強烈な作品を作り続ける熱量はどこから生まれてくるのでしょうか(写真:筆者提供)

これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむと古田雄介が神髄を紡ぐ連載の第9回。

『真説 ザ・ワールド・イズ・マイン』『キーチ!!』『宮本から君へ』など、新井英樹さん(53)の作品は、漫画愛好家の間で評価が高い。

かく言う私も氏の作品の大ファンなのだが、だからといって知り合いみんなに「読みなよ」とすすめているかというと、そうでもない。

新井さんの作品を読むと、とても心が痛む。チクチクした軽い痛みではない。ザックリとえぐられるような痛みだ。確かに感動的ではあるのだが、テレビで垂れ流されるような安い“感動”ではない。読んだことを後悔して、痛みにのたうち回るような“感動”だ。

強烈な作品を作り続ける作者はどんな人物なのか


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殺人、暴力、レイプ、痴呆、ホームレス、児童買春……皆が目を背けるようなテーマを、正面から描ききる。痛みに弱い人は耐えられないかもしれない。だから誰彼かまわずに、オススメはしない。私自身、氏の作品を読む時は心身ともに健康な時と決めている。病んでいる時に読むと、作品の熱量に負けてしまうのだ。

そんな強烈な作品を長年にわたって作り続けてきた作者はどのような人なのだろうか? 緊張しながら新井さんのスタジオがあるマンションへ足を運んだ。

いかにも漫画家らしい雑然としたスタジオの中に座る新井英樹さんは、想像とは違い、丸顔で笑顔が優しいおじさんだった。

幼少時代から、お話をうかがった。

「小さい頃から体育会系に憧れてた。今思うと読んでいた漫画の刷り込みが強かったと思う。本宮ひろ志と梶原一騎。『男たるものやらねば駄目!!』と思っていた」

実際、母親に幼少期からモダンバレエの教室に通わされていた。子どもができたら、モダンバレエを習わせる、というのが貧しい家出身の母親の夢だったという。

「そのせいで小学校高学年の頃には全身筋肉バッキバキだった。腹筋も割れまくってた」

学校では運動神経がいい男子というレッテルを貼られていたので、本来は得意でない陸上競技や水泳も、必死になって練習していた。ただ、運動も好きだったが、漫画や映画も好きだった。新井さんのお父さんは映画ファンで、毎週一緒に映画館へ行った。

最初は子ども向けの映画を観ていたが、だんだん大人向けのリバイバル映画に連れていかれるようになった。

「タクシー運転手の話だよ、なんて言って『タクシードライバー』(マーティン・スコセッシ監督作品 アメリカン・ニューシネマの代表作を観させられたりね。結構な衝撃だった(笑)」

小学校高学年になって、友達同士で漫画をノートに描いて見せ合う連載ごっこを始めた。みんな、当時人気が高かった、本宮ひろ志、水島新司、永井豪を真似た漫画を描いていた。その中に北本君というとてもうまい子がいた。

新井少年が北本君に「将来はやっぱり漫画家になるの?」と聞くと、北本君は「僕は編集者になろうと思ってるんだ」と答えた。

「こんなにうまいやつが漫画家じゃなくて編集者になるっていうんだ。だったら漫画家になるのはよっぽど厳しいんだなと思った。今思えば、小学生で編集者になりたいってなんなんだよって話だけどね(笑)」

多数派が大嫌い

スポーツをして、漫画を描いてと、いたって健康的な少年だった新井少年だが、小さい頃からなぜか多数派が大嫌いだった。

「僕らが小さい頃のヒーローって一匹狼だったよね。反体制派、『愛と誠』(梶原一騎原作・ながやす巧作画)の主人公、太賀誠とかね。えらそうなヤツに怒りを感じるのは標準だったと思う。『週刊少年ジャンプ』のキャッチコピー『友情・努力・勝利』なんて最悪だよね。もちろん個々の作品を揶揄するわけじゃない。でも『友情・努力・勝利』は多数派が正義だってのを教え込むだけだと思う。いじめやファシズムの温床になりかねない」

中学校に入ると、不良グループがいて結構ひどい悪さをしていた。クラス内では「クラスの子がやつらに被害を受けたら、みんなで助け合おうね!!」という話になっていた。新井少年は、わざと不良グループを怒らせてケンカをした。クラスのみんなはその様子を、ぼーっと見ていた。誰も助けない。

新井少年は、なんだか妙に悔しくなって、ボロボロ泣いてしまった。次の日も、次の日もケンカをした。不良グループに押さえつけられて、顔面を蹴られていても、誰も助けに来なかった。

不良グループが嫌いなのは変わらなかったが、それでもクラスのヤツらよりはこいつらのほうがマシだって思えた。

「険悪な雰囲気のままだけど、不良グループと話すようになった。とにかく『体制側は気持ちが悪い』っていうのが刷り込まれた。それは今でも変わってない。ネット上でも『こいつが悪人だぞっ!!』ってなった時に、こぞってみんなが責める時の気持ち悪さは虫酸が走る。どんなに嫌いなヤツでも、多数に責められてたら、俺は嫌いなヤツの側につきたいね」

中学時代も、高校時代も、漫画家になりたいという気持ちはあったが、漠然と運動部を続けていた。高校時代はラグビー部で活躍した。高校最後の春合宿は、かなり自信に満ちて挑んでいた。将来体育会系で生きるかどうかはずっと悩んでいたが、その時分は「大学に行ってもラグビーをやろう」と思っていた。

春合宿が終わる5分前、2人がかりで止められたのを跳ねのけた時、足首がぐるっと回った感じがした。すぐにグラウンドから引きずり出され「ここで待ってろ!!」とコーチに言われた。座って足を眺めていると、足首がみるみる腫れあがり、スパイクを脱ぐことすらできなくなった。

「終わったな。いろいろ頑張ってきたけど、こんな結末をむかえるんだ……」

と思った。1日だけ入院して家に帰った。

高校生なりに無常を感じたのだろう、

「運動しないなら飯は食わなくていい。今までラグビーをするために食ってたんだから」

と食事をとらなくなった。

1日1冊本を読むと決めて、毎日読書に明け暮れた。周りからは、「新井はケガをしてから変わった」と言われた。

それだけ、ラグビーをあきらめるのはつらかった。

ラグビーをあきらめたのだから、ついに漫画を描き始めたかというと、そうでもなかった。大学に進学すると、アルバイトをして、女の子と遊び、麻雀をするという日々を繰り返した。大学4年になると、周りの学生は春から就職活動を始めたが、新井青年は夏も終わりかけた頃悠長に始めた。

漫画家にならないならどこで働いても同じ

「漫画家にならないならどこで働いても同じだと思ってた。行きたい会社もなかったし。古くからの友達に『新井付き合えよ』って言われたので、会社の面接についっていった」

行ったのは文具メーカーとパチンコメーカーだった。友達と一緒に受けて、2人ともどちらの会社も受かった。小学校から大学までずっと一緒に過ごした友人だったので、就職先まで一緒ってのは気持ち悪いから分かれようという話になり、友達はパチンコメーカーへ、新井さんは文房具メーカーに就職した。

もちろん、文房具には何の興味もなかった。会社の机のいちばん上の引き出しには、問屋さんがくれたお絵かきセットしか入っておらず、暇があれば落書きをしていた。会議中に絵を描いていたら、社長に激怒された。一時は同期みんなでセールスに出ると、雀荘に集まって夕方まで麻雀を打っていた。

企業に飛び込みで売り込みをした時には、

「おたくのセールスポイントはなんですか?」

と聞かれて、

「ん〜。ないですねえ」

と素直に答えた。

この時はなぜか契約を取れたのだが、つくづく営業は向いてないなと思った。

そんな折、学生時代から付き合ってきた彼女に、

「君は変わった」

と言われた。仕事がつまらないとか、愚痴しか言わない、となじられた。

そして、その直後にこっぴどく振られた。23歳の新井青年は、ボロボロになった。そしてそのまま会社を辞めた。

彼女に振られて、漫画を描き始める


いかにも漫画家らしい雑然としたスタジオの中に座る新井さん(写真:筆者撮影)

「なんで愚痴ばっかり言うかというと、ちゃんと自分の仕事をしてないからだ、と気づいた。もう『できないからやらない』なんて言ってる場合じゃない。もう漫画を描くしかなかった。彼女に振られて、漫画を描き始めるなんて、かっこ悪すぎるけど、それでもいいやって思った」

基礎的な知識もなかったので、小学校の時に買った漫画入門を引っ張り出して参考にした。それから実家に引きこもって、ひたすらに漫画を描き続けた。

「ラッキーなことに、その夏に描いた作品が『モーニング』(講談社)のちばてつや賞で入選がもらえた。なんとか引っかかるんだって。そして次の春に『アフタヌーン』(講談社)の四季賞の大賞が取れてデビューできた」

大賞は取ったものの、それまでアシスタント経験もなかったから、連載の取り方はわからなかった。

「みんな読み切りを描いて、そこに登場するキャラクターを活かして企画を立てて連載を取るのね。そんなの知らなかったからいつも最後には主人公を殺してた。『この物語は俺が終わらせるんだ!!』って(笑)」

初めての連載が決まった時も、喜びよりも、「この読み切りの設定で、月1回の連載を続けるのはキツイな……」と思った。

漫画家としての経験が浅かったので、連載直前に『ああっ女神さまっ』の藤島康介さんのスタジオにアシスタントに2回(合計10日間)入ることになった。

とにかくアシスタントに来た以上は、すべてのテクニックを手に入れようと思った。背景の描き方から、道具の選び方まで、根掘り葉掘り聞いて基礎は全部教わった。

「今思うとアシスタントに入ってる間に、とんでもなく失礼なこと言ってたと思うんだよね。何を聞いたか具体的には覚えてないんだけど、藤島さんが『数字が答えを出してますよ』って厳しい顔で言ってたのを覚えてる。たぶん『売れてたって意味のないモノもあるんじゃないですか?』とか聞いたんじゃないかな。もう俺は最悪の人間だよねえ。本当に、藤島さんには『ごめんなさい』と今でも謝りたい」

その後めでたく、連載は始まったが、1年で打ち切りになった。

初期の代表作『宮本から君へ』が誕生した

しかし、その後に描いた読み切りが編集部内で評価され、サラリーマンものを描かないか?と打診された。それで始まったのが、初期の代表作『宮本から君へ』だった。サラリーマン時代の経験を大いに生かした物語だった。連載の中で、主人公である宮本が実家を出ることになった。

「その時はまだ実家に住んでた。実家に引きこもって漫画ばかり描いてたから、おカネに困ったことはなかった。プロになっても一人暮らししたいとか全然なかったんだけど、宮本が家を出るなら俺も出ないとまずいなと思ったんだよね」

一人暮らしを始めて、漫画修業時代からの引きこもり生活は終わるかと思われたが、むしろ逆の展開になる。

25歳の時、出版社が主催する年末の交流会に参加した。漫画家が一堂に会する、規模の大きいパーティだ。パーティの翌日、40度の熱が出て3日間寝込んだ。次の年も、その次の年も、その次の年も、4年連続パーティ翌日に40度を超える熱が出た。

「熱の原因は、自己嫌悪だね。若い漫画家同士で飲んでると、つい大きい話をしちゃう。こんなすごい漫画描くんだ!!とか言っちゃって、それで後でひどく後悔する。あと、人にひどいこと言っちゃう癖がある。藤島さんの時もそうだけど。悪意はないんだが、ついギリギリのことを言って波風立たせたくなる。でも実は全然ギリじゃなくて、モロにアウトなことを言っているんだ。『寄生獣』の岩明均さんと会った時、内容は忘れてしまったのだけど、つい傷つけるようなことを言ってしまった」

次の日、激しい自己嫌悪に陥った。自分が落ち込むのもやだけど、人を傷つけるのはもっと嫌だった。

「本当に今でも岩明さんにも『すいません』って思ってる。謝りたい。その時、心の底から自分は加害者だって自覚して、もういっさい表に出るのをやめようと思ったんだ」

新井さんは、そうして29歳の時から外に出るのをやめてしまった。マンションから出るのは週に2回コンビニに行く時くらいで、後はひたすら事務所に閉じこもって漫画を描いた。

新井英樹は作家としてのブランドイメージを作るために人と会わないんだって、と言われることもあったが、内情はぜんぜん違った。そんな引きこもりの生活は50歳まで、実に20年間も続いた。『愛しのアイリーン』『ザ・ワールド・イズ・マイン』といった新井英樹を代表する作品はそういう環境で生まれたのだ。

「そう言えば『愛しのアイリーン』の途中で子どもが生まれた。子どもが生まれたから丸くなったって言われるのが嫌で人が死にまくる『ザ・ワールド・イズ・マイン』を描いた(笑)」

連載終了から16年が経った今でも、いまだに傑作、怪作としてもてはやされる『ザ・ワールド・イズ・マイン』だが、決して順調な連載ではなかった。

新井英樹作品の特徴

新井英樹作品の特徴のひとつに、物語がどこに向かっているのか、主人公が何をしようとしているのが、なかなかわからない、というのがある。

漫画教室などでは、「1話目でどのような物語で、主人公が何をしようとしているかわかるように描きなさい」としつこく指導されるのが一般的だ。目的がわからないままの物語を読むのは、とても疲れるからだ。疲れる漫画に読者はつきにくい。

「俺は物語がどこに行くかわからない話が好きなんだよね。たとえば『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』(ジョン・ル・カレ)とか。数時間読んでも何をしてるか全然わからない。でも途中からどんどんわかってきて、ぐんと面白くなる。そして、最後はすごい感動する。そういうのを描きたいんだ」

しかし残念ながら読者はついてこなかった。連載2〜3回目で編集者から「新井さん、今回の連載は失敗です」と言われた。

それでも続けていたが、5〜6巻あたりから本格的な打ち切りの話が出た。

「『ザ・ワールド・イズ・マイン』の延命策は大変だった。担当の編集者と編集長に何度も頼み込みに行った。最後まで描き上がったら、そこそこの傑作にはなるはずだから、続けさせてください!!って頭を下げた」

そうして続けていた作品だったが、ついに打ち切りになった。ただし、その時は新井さんの作品だけが打ち切りになったわけではなかった。

当時『ザ・ワールド・イズ・マイン』を連載していた『ヤングサンデー』は『殺し屋1』(山本英夫)など、暴力的だったり、エロチックだったりする、クセのある漫画が人気を博していた。それらが対象になったのだ。

4年にわたる連載は打ち切りになった。貯金通帳を見ると、7万円しか残高がなかった。

「俺は人物を描いても下手くそなので、これで原稿料もらうのは申し訳ないと思う。その代わりに背景をいっぱい入れている。そうしたら、原稿料に見合う原稿になるだろうと思ってね」

背景を描くのは基本的にはアシスタントだ。背景をたくさん入れたら、当然アシスタント代がかかる。原稿料内ではおさまらず、赤字になった。赤字分は印税で取り戻したいところだが、単行本もそれほどは売れなかった。

「今までの連載を振り返ると、『SCATTER -あなたがここにいてほしい-』を除いて、全部打ち切りだったね。ただ、カネがなくなって、生活できなくなったらどうしよう……とはあまり思わなかった。かみさんも漫画家で、共働きだったからすぐに食えなくなることはないだろうと楽観的に思っていた。むしろ制作の資金がなくなることで、漫画を続けられなくなったらどうしよう、というのが心配だった」

「カネを稼いでいる人が勝利者」という考え方は嫌い

新井さんは1つの動機として「カネを稼ぐために漫画を描く人」は正しいと思うが、「カネを稼いでいる人が勝利者」、という考え方は大嫌いだという。

テレビで流れる「金持ちの豪邸拝見」のような番組。家具も、絵も、本当は興味のないものばっかり置いてるんじゃないか。金持ちになったらこういう物を買うんだって刷り込まれたことをやってるだけじゃないか。それが人生の勝利者なのか。

引きこもって漫画を描いている時は、わざとむかつくテレビを流しっぱなしにして、腹に怒りをためて、原稿に吐き出した。漫画だけを描いている生活も楽しかったが、作品の感想をほとんど聞かないので、どんどん自信がなくなっていく。そして、どんどん人間が嫌いになっていった。

「20年も引きこもっているとだんだん思想が『人間どもめ!!』って感じになってきた。これはまずいなと。このままだと登場する人物を全部ブチ殺すことになっちゃうよって(笑)。それで、外に出ようってなった。

あと外に出た理由をあげるとしたら、今世の中はだんだん悪くなっていて、そのしわ寄せが若い子たちにいってる。そのことについて描きたかったけれど、頭の中にある抽象的な若い子に向けてでは真剣になれなかった。

だったら、リアルな若い子と知り合いになれば『あの子が不幸になるんだ』と具体的に思えて、自分ごとになれるだろうと思った……でもなにより、“寂しかったから”というのがシンプルな理由かもしれないね」

新井さんは20年ぶりに外に出た。

せっかくだから、いろいろ新しいことをしようと思った。今まで、バーで1人で飲んだことはなかったが、飛び込みで入って知り合いを作った。

ゴールデン街で飲んでいたら、知り合った人から「『宮本から君へ』を読んで人生が変わりました!!」と言われ、自分の作品が若者に影響を与えていたことを知った。ずっと断っていた、トークライブも依頼されたら出演することにした。

そして、女装をして街を歩いた。

「ホテルで女装して外に出たんだけど、この年であんなに緊張して、心臓がバクバクすることがあるとは思わなかったよ!!」

50歳を過ぎて人と会うようになって、時間の経ち方が遅くなったという。

「不思議なもので、引きこもって漫画を描いていた時はまったく人恋しくなかったのに、人と会うようになったら人恋しくなるんだね」

熱量の高い作品を描き続けてこられた理由

最後にあらためて、高い熱量の作品を20年以上にわたり描き続けてこられたコツはなんだったのか、うかがった。

「好きな作品だけ描いてこられたのはよかった。ほかの漫画家に話を聞くと、下積み時代に描きたくないものを描かされたなんて話も聞くから。つねにこの作品が遺作になってもいいと思える作品しか描きたくなかったし、描いてこなかった。

今までは後悔はなかったんだけど、『なぎさにて』という作品がこないだ打ち切りになっちゃった。それで『この作品は未完なので、死ぬまでに絶対に描き上げる』って宣言してしまった。やり残しができてしまった、ヤバイぞ!! って思っている(笑)」

『なぎさにて』は、新井さんがはじめて自分ではなく、他人に向けて、特に若い人たちに向けて描いた作品だという。

「結局、自分が好きなことを見つけるしかない。もし見つけられたら、人生勝利したと思っていいと思う。

こんなこと言うの青臭くって嫌だけど、人間いつ死ぬかわからない。老後のために貯金っていうけど、そもそも“老”まで生きられると思ってるのって? 人は死ぬ時は死ぬ。保険かけていたって仕方がない。若い子は『人生これしかない』って決めて、信じてることに一直線になる時代があっていいと思う。それで痛い目にあったってそれはそれでいいしね。

大人はそんな若い子に『そんな夢みたいなこと言ってるんじゃない』って言ってあげるのが優しさじゃないかな? もちろん、刃向かってきてほしいんだよ(笑)」

新井英樹さんは笑顔で優しいおじさんだけれど、話していると時折ギラリと刃が見える瞬間がある。それが、読む人の心をえぐる漫画を作る作者の一面なのかもしれないと思った。

冒頭で「誰彼かまわず新井さんの作品をすすめているわけではない」と書いたが、それでもやっぱりより多くの人に新井英樹作品を読んでほしい。

読んで、心を痛め、のたうち回ってほしいのだ。