本陣、旅籠に木賃宿…実はいろいろ選択肢があった、江戸時代の宿泊施設

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江戸時代は平和な時代が250年以上も続いたことから、旅は命懸けで行うものでは無くなり、気軽に楽しむことができるようになりました。また、参勤交代や巡礼などの旅も多くなった時代です。

そうした社会で、人々を相手とした宿泊を扱った商売が様々なスタイルで発展を遂げました。ここでは、江戸期における宿泊施設を紹介していきます。

参勤交代を陰から支えた本陣とは

本陣は宿泊施設として営業しているのではなく、地元の有力者が所有する邸宅を提供して用意されるもので、時には宿役人の問屋が使われることもありました。本陣は、庶民には縁のない、まさにやんごとなき方々の為の宿舎でした。

江戸時代の大規模な“旅”と言えば何と言っても、映画『超高速!参勤交代』でも取り扱われた参勤交代です。一年おきに領地と江戸とを行き来する藩主ご一行が利用したのが、武家や公家の御用である本陣です。

自分の持ち家に殿様をお泊めできるのだから、本陣を拝命した人々は一世一代の名誉とばかりに張り切りました。しかし、支払われる謝礼が相応では無かったり、名字帯刀の特権など実利を伴わぬものだったため、経営は大変だったとも言われています。

お財布にうれしい、リーズナブルな旅籠

『東海道中膝栗毛』のように、お参りや観光が目的の庶民がもっぱら利用したのは、今の旅館やホテルに近い旅籠でした。旅籠の分類も規模によって大中小に分けられたり、飯盛女と呼ばれたサービス(夜のお相手をする事もあった)に従事する女性の有無で呼び名が変わるなど、様々でした。

旅籠の宿泊料金は、一汁三菜の食事が付いて200文から300文と一律ではありませんでしたが、現代の価格に換算して3000円〜5000円程度と、安価なビジネスホテルに近い価格です。

ちょっとリッチな脇本陣

脇本陣は、先述した本陣に格上の藩主が泊まった際に格下の藩主が用いたり、本陣では間に合わない大所帯の時に使われた、本陣に次ぐ格式の宿泊所です。これは高貴な人々が使っていない時は庶民の宿としても経営することが多かったため、経営難で潰れる事があった本陣と違って今も多くの脇本陣が現存しています。脇本陣に運よく宿泊出来た人は、殿様やお姫様の気分が味わえたかもしれませんね。

歌川貞秀『東海道之内 生麦』 ボストン美術館蔵

金欠の時の強〜い味方・木賃宿とは?

お手頃価格の旅籠ですが、お金がなかったり節約したい時にはどうするのでしょうか?

そうした悩みを解決するのが木賃宿です。木賃とは光熱費に該当する薪のことであり、最低限の料金だけ払って寝泊まりすることを意味しています。また、寝具が自弁であったり食糧を自分で持ち込ん自炊(もしくは調理して貰う)をするなど、極めてシンプルな素泊まりの宿屋でした。

現代の感覚からすれば、随分とお粗末な宿に見えてしまいますが、宿泊費が安かったので懐の寂しい旅人を大いに助けました。場所や時期によって木賃宿の価格は様々ですが、今の価格なら数百円で寝泊まりできました。徒歩で何日も掛けて旅をした庶民の強い味方であったことは間違いありません。

庶民が気楽に旅を出来るようになった江戸時代には様々な宿がありました。本稿が、時代劇や歴史小説、大河ドラマなどを見る時に出てくる宿泊所を知るうえでの一助になれば幸いです。