画像提供:マイナビニュース

写真拡大

今回のテーマは「家族写真」だ。

私の父は割と記録魔だ。今でも実家に集まると、必ず最後に集合写真、さらに集合撮影をする。集合撮影とは、集合図をビデオカメラで撮ることだ。もちろん集合図なので、みんな動かない。静画を動画で撮るという斬新な手法である。

そもそもうちにビデオカメラが来た時点で、家には老人と中年という、あまり動かない生き物しか存在しなかったため、うちのビデオカメラはあまり動くものを撮影したことがないと思う。しかも撮るのは、いつも同じ場所、同じメンバー、同じ構図。そのため、アルバムには全く同じような写真が並び、ただ、映っている人間がだんだん老けていくという、楽しくないパラパラ漫画方式になっている。

おそらく父親は記録が好きなのだと思う。父が実家の部屋を占拠している話は前にしたが、その内訳は、新聞、ビデオテープ、カセットテープなどがかなり締めている。記録魔と捨てられない、片付けられないのハイブリッドなのである。

幸い私は、捨てられないの方しか受け継がなかったのだが、ただ溜め込んでいるものがノンジャンルになっただけであり、ゴミも多分に含まれているので、余計性質が悪いかもしれない。だが、記録や記念好きな所は本当に全く受け継がれなかった。結婚し実家を出てから、家族写真を撮った記憶がほぼない。もちろん、家に子どもがおらず、ここでも中年しかいないため、成長の記録ではなく、老化の軌跡しか撮れないので撮っても仕方がない、というのが一番の理由かもしれない。

そして、旅行先の風景や、食事などもほとんど撮らない。そもそも、ここ5年ぐらい旅行には行っていない。もしかしたら、記録に興味がないのではなく、記録すべきものがないのでは、という気がしてきたが、親父殿は別に記録する必要のない人間の老化の歴史を飽くことなく撮り続けているのだから、そういう問題でもないのだろう。

おそらく、私が記録や記念に興味がないのは、片付けられないからである。例えば、スマホやデジカメで撮った旅先の写真をどうするか。普通なら、プリントしてアルバムにしたり、パソコンに保存したりするのだろう。面倒だから、インスタやフェイスブックがアルバム代わり、という人もいるかもしれない。

だが私はそれすら面倒くさい。現にツイッターに写真をあげることはまれだし、それはすごく調子のいい時である。撮ったら撮ったままであり、最終的にスマホごと水没させて消えるか「メモリーがいっぱいです」と言われて消すか、なのだ。つまり、「消すために撮っている」ようなものなので、その内、撮ることさえやめるようになった。

記念品などもそうだ。旅先でよさ気なオブジェを買ったとしても、飾られるのは所詮、自分の部屋である。物があふれているので、その内、何かに追いやられ、オブジェは横倒しになる。常人なら元に戻すだろうが、「戻さない」のだ。よって、素敵な記念品は「倒れたまま戻されないもの」という、汚部屋をより一層引き立てるスパイスになってしまうのである。

つまり、「どうせ管理できないし、ゴミにする」という理由で、記録することに関心がなくなってしまったのだ。記録だけではなく、自分のだらしなさに絶望するといろいろなことをする意欲がなくなる。しかし、これは購買意欲も含まれるので、節約をしたいという人には、この「絶望法」はオススメである。「自分に投資」というドブ金がかなり減ること請け合いだ。

だが、もちろんチャレンジ精神や向上心がなくなるというデメリットもある。逆に考えると、これだけ片付けられず管理できていないのに、記録や記念に絶望しない親父殿の精神力たるや、と言う話である。よく考えると、「中途半端に管理しようとする」から、途中で飽きて投げ出したり、ヤケクソになって全部消してしまったりするのだろう。

親父殿のように、「管理はしない、全部取っておく、そうすればなくならない」という潔い方法でいけばいいのかもしれない。確かにこれだと、記録はなくならない。しかし、人が住むスペースがなくなるのだ。

○筆者プロフィール: カレー沢薫

漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は全3巻発売中。