サンフランシスコ平和条約(1951年調印)にも、日本の集団的自衛権を承認する文言が。(写真=時事通信フォト)

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日本の憲法学者の多くは、「集団的自衛権の行使は日本国憲法に違反する」と主張する。だが、そうした解釈は、国際法の世界では多数派ではない。むしろ歴史を振り返れば、欧州などは「集団的自衛」によって戦争を抑止してきた。こうした現実から、憲法学者たちは目を背けている。国際政治学者の篠田英朗氏が、彼らの欺瞞を暴く。

■「中間的安全保障」としての集団的自衛権

日本人は国際法になじむ機会が少なく、「集団的自衛権」についてもひどく誤解している。集団的自衛権が正当な国際法規範の一部であり、制度的な国際安全保障体制の一部となっていることを理解するためには、安全保障理事会を軸とした国連の仕組みに依拠する普遍性の高い集団安全保障と、個々の国家が単独で行う個別的自衛権の間に、国際法が「中間的な安全保障」の制度を認めている、ということを知る必要がある。

集団的自衛権は、「地域的/部分的な集団安全保障」と言い換えられる制度的な意味を持っている。世界は広い。あらゆる場所で、常に同じ対応ができる仕組みをつくることは、現実的には著しく困難だ。そこで代替的措置として、地域の事情に応じた安全保障体制を作っておくことを、国際法は認めている。その根拠が51条の集団的自衛権である。

■ヨーロッパにおける集団的自衛権の「実績」

憲法学者にとっては邪悪な「異物」かもしれないが、この51条の集団的自衛権を根拠にして創設されたのが、北大西洋条約機構(NATO)とワルシャワ条約機構(WTO)だ。これらはまさに「地域的/部分的な集団安全保障」の制度である。国連安全保障理事会を軸とした集団安全保障が、冷戦の激化でうまく機能しなかったため、代替措置として導入されたのがNATOやWTOである。これらは国連憲章をねじ曲げて作られたのではない。その程度のことは、憲章が最初から想定し、51条で明記していたことだ。

歴史的に言って、これらの制度は成果をあげた。ヨーロッパにおいて、NATOおよびWTOのそれぞれの機構内では同盟国同士の戦争は発生せず、両陣営の諸国の間の戦争もまた発生することはなかった。冷戦期を通じて、戦争は両陣営に制度的に属さない地域においてのみ発生した。結果から見れば、51条が期待したとおり、集団的自衛権は、地域的な集団安全保障としての代替的な秩序維持機能を発揮したのである。

日本の憲法を起草したアメリカ人たちは、このような出来事を「青天の霹靂(へきれき)」として見守っただろうか。むろん、そんなことはない。むしろ国連憲章とは、アメリカ人たちが慣れ親しんでいた国際秩序を世界的規模で導入したものだ。

アメリカは西半球世界において、19世紀の「モンロー・ドクトリン」から1910年の「汎米連合(Pan American Union)」、20世紀後半の米州機構(Organization of American States: OAS)につながる、ヨーロッパ列強の植民地主義とは異なる自由主義の理路に基づいた諸国間の秩序の体系を築いてきた。その体系が、第一次大戦後の国際連盟規約、戦間期の不戦条約などを通じて、ヨーロッパ、さらには「世界のドクトリン」として、普遍的なシステムへと拡張されていった。アメリカ人が中心になって起草された国連憲章もまた、その結実であると見るべきであろう。

アメリカが主導する国際秩序観は「嫌いだ」といった話をするのであれば、それは個人の好みであり、勝手である。だが憲法解釈を巻き込んで、あたかも日本国憲法典が国際秩序を「嫌いだ」と言っているかのように偽装することは、社会的な害悪である。

■地域的集団安全保障としての日米安保条約

日本が独立国としての主権を回復したサンフランシスコ講和条約(1951年調印、1952年発効)では、「連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第51条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極(とりきめ)を自発的に締結することができることを承認する」という文言が挿入された(第3章 第5条(c))。そして同時に締結された日米安全保障条約では、前文において「(日米)両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認」する作業が行われた。

これらの文言は、国連憲章の考え方を前提にして、日本の主権回復を承認したサンフランシスコ講和条約が成立し、日米安全保障条約が締結されたことを示している。これら三つをつなぐのは、「集団的自衛権」を根拠にした「集団的安全保障取極」の概念である。

日本国憲法の論理では、まず国連安保理を軸とする集団安全保障を「信頼」した国家安全保障政策が模索される。しかしそれが不十分であれば、国連憲章51条の論理に従って、個別的・集団的自衛権という代替措置が模索される。51条の問題とは、NATOのような地域機構に属さない日本にとっては、駐留米軍の法的性格の問題であり、日米安全保障条約の問題であった。

■主権回復当時の集団的自衛権をめぐる議論

1950年代の議論については、拙著『集団的自衛権の思想史』を見ていただきたいが、例えば1952年にサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約が国会で審議された際に、日本社会党の水谷長三郎は、日本がアメリカの「保護国」化されたと述べ、政府の「対米依存主義」と「秘密外交」を糾弾した。一方で社会党としては、「国連を現存する唯一の世界的平和機構としてこれを支持し」つつ、「世界の現状におきましては、各国の自由、独立と秩序維持の見地からいたしまして、国連憲章第五十一條の集団的自衛権と地域的安全保障制度を、憲法の許す範囲において是認する」と宣言した。

国会に参考人招致された国際法学者の大平善梧・一橋大学教授は、日本は集団的自衛権を持っていると明確に肯定し、日米安保条約は「集団的自衛の発動」だとする証言をおこなった。国会審議の過程では日米安保条約が集団的自衛の条約であることは自明視されていたし、「集団安全保障」の措置だとも説明されていた。

自衛軍整備を主張する改進党議員は、「集団的自衛権の行使によつて」将来は「太平洋地域同盟」の構想にそった「集団安全保障機構」に参加するやり方について問題提起をし、社会党議員は「集団的自衛権の強化」が海外での戦争につながらないかを懸念し、法的にではなく政治的に反対していた。政府は架空の話には答えられないとしつつ、日米安保条約が「一種の集団安全保障条約」であることは明言していた。

佐藤達夫・内閣法制局長官は、「問題は日本の憲法上許されておる自衛権というものの幅がきまりさえすれば、それに集団的という文字がつこうが、個別的という文字がつこうが、実体はかわらないことと思います」と述べ、「よその国と手をつないだからというために、日本の本来許されている自衛権というものは幅広く広がつてしまうということはもちろんありません」と答弁した。

自衛隊を海外派兵することも可能なのではないかという質問に対しては、佐藤長官は「私の一元的に考えております自衛権」によれば、満州事変のような海外派兵を自衛権で正当化することはできないが、「交戦権を持たずに一体どの程度にお役に立ち得るかどうかという実際問題」を度外視するのであれば、「海外公務員派遣と申し上げまして、お笑いになりますけれども、海外に対する公務員の派遣がその相手国に対してお役に立つ場合もあり得ると思います」と答弁した。

■学者たちはどう考えていたか

当時の憲法学者のなかにも、「憲法が自国の安全と生存を放棄する」わけではないので、集団安全保障が機能していない状況であれば、特定国との暫定的な安全保障措置をとることは認められると論じた者もいた。東北大学の関文香は、「日米安全保障条約は特定の一国であるアメリカ合衆国との条約である点に問題もあらうと思われるが、(中略)憲章第五十一条に基く集団的自衛権により、平和愛好諸国民が公正妥当な安全保障であると認め締結せられるものであって、何等(なんら)憲法と抵触するものではないと信ずる」と述べている。

國學院大学の神谷龍男によれば、世界情勢の動向として、「アメリカ側もソヴィエト側も集団自衛への準備に努力を傾注している」。これは、「国連による統一的集団安全保障の原則線を離れて、例外的な各加盟国のグループによる集団安全保障」が進展している状況である。「今や世界をあげて集団自衛時代、所謂(いわゆる)武装平和の時代を招来している」。そこで日米安保条約は、「個別又は集団自衛権が日本にあることを認め、日本は自発的にこの集団安全保障取極に加入できるとしたのである。そうすると日本が武力攻撃を受けた場合、もし国連が即座に有効必要な措置をとらないならば、国連がこの措置をとるまでの間、臨時的に個別あるいは集団自衛をすることができる」。

東大法学部の国際法学者・横田喜三郎は、「自国の再軍備は違憲で避けなければならないので、(中略)残るところは国際的保障しかない」と述べた。国際的保障の様々な方法の中で、「一国または数国との特別の協定によつて、援助を受ける約束をしておくのも、一つの方法」であり、「日本と密接な連帯関係にある隣国に攻撃や侵略が加えられた国合にも、これを防止しなくてはならないことがある。ただ、この場合にも、隣国への攻撃や侵略によって、あきらかに日本の安全と独立がおびやかされる場合にかぎるべきである。つまり、いわゆる集団的自衛権の場合にかぎるべきである」とした。

横田はいち早く1949年に「集団的自衛」に関する論考を著し、「集団的保障が十分に確立していない場合に、それを補うものとして、集団的自衛が必要になる」と説明し、「現在は集団的自衛の時代である」と強調して、日米安保条約正当化の基礎となる議論を提供していた。

■「自衛権」を定めているのは憲法でなく国際法だ

主権回復という大事件が1951年9月に起こったとき、ほとんどの憲法学者たちは、それを憲法学の枠外の出来事とみなした。にもかかわらず、彼らは引き続き、憲法9条と自衛権の問題などを語り続けた。対外的主権がようやく回復した際、サンフランシスコ講和条約の条文に明記された「個別的又は集団的自衛の固有の権利」及び「集団的安全保障取極」を、憲法の枠外の出来事として無視したうえで、ただひたすら憲法学における自衛権の概念なるものを主張し続けた。

百歩譲って、もし憲法典に「自衛権」という概念が登場するのであれば、そうした態度を正当化することもできるだろう。しかし憲法典は「自衛権」について語っていない。「自衛権」を定めているのは、国連憲章であり、国際法である。

国際法に存在している「自衛権」について、憲法学者が国際法学における議論を無視するだけでなく、国連憲章まで「異物」だと呼んで、「自衛権のことは憲法学者に全て仕切らせろ!」と言わんばかりの態度を取り続けているのは、日本社会における不健全な現象の一つである。

憲法学者は「正当防衛という概念は憲法学者に仕切らせろ!」といったことを刑法学者に言ったりはしない。ところが国際法に対しては、平気で「自衛権のことは憲法学者に仕切らせろ!」という態度を取るのである。控えめに言って、かなり異様な光景だ。国際法や国際政治学に対する、無意識のうちの蔑視があると指摘せざるをえないのであるが、多勢に無勢で、そのような慣行が常態化してきてしまった。残念なことである。

安保法制はいい機会だった。改憲論議もそうだろう。国際法の概念は国際法にそって理解する、という当然至極の姿勢を、日本社会は取り戻すべきだ。

そうでなければ、永遠に日本はガラパゴス社会である。

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東京外国語大学教授 篠田英朗(しのだ ひであき)
1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程修了、ロンドン大学(LSE)大学院にて国際関係学Ph.D取得。専門は国際関係論、平和構築学。著書に『国際紛争を読み解く五つの視座 現代世界の「戦争の構造」』(講談社選書メチエ)、『集団的自衛権の思想史――憲法九条と日米安保」(風行社)、『ほんとうの憲法 ―戦後日本憲法学批判』(ちくま新書)など。

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(東京外国語大学教授 篠田 英朗 写真=時事通信フォト)