5度の欧州制覇を経験した、サッカー史に残る偉大な存在。ミランの黄金期は、パオロとともにあった。 (C) Getty Images

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 本誌ワールドサッカーダイジェストと大人気サッカーアプリゲーム・ポケサカとのコラボで毎月お送りしている「レジェンドの言魂」では、サッカー史を彩った偉大なるスーパースターが、自身の栄光に満ちたキャリアを回想しながら、現在のサッカー界にも貴重なアドバイスと激励を送っている。
 
 さて今回、サッカーダイジェストWebに登場するのは、16歳でプロのピッチに立ち、25年間にわたってミランの繁栄に貢献するとともに、イタリア代表としても数々の大舞台に立ち続けてきたパオロ・マルディーニだ。
 
 世界屈指のDFとして、また偉大なるリーダーとして、イタリア・サッカー界の歴史を作り、そしてあらゆる記録を塗り替えてきたレジェンドの軌跡を、ここで振り返ってみよう。
 
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 1968年6月26日、パオロ・マルディーニは、ミランのレジェンドであるチェーザレの息子(6人兄弟の長男)として、この世に生を受けた。
 
 彼が幼い頃からサッカーに没頭したのは、イタリアの子どもであれば当然のことであり、父親の影響は一切なかった。というより、当時、イタリア・サッカー連盟の仕事で国内外を忙しく飛び回っており、自宅で日常的に家族と接することが困難な状況だったのだ。
 
 それでも、パオロがチェーザレを通してサッカーの喜びを知っていったのは事実である。82年スペイン・ワールドカップで父がエンツォ・ベアルツォット・イタリア代表監督のアシスタントとして世界制覇に貢献したことは、パオロにとっても大きな出来事だった。
 
 ミランのレジェンドの息子は、しかし幼少期はお気に入りのロベルト・ベッテガがプレーするユベントスの大ファンだった。とはいえ、10歳で入団テストを受けようとなった時、父から入りたいクラブを聞かれたパオロは、迷うことなくミランの名前を口にした。
 
 テストを問題なくパスしたパオロは、ミランの下部組織でめきめきと力を上げ、84年に早くもプロデビューの機会が訪れる。85年1月20日のウディネーゼ戦だった。
 
 84-85シーズンは、この1試合の出場に終わったが、16歳の少年にとってはそれでも十分だった。そして驚くべきは、彼が翌シーズンからレギュラーとしてミランの最終ラインに並んだことだった。
 
 俊足で攻撃センスに優れる一方で、強烈なタックルを武器する彼は、守備者としても抜群の才能を見せ、早くもミランにとって欠くべからざる存在となっていく。
 
 当時のミランは財政基盤が弱く、破産の危険すら孕んでいたが、状況は86年に一変。メディア王シルビオ・ベルルスコーニがクラブを買収したのだ。87-88シーズンにチームの大改造が施されたことで、ミランはカルチョの古豪から、世界最強のビッグクラブへと変貌を遂げた。
 
 そんなチームのなかで、左SBのパオロは、世界最高のリベロ、フランコ・バレージ、親友のCBアレッサンドロ・コスタクルタ、そして強力な右SBのマウロ・タソッティと強力な最終ラインを形成し、タイトルを次々に獲得していく。
 
 87-88シーズンのスクデットを皮切りに、翌シーズンには8万人のミラニスタで埋まったカンプ・ノウでのチャンピオンズ・カップ(現リーグ)優勝、そして89年の冬には東京・国立競技場でのトヨタカップを制して世界一にまで昇り詰めた。
 
 90年にも同じ偉業を繰り返したミラン。しかし90年のトヨタカップでパオロは試合中に鎖骨を骨折。2度目の世界一は、彼にとって大きな痛みを伴うものとなった。
 
 監督がアリーゴ・サッキからファビオ・カペッロに代わった91-92シーズンには、セリエA史上初の無敗優勝に貢献。チャンピオンズ・リーグ(CL)では93、94、95年と3シーズン連続で決勝に進出し、94年は圧倒的不利の予想を覆してバルセロナを4-0で撃破した。