東京を代表する高層建築のランドマークと言えば、今は東京スカイツリーだろう。それ以前は長きにわたり東京タワーがその座に君臨していたが、実は今から120年以上前にも、東京名物と呼べる高層建築が存在した。それば、浅草にあった凌雲閣だ。中国メディア・今日頭条は4日、この凌雲閣について紹介する記事を掲載した。(イメージ写真提供:写真AC)

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 東京を代表する高層建築のランドマークと言えば、今は東京スカイツリーだろう。それ以前は長きにわたり東京タワーがその座に君臨していたが、実は今から120年以上前にも、東京名物と呼べる高層建築が存在した。それば、浅草にあった凌雲閣だ。中国メディア・今日頭条は4日、この凌雲閣について紹介する記事を掲載した。

 記事は「1890年、浅草十二階と称される凌雲閣が完成した。高さ53メートルというのは当時の日本で最も高い建築物で、前年に完成したフランス・パリのエッフェル塔を意識したものだった。言ってしまえばこの建物は、日本が西洋に追いつきアジアの盟主となる企図を示していたのだ」と紹介した。

 そして、凌雲閣が英国の建築師によって設計され、そのコンセプトにしてもハード設備にしても、世界最新のレベルを誇るもので、エレベータや電話なども備え付けられていたと伝えた。開業に際しては新聞に大きな広告が掲載され、しばらくは観光客が大量に押し寄せて入場待ちの長蛇の列ができるほどだったとしている。

 しかし凌雲閣の人気は次第に低下していき、20世紀に入ると衰退を辿っていったと説明。完成から30年が経過した1921年には取り壊しの話も持ち上がった。そして23年9月1日の関東大震災によって地上12階の建物のうち、8階以上の部分が崩れ落ちて多くの死者を出してしまい、残りの部分も危険であるとして後日爆破解体され、日本で最も高い建築物は姿を消したと伝えた。

 明治から大正、昭和の中期ごろまで、東京一の観光名所、繁華街は浅草界隈だった。今から約130年前に東京一のスポットに出現した日本一の高層建築は、さぞや人びとから注目を集めたことだろう。130年前の中国は、末期状態にあった清国が欧米列強の勢力に蹂躙されていた時期であり、1894年からの日清戦争では日本に敗北を喫した。当時の両国の差を知った中国のネットユーザーたちはきっと、改めて嘆息することだろう。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:写真AC)