彼女たちの問題を、テレビ放送で大々的に取り上げる公共性や公益性はいったいどこにあるのだろう?(写真:共同通信社、日刊現代/アフロ)

7月13日午前8時、洗顔と身支度を終えてテレビ画面に向かうと、女優・松居一代氏の映像が目に飛び込んできた。「負ける戦いはしませんよ。悪魔は必ず罰せられるんです」と、異様な表情でおどろおどろしく語りかける動画に気分が悪くなり、直ちにチャンネルを切り替えた。ところが、どの局も「松居騒動」一色の過熱報道ぶりである。暗澹(あんたん)たる思いになってテレビの電源を切った。

放送の公共性とは何か、報道に値する公益性のある情報と言えるのか、当事者に公平公正な報道か――俳優・船越英一郎、松居一代夫妻の離婚騒動をめぐる情報番組の報道ぶりを見ていると、つい、そんな疑念が頭をよぎってしまう。

「松居一代」を放送しなかったのはNHKとテレ東だけ


当記事は『GALAC』10月』(9月6日発売)からの転載です(上の雑誌表紙画像をクリックするとブックウォーカーのページにジャンプします)

多くの視聴者も私と同じような疑問を感じているのではないだろうか。「書かずもがな」と思っていたのだが、放送原則の根幹にかかわる問題であると考え直し、あえて苦言を呈しておきたい。問題点を指摘する前に、一連の騒動をめぐる報道のあらましを振り返ってみる。

あるメディア研究機関の調査によると、最初に松居問題を報じたのは7月4日「直撃LIVEグッディ!」(フジテレビ)だった。翌5日から各局の複数の番組による報道合戦が始まり、全番組の放送時間は2時間半に及ぶ。6日になると、この問題を取り上げる番組の数は倍に増え、その放送時間を合計すると5時間を超える。

以後、毎日1〜4時間の放送が続き、2週間の放送分量は35時間強に達した。ちなみにNHKとテレビ東京は、この問題を一切放送していない。また日本テレビの番組でも「ZIP!」は一度も取り上げていない。夕方帯の報道番組では「みんなのニュース」(フジ)だけが5日から7日まで3日連続で報道した。

そもそも松居問題の本質は夫妻の離婚騒動にある。船越氏への復讐をもくろみ、自身のブログや動画を使って個人的な事柄を次々と暴露しながら相手の非難を繰り返すというものだ。テレビ放送で大々的に取り上げる公共性や公益性はいったいどこにあるのだろう。

次は取り上げ方の問題である。情報ワイドショー番組では、一部週刊誌の特ダネ報道を取っ掛かりに内容や事実関係を十分に検証することなく、誌面や内容をそっくり伝えてしまう手法が定着している。「報道引用」という隠れみのの「安全地帯」に身を置いて報道しているつもりだろうが、仮に引用元に誤謬や名誉毀損、人権侵害などが認められた場合には、それを引用・報道したメディアにも責任が及ぶことは最高裁の判例が示すところだ。

本来メディアの生命線は、埋もれた事実を独自の取材で発掘し、それを初報として伝えることにある。ところが、昨今の情報系番組は「〇〇砲」「△△砲」などと一部の週刊誌を持ち上げて「特ダネは週刊誌、後追いの膨らまし報道はテレビ番組」という構図を自ら創り上げているようにさえ見える。主要な報道機関として、真にあるべき姿と言えるだろうか。

それに加え、今回の報道では各局とも松居氏のブログやSNS上の動画を興味本位で垂れ流してきた感がある。虚々実々の情報が乱立するネット情報をそのまま放送することの危うさは言うまでもない。正確性を欠き、不適切な表現があふれるネットとは一線を画すべきテレビ放送が、そんな無責任でいいのだろうか。むしろ一連の報道はネット情報の拡散に力を貸し、松居氏の自己宣伝に加担する結果を招いた、と言っていい。

「生活ほっとモーニング」の教訓はどこに

私が最も危惧した点は、放送の公平公正さを担保できていたかどうかにある。恋愛の破綻や離婚という私的な事柄の場合、当事者の双方に、それぞれの言い分がある。しかし、どの番組を視聴していても、松居氏の言い分がそのまま一方的に放送され、船越氏の主張は置き去りにされたという印象を受けた。松居氏は夫婦間の出来事を客観的な裏付けなしに公開し、それが船越氏の名誉を傷付けているおそれさえある。軽々に放送で紹介できるような代物ではないはずだ。

1996年の「生活ほっとモーニング」(NHK)は、放送による名誉毀損が司法に認定された事案として知られている。「熟年離婚」の特集企画で、素顔で出演した元夫の言い分だけを放送した結果、元妻から訴えられ、NHKが敗訴したという事例である。その反省と教訓が番組の制作者に活かされているのかどうか、はなはだ疑問に思う。

上西小百合衆院議員の「ツイッター炎上騒動」をめぐる報道も首を傾げたくなる事案だ。サッカーの親善試合に対するつぶやきがネット上で物議を醸したというだけの話である。さっそく多くの情報ワイドショー番組が飛び付いた。

ネット上の騒ぎを放送電波に乗せて伝えることに、どれだけの公益性があるのだろうか。「バイキング」(フジ)では、さすがに出演タレントたちから「こんなネタやるんじゃないよ」「取り上げるのがいいかどうか考えるべきだ」と、番組制作側に対する苦言が相次いだ。

制作者側と視聴者の間に横たわる意識の溝

ある民放局で情報番組を担当する幹部に、私の疑問点を質してみた。すると彼は、「視聴者が興味と関心を持ちそうなネタを取り上げるのが基本。それを判断基準にネタを決め、放送で視聴者の期待に応えている。公益性は十分にある」と言い切った。

だが、大多数の視聴者が松居騒動や上西議員のツイッター炎上に興味を抱いていると本当に言い切れるのだろうか。放送局時代の知人や周囲の人たちにも感想を聞いてみたが、ほとんどが「見たいと思わない」「わざわざテレビが取り上げる必要がない」という答えだった。

著名人の醜聞は人の耳目を集めやすいが、最近の視聴者は賢くなり、「何でもかんでも」面白がるわけではない。情報の価値と公益性をきちんと見抜く力を備えている。その一方で、相変わらず制作者側の判断基準は視聴率という数字にしかない。謙虚さの欠如と無反省、そして驕り――どこかの国の政権の支持率急落とダブって見えて仕方がない。