9月に入って思いのほか早く、秋の風が吹き始めました。文学散歩にはうってつけの季節です。
江戸時代には隠居所として「根岸の里」と呼ばれた東京・鶯谷周辺は、日本近代文学の中心地でした。
しかし、時の流れとともに街の雰囲気は様変わりし、現在はネオンまたたく歓楽街になっていますが、鶯谷駅北口から徒歩5分の距離には子規の親友の画家・中村不折旧居跡に書道博物館などもあります。風が心地よく感じられる日中、文庫本片手に文学史跡を訪ねてみませんか。


正岡子規と日本文学の革新

根岸ゆかりの人物といえば、まず俳人・歌人として知られた正岡子規(まさおか・しき 1867-1902)が挙げられます。先日、未発表の筆跡が発見されて話題になりました。
36歳の若さで亡くなった子規は、その短い生涯に日本文学史に残る仕事を手がけました。現在の日本の文学のあり方は、子規が手がけたさまざまな文学的な試みに大きく影響されています。
子規は四国・松山の生まれ。東京に出てきて、新聞社に勤務しながら、まずは俳句の革新から始めます。江戸時代の俳句は、「月並俳句」と呼ばれ、パターン化した言葉を形式的に並べるものが多く、マンネリ化していたのですが、子規は物事を素直に見つめる「写生」という方法論を提唱し、日常の風物の新鮮な感性でとらえ直すことを主張しました。
その後は短歌の革新に着手、それまで歌人たちがバイブルとしてあがめていた『古今和歌集』を否定するなど、次々に過激な持論を発表します。

俳人・歌人 正岡子規(まさおか・しき 1867-1902)


きたる9月17日は「正岡子規生誕150年・糸瓜忌」

子規は30歳頃から結核を発症し、33歳頃からは寝たきりになってしまいます。しかし病床でも、文学への熱意はおさまることなく、病床での日常をつづった「墨汁一滴」「仰臥漫録」などの随筆を書き続けます。これらの随筆は、裸の人間の飾りのない叫びのようなもので、現在の私たちの心も打ちます。
そんな子規が過ごした「子規庵」が山手線の鶯谷から歩いて5分ほどの住宅街の中に残っています。建物は空襲で焼けてしまい、戦後の復元ですが、一般に公開されており、子規の生活ぶりを偲ぶことができます。
訪れた際には、子規が楽しんだ草花が植えられた小さな庭も見ることができます。子規が亡くなったのはちょうど秋の気配があちこちで感じられるこの季節(9月17日)であり、今年は「子規生誕150年記念糸瓜忌」となります。

谷中墓地


【子規生誕150年記念糸瓜忌特別展示】【新作オペラ】開催!

子規庵の前にあるのは、中国・日本の書道資料の数万点を保存公開する書道専門の美術館「書道博物館」です。
この資料を収集したのは、子規と親交が深く、夏目漱石の小説の挿絵を担当したことでも知られ、画家・書家としても活躍した中村不折(なかむら・ふせつ 1866-1943)です。不折の書いた「ヘタウマ」のような書きぶりの新宿・中村屋のロゴは有名でしょう。
【子規生誕150年記念糸瓜忌特別展示】
■期間/平成29年9月1日(金)〜9月30日(土)
■10時30分〜16時(昼食休憩なし)休庵日/4日(月)、11日(月)、25日(月)
■入庵料/500円(通常入庵料と同じ)
展示内容などの詳細は「根岸子規庵最新情報」をご参照ください
【新作オペラ「病牀六尺に生きる】
「正岡子規生誕150年」を記念して、子規の生涯と漱石等友人たちとの交流、子規の作品を題材にした新作オペラ「病牀六尺に生きる」が、東京・台東区と愛媛県松山市の共催にて、9月17・18日に台東区生涯学習センターで開催されます。詳しい情報はこちらにて。
── 根岸の子規庵と中村不折の書道博物館をはじめ、根岸からすこし足をのばすと、明治の文学者や芸術家らが多く眠る谷中墓地があります。近辺には豆腐料理の名店などもあり、秋の一日、明治の文学や美術などの分野でさまざまに苦闘した人物を偲んで、ぜひ散策を楽しんでみてください。

新作オペラ「病牀六尺に生きる」のパンフレットより一部抜粋