をしたのか。やり残したことは何か。行動を1つ1つ振り返り、あさましい(または卑劣な)行為はたしなめ、よくできたことは喜びなさい。

このような1日の終わりの振り返りは、家族で食卓を囲んでいる時にもできます。子どもに今日したこと、正しくできなかったこと(そこから学んだこと)、今日やり残したことを聞きましょう。そうすることで、先のことを考え、計画を立てる方法を学べます。また、その日の行動を振り返るだけでなく、自分の行為に責任を持てるようにもなるでしょう。

罰則

子どもが悪さをして罰を与える必要があるとき、ローマ帝国自体の作家であるプルタルコスは著書『De Cohibenda Ira』で、このような方法を提案しています。

私は、罰を受けようとする者の抗弁に耳を傾けることで、できるだけ怒りを取り除く努力をする。時間が経過することで、双方ともに感情を抑え、やがてそれを解消できる。さらに、判決は適切な罰則と適度な量を見いだすことができる。

子どもに罰を与えるとき、決して怒っていてはいけません。彼らの意見に耳を傾け、わかろうとしてください。彼らの意見を理解したら、それ以上の問題が発生しないように知恵を集めます。最適な罰則を選べるよう、十分にクールダウンできる時間を取ってください。

甘やかさない

子どもはかんしゃくを起こすと、自分の意見を押し通そうとすることがあります。そんなとき親は強い立場をとり、決して屈してはいけないとセネカは言います。

子どもはあらゆるお世辞に触れさせてはならない。子どもには真実を聞かせ、時には恐れさせ、いつでも尊重されるようにし、年長者よりも先に起きさせること。怒りによる要求に答えてはならない。泣いていたときに拒んだものは、泣き止んだときに与えること。

さらに、子どもには親の富を見せても使わせてはならない。間違いを犯したなら、自ら反省させるべき。何よりも、食べ物をシンプルにし、衣服を安価にし、仲間と同じような生き方をさせること。子どもは、自分と同じ立場に思える相手、すなわち親が最初から同等の人として扱ってきた相手に怒ることはない。

親が折れればそれは甘やかしであり、その子は将来短気な大人になるとセネカは言います。怒れば主張が通ると学んでしまうのです。そうならぬよう、親は考えを曲げずに、最初に正しいと思ったことを貫きましょう。

Image: Kelham church, Lexington Monument/Flickr

Source: The Immoderate Stoic

Patrick Allan - Lifehacker[原文]