8月下旬、市内の広場で日本共産党が街頭演説を行っていた。

 7月の都議選以来、久々の街頭演説で、当然のことながら北朝鮮の核実験や日本上空を通過したミサイル発射に対する抗議かと思いきや、何と加計学園問題の徹底究明の訴えであった。問題意識の錯誤で国民誤導もいいところだ。

 共産党は国民の賛同を得て、政府をつつき政局にできるとみてのことであろうが、国民の生命・財産を蔑にするのもいい加減にせよと言いたい。いま喫緊の課題は、北朝鮮の核・ミサイルおよび炭疽菌などの生物兵器やサリン・VXなどの化学兵器の防御と対処である。

 国民保護法はあるが国民のほとんどは無関心で、普及も訓練もほとんど行われていない。安保法案審議を戦争法案と喧伝し、実のある論戦をしなかったからである。

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スイスよりも60年遅れの日本

 スイスは中立国で民主主義を基調とするが、国民皆兵で軍の民主化を排斥し、命令指揮は軍にとっての必須の要件であるとし軍規の厳正を要求している。

 特に国会議員には将校出身者が多く、中でも軍事委員会は世界のどの国の国会議員よりも軍事のエキスパートであると自認し、政治優先を実行している(杉田一次・藤原岩市共著『スイスの国防と日本』)。

 そのスイスは1956年のハンガリー動乱でソ連の行動に深刻な衝撃を受け、翌57年の人工衛星スプートニク打ち上げで、核攻撃が現実的になったとして核武装も念頭に国防強化の必要性を痛感し再検討を始める。

 そして、1959年に国民そして兵士として、国家を守るため準拠すべきことを細説した384ページの『兵士読本』を公刊し、各家庭に配布した。

 『兵士読本』は、憲法の骨子となる10か条(.好ぅ洪佑亘,料阿吠薪 ▲好ぅ洪佑亘姫劼竜遡海ある 信仰と良心と自由は侵されない た景垢亮由は保証される シ法はいつでも全部または一部を改正できるなど)とともに、原子兵器による戦争、化学兵器による戦争、生物兵器による戦争を写真や図解で分かりやすく説明したものであった。

 10年後の1969年には、ソ連のチェコ侵攻に刺激され、『民間防衛解説書』を発刊して全家庭に配布する。

 「読本」は大量破壊兵器の危険性を解説するものであったが、「解説書」は大量破壊兵器が使用されることを前提に、シェルターの建設基準や教育・訓練について具体的に示したものである。

 非核3原則を堅持する日本は、領土内で核が使用されることはないと思い込んできたが、戦争やテロ行為などには想定外はつきものであるという視点が欠落している。日本がいくら非核3原則を呼号しても、相手がその意を汲んで核(や生物・化学)兵器を使用しないという保証はない。

 いま、北朝鮮の核・ミサイル兵器の脅威に直面して避難訓練などが始まった。核爆発の場合は閃光や火球を見ないことが大切だし、シェルターや窓なしビルなどに少なくも24時間いることが必要としている(グアムの訓練状況から)。

 しかし、日本にシェルターはないし、窓なしビルなども容易に見つかるわけではない。放射能残留などに対処するためには、24時間どころか、数日や数週間、さらには数か月単位での避難さえ必要であろうが、政治家をはじめ、国民の誰一人としてそうした考慮をもって行動した人はいないであろう。

 日本には憲法9条があり、戦争とは無関係な特殊な国といった思いから学校教育などで「戦争=悪」として、戦争や武力行使について考えることを排除してきた。国際社会の現実に目を向けない最大の欠陥が「日本国憲法」に由来していることは言うまでもない。

福島議員や共産党の出番では?

 安保法案の審議で、政府は特定の国名こそ挙げていなかったが、シーレーンや尖閣諸島防衛、さらには近隣諸国の核を含む大量破壊兵器やミサイルの脅威などを前提にして、法制の不備を改定しようとしていた。

 しかし、野党委員がそうした問題意識をもった質問を一向にしないため、政府は答弁することができない。与党も国民も、「3対7」の比率で多く割り当てられた野党の時間的優勢による違憲論戦に気圧されて、現実的な脅威を見据えた議論が放擲され、憲法の神学論争という不毛に終わった。

 中でも記憶に残るのが社民党前党首、福島瑞穂議員の発言である。

 氏は折に触れ9条に関して、「9条がなければ戦争ができる国になっていた。韓国の若者がベトナムに従事したように日本も戦争に若者を送ったはずだ。韓国軍はベトナムで憎まれている。戦後の日本が戦争で人を殺さなかったことは誇っていい。日本が今後、米国の利害に引っ張られて戦争への加担を強いられた時に、No″と断れるのが9条の効用だ」と述べている。

 また、「他国からの攻撃にはどう対応するのか」という問いに対しては、「9条で『世界を侵略しない』と表明している国を攻撃する国があるとは思えない。攻撃する国があれば世界中から非難される」と語っている。

 北朝鮮が脅威であることに変わりないが、シーレーンや領土、ガス田開発など多面的な問題を抱えている中国が日本にとってより大きな脅威である。ただ、眼前の差し迫った脅威が北朝鮮であるので、取り敢えず焦点が北朝鮮に向くのは当然である。

 日本は北朝鮮を食料などで支援こそすれ、何ら敵対行動をとったことはなかった。

 しかし、無辜の若者数百人を拉致し、今また核やミサイルで日本に脅威を与えている。福島議員が政治家として信念と責任感を持っているならば、9条を有する日本を窮地に陥れる北朝鮮を諫めてほしい。

 共産党の志位和夫委員長は安保法制成立後の2015年11月、テレビ東京の番組で「北朝鮮、中国にリアルの危険があるのではなく、実際の危険は中東・アフリカにまで自衛隊が出て行き一緒に戦争をやることだ」と述べていた。

 その後、北朝鮮が核実験を行うと、「核実験の強行は地域と世界の平和と安定に対する極めて重大な逆行だ。暴挙であり、厳しく糾弾する」との談話を出すが、安保法案審議時の国際情勢に対する認識が間違っていた証左である。場当たり的な談話は、加計問題の街頭演説にまで通底している。

イージス・アショアは数年前に検討

 共産党は日米安全保障条約を国民感情から破棄するという。しかし内閣府の世論調査では8割以上が日米安保は日本の安全保障のために有益な条約と考えている。共産党の主張は欺瞞である(「産経新聞」平成28年11月11日付、岩田温氏「iRONNA」)。

 国民の権利や人権を守るためには、行政府の暴走を食い止めなければならない。そのために人類が考案した1つの偉大な防御策が、憲法によって行政府の暴走を食い止めようとする立憲主義である。

 共産党は違憲とみる自衛隊を国民が必要と認めているという理由から、存在を認めるという矛盾を包容している。岩田氏はこれこそが立憲主義を否定するもので許すことはできないという。

 社民党の空想的平和主義や共産党の欺瞞と矛盾で、長年日本の安全保障が損なわれてきた。自民党などにも、社民党や共産党を隠れ蓑に、9条問題や軍事問題、中でも核兵器に対する議論(非核3原則から保有の是非論まで)を避けてきた節がある。2年前の安保法案審議では論議の入り口にも至らなかったと言わざるを得ない。

 核・ミサイル対処や敵地攻撃能力問題など議論にも上がらなかった。8月17日、ワシントンで行われた日米外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2+2)ではイージス・アショアの導入を検討することになったが、これは既に数年も前にも話題になっていたものである。

 当時決着し、国民保護法に基づく訓練なども徹底して実施していれば、今回見るような国民の不安も相当に軽減されたのではないだろうか。問題が先鋭化してからしか行動しないようでは抑止力にならない。

 「ローマは一日にして成らず」の諺通り、防衛体制の確立は一朝にできるものではない。安保法制に反対した政党や国民は、今こそ反省すべきではないだろうか。懸案が起きて防護用の装備を買いつけるという対処は経費的にも高価につくし、防衛計画に立脚する資源の有効活用の視点からも相応しくない。

 少数野党に譲歩するのは美徳の場合もあろうが、こと安全保障に関しては9条が機能しないことが明確になった。また、自衛隊が軍隊でない故に日本の安全のために持てる力を存分に発揮できない。

 国民の安全や日本の防衛のために行動したことが、場合によっては殺人行為や殺人犯などとして扱われかねない現実は早急な改善が必要であろう。

「想定外」が当たり前

 北朝鮮は、7月4日のICBM発射後、次は島根・広島・高知県上空を通過してグアム島周辺を狙うと発表した。日本は急遽「PAC-3」を上記3県と愛媛県に配備した。しかし、同月28日の発射は4日同様にロフテッド軌道で日本海への落下であった。

 ところが、8月29日早朝には襟裳岬上空を通過して東方1180キロの太平洋上に落下するミサイルを発射した。また、9月3日には、強化原爆(水爆?)と思われる核実験を行った。

 そもそも、兵器が脅威であるためには、どこに落下するか分からない想定外の奇襲性が重要である。従来の予告発射はミサイルが計画通りに飛翔可能であるという示威であり、また日本の防衛体制や国民感情などを注意深く見守っていたということでもあろう。

 日本も、北朝鮮の事前予告をあてにするかのように、PAC-3を沖縄や中国・四国地方に移動配備することができた。軍事の常道にあるまじき状況に安穏としてきた日本であったのだ。

 従って、29日の予告なし(時間や経路)の不意急襲的発射は、日本中を混乱させた。そして9月3日の核実験は、「想定外」が軍事の常識であるということを改めて認識させた。

 PKO派遣などでは想定内での任務付与でしかなかった。手綱を緩めると、自衛隊は何をするか分からないという危惧を政府や防衛省内局が有していたからであろう。シビリアン・コントロールを自ら信じない撞着であったということであろうか。

 想定外を考えようとしないで、「これだけをやりなさい」(ポジティブ・リスト)という任務で外国に派遣された部隊は、時間や能力などあらゆる面から現地の要望に対応可能であるが、任務にない(行えば命令違反)ということで相手国などを失望させてきた。

 いま、国内において想定外を目の当たりにしている以上に、外国に派遣された部隊には「想定外」が頻出することは容易に想像がつく。そこで、外国の軍隊では現地指揮官が柔軟に対応できるように、「絶対やってはいけないこと」(ネガティブ・リスト)を示すようにしている。

 自衛隊はこれまでの経験で証明されているように、外国軍隊以上に規律正しい。幹部はもちろん、一般隊員に至るまでシビリアン・コントロール下の自衛隊であることを理解している。

 そこで、効果的に任務を完遂し、かつ国際社会の理解と評価を高めるためにも、派遣部隊にはネガティブ・リストでの任務付与が望ましいのではないだろうか。

おわりに

 日本のあちこちで見かける「非核平和都市宣言」の文言に筆者は疑問を抱いてきた。国家レベルのこの種宣言の意義についても大いに議論すべきであると思っているのに、一地方都市が非核平和宣言をしてどういう意味があるというのだろうか。

 地方都市が掲げるべきことは、核や生物・化学兵器などの大量破壊兵器に対して国民保護法などに基づく対策をしっかりやっているという意味での「防護都市宣言」くらいではないだろうか。

 その場合、当然のことながら、住民の半分くらいは収容できるシェルターなどを整え、数週間から数か月の生活物資を完備している必要があることは言うまでもない。こうした準備がほとんどされない非核平和都市では、住民を何ら守ることはできないであろう。

 憲法9条があるから日本を攻める国などないという空理空論から脱却して、今こそ、主権・領土・国民を守るため、現実に根を張った議論をすべき時である。

 9月1日は「防災の日」であるが、天災に備えるだけではなく、拡大して外国の脅威への備えも必要になってきた。そのために、例えば「国民保護の日」として、施設の整備や訓練内容の拡充などを図ってはいかがであろうか。

筆者:森 清勇