前回のコラムは、多くの方に読んでいただいた様子で、また読後感の意見が割れていて、とても良いことだと思いました。

 そこで、本来はもっと先にと思っていた続編を、すぐ続けて出すことにしました。

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「体罰」と「愛の鉄拳」を分かつのは何か

 何となく考えるだけ、心情的に流されるだけでは、わけの分からないことになります。ロジカルに物事を捉えることが大切です。

 私の論旨は単純明快、コンセンサスの有無、合意形成だけできれいに論を組み立てたうえで、それについては本文では触れず(ツイッターなどでは種明かししましたが)、結論だけを示しました。

 その解説編を記しましょう。

 ちなみに、こういう「種明かし」を特典につけるだけで、VALU(フィンテックサービスの1つ)の値が上がるかもしれませんよ、というアイデアを言ってくれた方がありました。

 私のコラムは野村証券を筆頭に各社の新人研修の教材に使われ続けているそうで(残念ながらロイヤリティなどゼロなのですが・・・苦笑)、シンプルな論旨と極端な事例の対照から、常識を源流に遡ってひっくり返すというスタイルで一貫しており、ここでも典型的にそのようにしてみましょう。

 「日野皓正のビンタは悪いのか?」

 この問いへの答は「日野皓正」の中にはありません。ビンタされた少年がすべてを決定するという、刑法の團藤重光教授が展開された「主体性理論」あるいは「行為無価値論」的な観点から検討したパラフレーズがエッセンスになります。

レイプと「そうでないもの」の分かち方

 さて、突然ですが、皆さんはレイプしたり、レイプされたりしたことがありますか?

 と、極端な例から入るのは物理の筋立ての常道で、0とか無限大とか極限を取ってものを考え、だんだん議論を追い込んでいこうという作戦になります。

 「俺は男だから、レイプされるは関係ないな」

 などと言われるなかれ。2017年7月13日に施行された現在の刑法、明治末年に制定されてから110年、1945年の敗戦でも手がつかなかった刑法改正をチェックしてなかったのが分かってしまいます。

 今回の改正刑法には5つのポイントがあります。

(1)被害者が女性に限られていた「強姦罪」「準強姦罪」から、男性も対象に含める「強制性交等罪」「準強制性交等罪」に名称が変更されました。また法定刑の下限が「3年以上の有期懲役」から「5年以上の有期懲役」に引き上げられています。

(2)懲役4年以上とされた従来の集団強姦等罪の規定は削除されています。

(3)幼児への性虐待に考慮して「監護者わいせつ罪」および「監護者性交等罪」が新設されました。

(4)「監護者性交等罪」またはその未遂罪を犯し、人を死傷させた場合について、有期懲役「5年以上」が「6年以上」に引き上げられました。

(5)親告罪の規定が削除されました。つまり、被害者などからの告訴がなくても起訴できるように改められ、これは改正法の施行前に起きた事件にも適用されることになっています。

 私が「ヒノテル往復ビンタ報道」を目にして、瞬時に思ったのは「おお、よくやった」であり、次の瞬間考えたのは「團藤先生がお元気なら、これでいろいろ雑談させていただいたのに・・・」というものでした。

 前回コラムの要旨も、以下記すのも、刑法改正が思考の下敷きになっていることを、まずお含みおき下さい。

 そのうえで、再度お尋ねします。「あなたはレイプをしたりされたり」という経験がありますか?

 もちろん、声に出してお答えにならなくて結構で、ここで考えてほしいのは「レイプとそうでないもの」を分かつのは何か、という点です。

 レイプとカタカナにしたのも新刑法に配慮したもので、現在は「強姦」ではなく「強制性交等」が刑事司法では問題とされます。特定の身体部位に特定のかたちで接触がある以外にも、ありとあらゆる面で、極論すれば精神的な意味でも「レイプ」は成立し得る。

 そういう「人間の尊厳」を毀損するような行為に対して、團藤先生は毅然として反対の論陣を張られました。

 では「レイプではないもの」とは何か。合意ですね。

 両性の合意があって結婚も成立、両性の合意がなければ人類そのものの存続も怪しいことになってしまう。「性交等」は私たち人間にとって決してなまなかにはできない、重要な要素ですが、それに「強制」があることで犯罪の構成要件になってくる。この違いを考えてみましょう。

ボクシング教室と「かわいがり」

 いま仮に、ボクシングの教室に入門した人がいたとして、練習に参加したところ、防具をつけた上からとはいえ「殴られた」と言って警察に駆け込んだとして、これが暴行に相当するでしょうか?

 またしても極端な例からですが、まあ、成立しないでしょう。なぜなら格闘技を習いに入門しているわけですから、その中には一定の身体的接触は不可避であること、それに合意して入門していると、社会的には判断されるでしょう。

 試合の後のボクサーが顔面内出血だらけで形が変わっていた、とか、相撲取りが張り手をしたりされたりして、顔が腫れ上がっていたと言っても、「そりゃそうだろう」で終わりです。

 では、相撲部屋で新入りが生意気だと言って、古参の兄弟子たちが「かわいがり」と称して暴行などした場合は、どうでしょう。「相撲部屋はそういう伝統だから仕方ない」で済む話でしょうか?

 現実にいろいろ犠牲者も出ており、これは刑事司法に問うべきものでしょう。

 真夏の炎天下で無理な練習を顧問の教師が強いたために、児童生徒の生命身体が脅かされる、といったケースの報道がありました。

 これも新刑法の「強制」と同様で、相手の合意、コンセンサスなく一方的に押しつけて、その結果、取り返しのつかない事態を発生させているのであれば、捜査のメスが入ってしかるべきものと思います。

 一つひとつのケースを、正確に分別し、腑分けしていくことが重要でしょう。さて、では「日野皓正のビンタ」はどうなのでしょう?

 報道によれば、今回話題になった中学生は、去年も問題を起こし、そこでもどうやら拳骨か何かくらっているらしい。そのうえで今年もまた参加している。

 リハーサルでは過剰なことはせずにやり過ごし、本番のステージ上で、確信犯でやらかすことをやって、大目玉を食らった・・・。まあ、自業自得の典型のようです。

 メディア上では「日野皓正の暴力は1度や2度ではない、去年もやってる。今後もやり続けると公言している、とんでもない」式の文章も目にしました。

 でも、考えても見てください。日野さんもう74歳ですよ。男の人生が80くらいなら後余命6年くらい、半世紀以上これで第一線を走ってきたんですから、「いまさらスタイルを変えろ」なんて言っても無理です。

 人間50歳を過ぎれば、学習能力は著しく低下しているわけで、ヒノテルは死ぬまで楽隊バカ、これでいいじゃないですか。

 嫌なら習いに行かなければいい。来年、日野さんのスクールに応募者がゼロになればそれでおしまい。教わる方が「ビンタは嫌だから」程度のことで引いてしまうなら、ヒノテルにしても「そんな根性なしのガキ、誰が面倒みてやるか、アホラシイ」となるでしょう。

 実際は、蓋を開けて見なければ分かりませんが、「殴られる」と定評があるとしても、スクールに参加したいという子供はいるだろうし、極論すれば募集要項に「殴られるかもしれませんが、それでいいよという人だけ、歯食いしばってついて来い」くらいのことを書いておいた方が安全かもしれません。

 ポイントは「合意」が成立している、ということです。

 殴る方のヒノテルは、ステージ上の楽隊というのはいわば野獣みたいなものですから、反射的にガオッとなることがあるだろうし、それがなきゃヒノテルじゃないでしょう。

 誰が、湿っ気た焼き海苔とか、生ミイラみたいになったヒノテル爺を見たいか、そんなものにジャズ習いたいと思うでしょうか。それでもいいという子供や親だけが志望すればよく、わけの分からんのがあれこれ言うのがそもそも間違いというものです。

合意の形成と不形成

 強姦と「和姦」という極端な例から始めましたが、コンセンサスというのは価値を決定づける本質で、前回も記したように、私たちの大学でもこれを巡ってプロジェクトを、米ハーバード大学ケネディ校などと立ち上げようとしています。

 コンセンサスの本質は「価値」を生み出すことにあります。

 本稿を書いているのは9月5日の夕方ですが、わずか1か月前、8月1日に分裂〜「フォーク」して生まれた、単なる「ビットコインのデジタルコピー」意味のない数字に過ぎなかったはずの「ビットコインキャッシュ」は、1か月を過ぎた時点、6万円程度の安定した価格で推移する「オルトコイン」の1つとして定着しつつあります。

 逆に本体のビットコインの方が 1BTC=56万から45万円まで大きく乱高下して大変なことになっていますが、これは別に話題としましょう。

 不思議なのは「ビットコインキャッシュ」です。古典的な暗号通貨のシナリオは「電気代をかけ、インフラを投入してマイニング=暗号通貨採掘することで価値が生まれる」はずだったのに、モニター上の単なる数字に過ぎないはずのBTHに6万なにがしの値がついて皆が取引している。

 アイドルが使ったグッズとか、他の人が見れば何でもないものに高値がつくようなことかもしれませんが、これは暗号通貨、法的には微妙ですが、つまるところ「お金」です。

 これを使う人たちの間で、価値の「合意形成」がなされなければ、決してビットコインキャッシュは安定定着することはなかったでしょう。

 コンセンサスが価値の源泉、という一側面をスケッチしてみました。

 逆に言えばコンセンサスがなければ、同じ行為も別の「価値」あるいは「無価値」を生み出すことでしょう。

 日野皓正氏が今回ぶん殴った子をA君としましょうか。A君とはコンセンサスがあったから、今のところ問題にはなっていない。

 でも来年、仮にB子さんに同じことをして、そこで刑事告発されない、という保障はないわけです。コンセンサスがない限りは。

 合意形成はかくのごとく重要です。

 あなたが、先週でも昨晩でも結構です、伴侶なり恋人なりと関わったかもしれない。同じようなコミュニケーションを、別の誰か、職場の同僚なり、あるいは電車のなかで行きずりの相手にすれば何が起きるか・・・。

 先ほど記した「改正刑法」のお世話になる可能性があるような気がします(苦笑)。

 「日野皓正のビンタ」はヒノテル自身が成否を決める話ではありません。相手、もっと言えば「被害者」になり得る人とのコンセンサスの有無、合意形成があれば「教育」にもなり、精神的レイプと変わらない状態なら、告訴されても仕方ないでしょう。

 まあ、そこそこでやめておいた方が無難かもしれません(苦笑)。

 および、このコラムはライターやマッチが書いてるのではなくて、畑は違いクラシックですが、音楽実技の教授屋が書いてることも念頭に置いてもらえると、意味がはっきりするでしょう。

 および、全世界で数千人しかいない私のレッスンを受けた人には、どれくらい私がジェントルな指導に徹しているか、よく分かっているでしょうから、「あの伊東先生がこういうことを言うんだ」と落差を感じてもらい、また後々の音楽作りや後進指導の参考にしてもらえればと思います。

 團藤先生は、こういう状況も念頭に「社会は動き、法理も判例も動く」と言われました。

 なお今回は、前回コラムの直前にツイッター上で、私が常々1ファンとして注目している若く気骨の裁判官、岡口基一・東京高等裁判所判事から1投ありましたので、法は素人の個人ですが、仮にいま團藤ありせば・・・の入稿としたものでもあります。

筆者:伊東 乾