『ハティの最期の舞台 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』ミンディ・メヒア 早川書房

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 これはもしかしたら21世紀の『失踪当時の服装は』になるんじゃないか。

 読みながらそう呟いた。ミンディ・メヒア『ハティの最期の舞台』(ハヤカワ・ミステリ文庫)である。

『失踪当時の服装は』は、アメリカの作家ヒラリー・ウォーが1952年に発表し、警察小説の歴史を変えることになった画期的な1冊だ。以前、この欄で犯罪実話集『彼女たちはみな若くして死んだ』を紹介したが、同書に触発され、売れないパルプ作家だったウォーは現実の捜査活動に即したサスペンス小説を書いた。良家の子女が通う大学の寮から学生が失踪する。事件を担当する警察署長は、彼女について周囲の者が言うことをいっさい信じない。背景には間違いなく醜い真実があると看破し、信念に基づいて捜査を行うのである。セックスが引き起こす悲劇を描き、しかも読者の情を煽るのではなく、人間の心理がどのようにそうした凶行へと傾いていくかを分析することにウォーは専念した。だからこそ『失踪当時の服装は』は優れた作品として称えられるのである。現在でもまったくその価値は古びていない。

『ハティの最期の舞台』は、ミネソタ州の州都所在地、ミネアポリスにほど近い小共同体パインヴァレーで起きた殺人事件を描く物語だ。2008年4月12日、打ち捨てられた湖畔の納屋で死体が発見される。刺し殺された上に原型がわからないほど顔をめった切りにされたその死体は、湖水に浸かっていために下半身が胴体ほどに膨れ上がっていた。無惨な犠牲者は、行方不明になっていた18歳の少女ヘンリエッタ(ハティ)・スー・ホフマンだと判明する。その週末、彼女は高校の演劇部によるシェイクスピア劇でマクベス夫人を熱演していた。華やかな舞台が終わったわずか数時間後に、無惨な事件が起きたのだ。

 ホフマン一家と親交の深いデル・グッドマン保安官は、激しい怒りを抱きながら捜査を進めていく。ハティにはつきあっていた男がいた。同学年のアメフト選手、トミー・キナキスだ。彼は終演後のハティをピックアップトラックで送ったことは認めつつも、自分が殺したのではないと主張する。事件当夜、彼女からトミーは突然別れを切り出された。そしてハティは、車を降りてどこかに姿を消してしまったのだという。

 検視の結果、ハティが何者かと性交渉を持っていたことが明らかになる。残留した体液のDNA鑑定を急がせると共に、保安官は容疑者の洗い出しを行っている。ハティと交わったのはトミーか、それとも他に未知の人物がいるのか。

 グッドマン保安官の視点から捜査の過程が描かれていく現在の記述と並行して、2つの過去パートが進んでいく。1つは被害者であるハティ自身のものだ。彼女は田舎町パインヴァレーに倦み、高校卒業後はブロードウェイで俳優になることを夢見ていたのだ。高校では運動選手が人気の的で、卒業パーティ(プロム)に誰が誰を誘うのかが最大の関心事。そういったありきたりの人生を忌み嫌っていたのだ。間違いなく彼女には演技の才能があった。地方共同体のマドンナにしておくにはもったいないほどの。しかしそのことは、彼女の悲劇の源泉にもなる。内なる輝きに気づいてしまった者は、決して周囲に溶け込むことができない。共同体の異分子であることを自覚した者の違和を綴るのがハティのパートだ。

 もう1つのパートは悲劇の相手役を務める人物のものだ。家庭にも学校にも居所のないハティは、ネットという異世界に救いを見出していた。匿名掲示板の常連だった彼女は、トマス・ピンチョンがサイン会を開くという情報に興奮している新顔に気を惹かれる。完全な覆面作家であるピンチョンがサイン会を開くはずがない。そのことを指摘してやったことがきっかけで、急速に2人は接近していった。年上らしいがネットの振る舞いにはちょっと不慣れらしい新顔のハンドルは「リット・ギーク(文学オタク)」、そしてハティのそれは「ホリーG」である。トルーマン・カポーティ『ティファニーで朝食を』の主人公、いつかチャンスを掴んで上流階級の仲間入りを果たすことを望む女性ルラメイが名乗るホリー・ゴライトリーのもじりだ。

 リット・ギークとホリーGが文学談義を通じて親交を深めていくくだりは微笑ましいが、痛ましくもある。現実世界に居場所がなく、小説の中に救いを求める気持ちがそこに現れているからだ。ここを読んで、一気に心を持って行かれてしまった。

 ハティが最後にセックスをした相手は誰か。その謎が犯人捜しの興趣と結びついた小説である。容疑者候補は決して多くなく、かなり早い段階で数人に絞られる。にもかかわらず、結末に至るまで間然とすることがなく緊張が持続するのだ。1つの謎で読者の興味を統御していく書きぶりが素晴らしい。

 はじめにヒラリー・ウォーの名前を挙げた。しかし以上のように内容を紹介したからには、もう1人の名前を出さないわけにはいかないだろう。不可避の悲劇的な結末に向けて読者を牽引していく魔術にも似た筆致の作家、単純な構成でもその手にかかると物語は驚きに満ちたものになる。
 サスペンスの大家、トマス・H・クックである。

(杉江松恋)