ウェブを検索して情報を集め、ロジックをつくり込み、パワーポイントの資料に落とし込んで企画書が完成。その時点では充実感があるものの、いざ「成果が出せるのか?」と問われると急に自信がしぼんでいくことに…。そんな経験は、誰にでもあるのではないでしょうか?

そんなとき、上司を説得するために必要なものは「エビデンス(自説を裏づける事実)」だと説くのは、『超・検証力〜その仮説は本当に成果を出せるのか?』(高野研一著、大和書房)の著者。また、エビデンスを取るためには、仮説の検証が必要になるとも主張しています。

「自分の仮説が正しいとすれば、こんな調査・実験をやってみれば、こんな事実が得られるはずだ」という検証法を考え、次々と実行に移していくことが大切だというのです。潜在的な顧客を筆頭とする人たちに会って、自分の仮説をぶつけて相手の反応をみたり、意見を求めたりする。そこでエビデンスが取れたものだけを企画書に落とし込むということ。

いま、情報革命の到来によって将来が見通しにくくなり、過去の成功パターンが通用しなくなってきている。

また、情報が瞬時に伝達されることで、もはやウェブ検索して得た情報では、差別化できなくなってきている。成果を生むことが、かつてないほど難しくなってきているのだ。

こうした時代においては、仮説の検証もしないまま施策を実行に移すことが、多くの人の時間と労力を浪費させ、疲弊感や閉塞感を生んでいく。いま必要なのは、過去の経験則ではなく、情報収集力でもなく、見えない将来を照らし出すための検証力なのだ。(「まえがき」より)

あるアイデアを思いついたとき、「なぜそれが成果につながるのか」についてのメカニズムや、成果を左右するファクター(要素)についてイメージし、「そこに仮説があるかどうか」が重要だということ。仮説さえ持てれば、それを検証することが可能になります。そして、自分の仮説を裏づけるエビデンスが得られたものだけを実行に移せばいいわけです。

仮説・検証ができれば、日々の試行錯誤が実り多いものになっていくと著者はいいます。ただし、成果を生む「見えないメカニズム」について仮説を保つために必要なのは、「自分になにが見えていないか」に気づくこと。自分にとって死角になっているところに、成果につながる鍵があるものなので、そこを解明できるとブレイクスルーできるという考え方です。

そのためには、資格を生み出す脳のメカニズムについて知る必要がある。(中略)考えるのをやめて、無意識の世界を活性化させると、いままで見えていなかった世界に気づくことができる。(「まえがき」より)

そこで「無意識の世界を活性化させることにより、見せない世界を『観る』方法」を紹介しているという本書の第1章「なぜ、企画や会議が成果に繋がらないのか?」から、いくつかの基本的な考え方を引き出してみましょう。

検証=反省ではない

ミーティングや会議、企画の段階で検証をうやむやにしてしまうと、なかなか成果は期待できないもの。にもかかわらず、私たちは検証をせず、やりっぱなしにしてしまいがちです。その原因について著者は、「検証=反省と考えてしまうからなのではないだろうか」と推察しています。

多くの人は、優秀な人材を集めてミーティングや会議を繰り返し、結論が出た時点で「仕事が終わった」と考えてしまう。そして、そこから先は「うまくいくはずだ」という神頼みの世界に入るーー。しかし多くの場合、それではうまくいかないというのです。過去の成功パターンが通用しなくなっている現代においてはなおさら。

そこで、失敗が明らかになってから検証しなければならない羽目になるわけですが、自分たちの結論が外れたときの検証は、反省か、下手をすると犯人探しになってしまい、決して前向きにはなれないもの。そのため、仮に検証するとしても、誰もがわかりやすい原因を取り上げ、単なる「学び」として次に進んでしまうというのです。しかしそれでは、なにも得るものはないわけです。

情報革命というべき転換点においては、いきなり結論を急ぐことは危険だと著者。必要なのは、まず仮説を立ててみて検証することにより、「見えていない世界」を照らし出すこと。そしてそこでは、「検証=反省」ではないというのです。

「自分にとってなにが見えていないのか」「見えていない世界はこうなっているのではないか」。これが仮説だ。

そして、それを確かめるための調査や実験をデザインし、実施してみる。その結果として「なにが見えたのか?」これが検証だ。(20ページより)

いわば検証とは、目に見えない世界を垣間見るための方法論。ところが現実的には、反省会とみなされてしまっていると著者は指摘しています。それこそが、検証が行われていない最大の理由だとも。(18ページより)

結論を追い求めてはいけない

そもそも、私たちはあまりにも早く結論を導きすぎてはいないだろうか? 著者はそう疑問を投げかけます。たとえば将来の環境変化や、成果が生まれるメカニズムなど、「見えていない世界がどうなっているのか」を探ろうとしないまま、目に映った材料だけを頼りに結論を出してしまっている可能性があるということです。しかしそれでは、仮説が入り込む隙間もなくて当然です。

我々は「なにをすべきか」を問う前に、「自分にとってなにが見えていないのかを問う必要があるのだ。成果につながる鍵はそこにある。目に見える世界、ウェブで検索可能な世界の中に成功の鍵があるなら、とっくに成功していなければおかしいだろう。(21ページより)

これは至極真っ当な、とても重要な考え方だと思います。しかし現実的に、自分に見えない世界を問うということは、意外に難しいものでもあります。なにが見えているのかは容易に判断がつくものの、見えないものに対しては明確な答えを出しにくいからです。

けれども、「自分にはここが見えていなかったんだ」ということに気づくときがあるといいます。そして、それに気づくことができれば「見えていない世界はこうなっているのではないか」という仮説を立てることができるというのです。すなわち仮説さえ持てれば、それを裏づけるための調査や実験をデザインすることができるということ。

その上で実験してみれば、それまで見えていなかった世界を、実際に見ることができるということ。さらにいえば、「見えないからあきらめる」のではなく、見えないものを見ようとすることに意味があるのだと著者は強調しています。(21ページより)

観察することで、見えない世界が見えてくる

とはいえそこでネックになるのが、「見えていない世界はこうなっているのではないか」という仮説を、最初にどうやって手繰り寄せるか。このことについては、(逆説的ではありますが)結論を求めて一生懸命考えないことが、実は仮説にたどり着く近道なのだと著者は記しています。なぜなら答えを出そうとすればするほど、目に見えるものにすがりつくことになるから。その結果、「自分になにが見えていないのか」が見えなくなってしまうというわけです。

大切なのは、観察すること。しかも1日や2日ではなく、何週間も何カ月も観察し続けていると、いままで気づいていなかったことに気づく瞬間が訪れるというのです。そうしたら、そこで思いついたことをノートに書き留める。そんなことを続けながら、毎日ノートを斜め読みする習慣をつけると、自分に見えていなかった部分が次第に浮かび上がってくるのだそうです。重要なのは、目に見える世界だけを見て結論を急がないこと。(23ページより)

仮説からはなにも生み出すことができず、成功のために求められるべきは「検証力」。著者のそんな考え方は、物事の本質を言い当てているように思えます。探しているものは、検索するだけではたどり着けない場所に隠れているということ。だとすれば、それを探し当てる手段を身につければいいということです。そして本書はきっと、そのためのサポート役となってくれるでしょう。