老舗の二代目が目指す「日本人が来ない寿司屋」

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シンガポールで人気の寿司店、はし田シンガポール。東京・勝どきの老舗寿司店の2代目、橋田建二郎(38)が、シンガポール人の出資者を得てオープンした店だ。

客の95%は非日本人。地元のシンガポール人が7割、そしてインドネシア、タイ、マレーシアからも、橋田が握る寿司を求めて、はるばるやって来る。最近は、フィリピンやカンボジアからの若い起業家の客もちらほらと増えて来ていると言う。

看板メニュー(シグネチャー)は、大トロを大振りの薄いスライスに削ぎ切りしてから、ふわりと酢飯にまとわせたもの。薄く切ることで、シンガポール人の大好きなとろける食感を実現するだけでなく、客の前で、ダイナミックに大きな塊から切り出し、それが間髪おかずに寿司として握られて出てくるというのも、人気の秘訣だ。

橋田は、「寿司はシンプルな料理だけに、どこの寿司屋も、どうしても同じ印象になってしまう」と常々感じてきた。だからこそ「誰もやっていないことをやり、記憶に残る寿司屋にしたい」。それが前出のシグネチャーであり、寿司に限らず、モダンな西洋風の盛り付けをした料理の数々を提供している理由でもある。


シグネチャーの大トロの握り

とはいえ、地元で受け入れられる味作りも意識している。シンガポール人は全般に強い塩味や酸味を好まないが、日本の本来の味のバランスを崩したくない。そこで、酸味を使う場合は、すだちを絞ってポイントで使う、米酢にシンガポール人に馴染みのあるトマトの酸味を合わせるなど、独自の工夫を凝らしている。

そんな橋田をシンガポールで一躍有名にしたきっかけは、日本にいた頃から作っていたマカロンだ。

──橋田は20代の頃、店で寿司を握るだけでなく、ケータリングもしていた。大きなパーティー会場で、その他にフレンチやイタリアンのケータリングが出ていても、寿司の人気は強い。多くの客が行列する前で寿司を握りながら、橋田はそれに満足していた。

しかしある日、異変が訪れた。フレンチのシェフが突然、当時日本で流行り出したスイーツ、マカロンを並べ始めたのだ。それまで自分の寿司に並んでいた客が、一気にマカロンに群がった。悔しかった。

折しもその翌日、東日本大震災が起きた。外食どころではなく、店は開けたものの、キャンセル続きで客は来ない。ガランとした営業中の店で、昨日の悔しさを噛み締めている中、思いついた。どうせやることがないのだから、自分もマカロンを作ってみよう。銀座のデパ地下でありったけのマカロンを買い集め、研究した。

「どのマカロンにも生地そのものにあまりフレーバーがない」と感じた橋田は、試行錯誤の末、生地にほうじ茶のパウダーを練り込み、餡とバターのクリームを挟んだ、香り高いマカロンを完成させた。

そのマカロンは、日本で橋田を一躍有名にし、一度に20個のマカロンしか焼けない、はし田の小さなオーブンをフル回転させ、一時期は週に2000個のマカロンを焼いていたのだという──



誰もがやらないことをやる。寿司屋が作る和素材のマカロン──。橋田はシンガポールでも、このアイデアは通用するだろうと踏み、オープン当日から自分で焼いたマカロンを提供した。想定は当たった。その組み合わせの面白さに、シンガポールのメディアも飛びついた。毎日のようにインタビューを受ける日々が、約2か月続いたという。

順風満帆なスタートに見える。しかし、内情は違った。「一週間もしないうちに、本気で東京に帰ろうかと思った」と、橋田は当時を振り返る。

来る客来る客、カウンターに座った途端、「私は普段◯◯という店や××という寿司屋に行っているの」と他の高級寿司店の話をする。今、目の前にある自分の寿司を楽しんで欲しいのに、他の店の話をするのは、失礼極まりないと感じた。

ある日、親しく話した客の一人に、思い切って聞いてみた。すると、意外な答えが返ってきた。「私たちが他の店の名前をあげるのは、普段から江戸前の寿司店に通っていて、ちゃんと寿司を正しく楽しめるから、外国人だからと手加減しない、本物の寿司をよろしく、という意味なのよ」。

自分が、シンガポールの客を知ろうとしていたのと同じように、客も、自分たちのことを知ってもらおうとしていたのだ。シンガポール流のコミュニケーションだったと気がついて、受け止め方が変わった。

シンガポールは小さな国だけに、噂が広まるのが早い。特に、夜は客単価400SGドル(約3万2000円、飲み物含む)にもなるはし田に通える財力のある富裕層の社会は、非常に狭い。東京からの仕入れの都合で良い状態の寿司が出せなかったり、不快な思いをさせれば、あっという間にその噂は広がる。だから、気が抜けない。

また、富裕層であればあるほど、通り一遍のサービスではなく、自分を見てサービスされている、という感覚を大切にする。特に、客の大半を占める中華系の間では、日本人以上に、酒を通してその場が盛り上がることを重視する。

そこで役に立ったのが、青森から身一つで東京に出て来て、東京のはし田を、政財界の大物がお忍びでやって来る店にまで育て上げた父の教えだった。

「料理が美味しいのは当たり前、サービスや空間そのものを楽しんでもらうことが大切」というのが、父のモットーだった。そんな父は、橋田が20歳になった頃、週末ごとに京都に送り出した。「日本のエンターテイメントの粋である”お座敷遊び”を通して、いかに客を楽しませるかを学んで来い」。


カウンターの奥には、京都の芸妓さんからもらったうちわが並ぶ

「人と触れ合う仕事が好き」という豊富なサービス精神、お座敷遊びを通して学んだ、自分に求められている役割を素早く読み取る瞬発力、そして何よりも「相手目線」が、橋田の引力の源泉にある。

メディアに登場することが多い橋田目当てで店に来る客も多いが、橋田は、自分の話を求められない限り、あくまでも脇役に徹する。初めて来る客にもきめ細かく声をかけ、上手にその輪の中に引き込んでゆく。はし田の引き戸を開けるまでは他人だった客同士で、いつの間にか話が弾んでいる、それがはし田の真の魅力でもあり、居心地の良さにもつながっている。

プライバシーもあるため、わざわざ橋田からお互いを紹介することはしないが、実は、席の並び一つとっても「この人とこの人を隣り合わせにすると、共通点が多く面白いのではないか?」などの深い配慮がその裏にはある。はし田のカウンターでの出会いが、ビジネスや友情に結びついて、また来てくれる。そんな良いシナジーが生まれる場を作り出すことが、愛される店づくりにもつながっているのだ。

そうして客同士の話が弾んでいる間に、橋田本人は別の個室に移動して、そちらを盛り上げるというわけだ。

昔から商業の街として栄え、世界中の料理が食べられるシンガポールを、橋田は遊園地に例える。「中華やマレー、インドなどの小さなセクションに分かれていて、それぞれのアトラクション=レストランに、シェフがいる。世界から集まった、個性のあるシェフたちがしのぎを削っている場所」。

しかし、遊園地という言葉の持つのどかなイメージに反して、その内情は熾烈だ。1日に1軒レストランがオープンし、2日に1軒が閉店する外食激戦区。新しいもの好きのシンガポール人は新店舗に流れる。ただ美味しいだけでは生き残っていけないのだ。

その厳しさも怖さも、当然橋田は十二分に承知している。更なる展開を考え、オープンから3年後の2016年6月に店舗を移転した。3つの個室を作り、後ろを通路で繋いだ。席数を増やしつつも、橋田がスムーズに全ての個室を行き来できるようにしたのだ。くつろいだ親近感が生み出される、個室のプライベート感を残しつつ、エンターテイナーとしての魅力溢れる「ハッチ(橋田の愛称)に会いにくる」という客を満足させるために考え出したレイアウトだ。

今は寿司職人という仕事を天職だと思っているが、子どもの頃は、画家になりたかった。父に反発した10代の頃は、家を飛び出して路上アーティストをしていたこともある。しかし今、そのマルチな才能は、店の外の話題作りにも一役買っている。

アーティストとして美術展で絵画の展示を行い、地元雑誌のバレンタイン特集では「愛」をテーマに英語でポエムを披露するなど、なんでも面白がって自分のものにしてしまう。いつの間にか、地元メディアの間には「ハッチに振れば何か面白い答えが返って来る」という期待感が醸成されている。今年の4月に行われた4周年記念イベントには、地元のグルメ雑誌、エピキュア(Epicure)が協賛するなど、地元メディアのバックアップも手厚い。

「一生料理は続けるだろうと思う」と語るが、「はし田」を橋田建二郎、という一人の才能に頼ることを、当人はよしとしていない。店の外で、湧き出すアイデアを、形にしたいという思いが強いからだ。

来年3月には、アメリカで出資者を得て、サンフランシスコに寿司と生蕎麦をコース仕立てで出す店を作る。さらに来年12月には、父から受け継いだ東京の本店を、自分のスタイルの新しい店に生まれ変わらせる。橋田本人は、それら各店を回ることを考えている。

しかし、はし田の魅力の一つである、楽しさやエンターテイメント性は、現在のシンガポール店を見てもわかるように、橋田本人のキャラクターによるところも大きい。多店舗展開で、橋田が不在の間、どんな風にその魅力を保っていくのか。そんな質問を橋田に投げかけると、こんな答えが返って来た。

「それぞれに違う形のエンターテイメント性があって良いと思う。ディズニーランドに、いろいろなキャラクターがいるように。今、それぞれのスタッフの良さを考えて、伸ばそうとしているところ。それぞれの味が出たところで、引き継いで行く」

父から受け継いだ、「サービスや空間も含めて、客に楽しんでもらう」というはし田のDNAは、それぞれの地域やスタッフによって最適化され、新しいスタイルになっていけばいいという。

東京に改装オープンする、新生はし田本店では、コンセプトをガラリと変える。考えているのは「日本人が来ない店作り」。焦点を当てるのは来日客。スタッフはサンフランシスコ店で研修し、全員が英語対応できるようにしようと考えている。日本人が嫌、というわけではなく、違いを面白い、と捉えてくれる外国人に魅力を感じるからだ。

「伝統的な店があるからこそ、自分の良さが引き立つ部分もあるし、その逆もまた言える」と橋田は言う。

アーティスト、デザイナー、ブランドコンサルタント──。とにかく、やりたいことが多すぎる。

現在は、AIに精通する友人と共に、様々なプロジェクトを進めている。名店の味をAIに分析させて、三ツ星の味が食べられる寿司ロボットを作れないか。特殊な手法で声を形にしたデザインの食器を作ってはし田で出したら面白そうだ。創造力と想像力溢れる友人たちと、そんなことを話し合うのが、面白くてたまらないのだ。

古き良きおもてなしの心を残しつつ、既成概念にとらわれない自由さとダイナミックさで、寿司という昔ながらの世界に風穴をあける。橋田二代目は、海外から日本の外食産業を面白くしてくれそうだ。