熊燕さん(31歳)。息子の区文迪君(8歳)は香港の小学校に通う。深圳の自宅にて

香港がイギリスから中国に返還されて20年が経った。香港が置かれた「一国二制度」とは、高度な自治を約束され、中国本土の社会主義体制に染まる必要がない50年の猶予期間。当初はこの間に、中国が香港化するのではないかという「期待」もあっただけに、今日の結果を誰が予想できたであろうか。
現実は、香港が中国化してしまった。その現実を認めるには、なにも返還記念式典に中国の習近平国家主席がやって来て、「中央政府への挑戦は許さない」と演説して香港の独立機運ににらみを利かせる必要も、閲兵式と称して誰に銃口を向けているかわからない人民解放軍を見せびらかす必要も、実はなかった。
ここに取り上げた中国人の庶民の目を通して見れば、香港がいかにして中国化しているのかがよくわかる。香港と中国本土の間(はざま)にいる家族を通じて浮き彫りになる「香港問題」を3回に分けてお届けする(前編はこちら)。

「香港に住むつもりはない」

熊燕さん一家も深圳に住み、息子、区文迪君を香港の公立小学校に通わせている。

熊燕さんは、大陸の四川省出身だが、夫は香港人。「双非」とは異なり、一家で香港に住むこともできるが、熊燕さんは「香港に住むつもりはない」ときっぱり言う。


ピアノが置かれたリビング。「香港ではこの半分の広さにも住めないかもしれない」と話す

「今の家は広いでしょう。もし香港で家を買おうとしたら、この半分の広さの家にも住めないかもしれません。不便になると思います。こちらのほうが気楽だし、物価は香港より安いですから」

マンションの建物自体はそう新しくはないが、2LDKはある家は確かに広い。家の中心を占めるリビングは、ソファやアップライトピアノが置かれても、まだまだ余裕がある。

部屋の一つは文迪君の部屋に充てられていて、その壁の一面には学習用の黒板が貼られている。「将来の君は、いま頑張る君に感謝する」という標語まで書かれている。別の壁には、人が成功を手にするプロセスが図説されていて、「やりたくない」から始まって、最後には「やり遂げた」と笑顔で万歳ポーズをとる人型のイラストが描かれていた。


成功を手にする様子を描いた図。教育熱心な家庭のようだ

そんなふうに子どものやる気を鼓舞する教育熱心な熊燕さんは、息子が香港の学校を終えた後の将来のイメージを次のように語る。

「大陸は発展途上ですが、彼らが大きくなる頃には、力を発揮できる時代が来るでしょう。でもどこに行くかは実は同じです。(一国二制度が終わる)50年後は、香港は中国のものになるでしょう。香港は今でも中国のものですが、30年後にはすべてのシステムが大陸と同じになるでしょう。だから将来どこで働くかは彼の希望によると思いますが、私は大陸でもいいと思っています」


文迪君の通う学校は3分の1を中国本土からの生徒が占める

文迪君は、毎朝自宅から出入境ゲートまで約20分歩き、香港に入ってからは電車、バスを乗り継いで1時間以上かけて香港北部にある小学校に通う。長い通学時間は、越境して通う子ども達が共通して抱える苦労だ。学校によれば、約730人の生徒のうち大陸から通う生徒は200人以上。約3分の1を占める。

応募者のほとんどは、中国本土に住む子どもたち


新入生募集のための試験があった上水恵州公立学校。6月8日、香港にて

6月8日。香港北部、上水地区の木々は青々と茂っていた。その美しい街路樹が並ぶ通りに面する小学校、上水恵州公立学校では9月から始まる新学期に向け、新入生を募集する試験があった。正午過ぎ、学校の門が開放されると、大人たちに手を引かれた子どもたち、いやむしろ子どもの手を引く大人たちで、校内は朝の山手線のような混雑となった。

そして中国本土の言葉である普通話が大声で飛び交った。学校によれば、15人の募集枠に応募は400人近く。募集に際し、香港と本土の子の区別はしないが、ふたを開けてみれば応募者のほとんどは、中国本土に住む子どもたちだったという。

両親が中国人でも香港で生また子どもが香港籍を得られた最後の年が2012年。その子どもたちが就学年齢に達するこの1〜2年、香港が受け入れる越境児童の数はピークを迎える。

先生が広東語で試験の手順を説明する。親たちが話す普通話の声量に負けないよう大音響のスピーカーを使っているが、聞き取れない親もいたようだ。学校側は普通語を使うスタッフも用意していた。

親たちにこの学校を希望する理由を聞いてみた。


応募したのはほとんどが中国本土からの子どもたち

「香港は教育、衛生、交通の秩序がより良いからです。香港の小、中、高に通ってほしいです。子どもの戸籍は香港だからここの教育を受けられるし、大人になったとき、仕事を探すにもいいと思います」


募集は15人だが応募は400人近くという狭き門

そう話すのは黒いリュックを体の前に掛けて娘の手を引いていた母親。娘は香港で出産したという。

連れていた息子に白いシャツと紺のズボンというきちっとした服装させていた別の父親は次のように言う。

一途な親の思い

「香港は自由な所で、文化の面でも大陸と異なっていますから。教育の理念も大陸とは違いますから」

いずれも両親とも中国人の家庭であるという。

そのほかにも話を聞いてみたが、いずれの親たちからも、英語をはじめとする高い教育水準に期待する以上に、中国本土よりも自由で開放的、西側先進国とほぼ変わらない環境で、子どもを学ばせたいという気持ちがにじんでいるように思えた。


試験に臨む子ども。ある親は「香港は自由な所」と応募の理由を話す

子どもたちが試験を受けている間、親たちは体育館に設けられた待合室に通され学校の活動を紹介するビデオを見せられていた。沖縄で過ごした修学旅行の映像も流れた。中国本土の学校ではまずありえないだろう。その映像を食い入るように見つめていた親たちの一途な表情に、私は少しほろりとさせられた。

しかし、香港の市民は必ずしも彼らを歓迎していない。本土の子どもたちが多くやって来る地域で話を聞いてみると、予想以上に反発の声が強いのである。