出光興産・月岡隆社長(写真=Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

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 出光興産は7月20日、公募増資を実施し、発行済み株式の3割にあたる4800万株を発行、1200億円を調達した。この結果、創業家である出光家の持ち株比率は33.92%から26%程度に低下し、3分の1以上の持ち株比率が必要な昭和シェル石油との合併の拒否権を失ったことになる。

 出光興産の経営陣は、昭和シェル石油との合併に反対する創業家を追い詰める強硬策に出た。経営陣はこれまで「創業家の説得を優先する」と言い続けてきたが、事実上、創業家との全面対決に踏み切ったわけだ。

 出光興産は7月3日、公募形式で増資による新株を発行すると発表した。これに創業家は猛反発。創業家の代理人の鶴間洋平弁護士は7月4日、「持ち株比率の低下を目的とする不公正な増資だ」と主張し、東京地裁に新株発行の差し止めを求める仮処分を申し立てた。

 だが、7月18日に東京地裁が増資を認めたのに続き、東京高裁も19日、同じ判断を下した。

 次は、合併を決議するために必要となる臨時株主総会をいつ招集するかが焦点になる。総会で合併議案を通すには、ほかの株主の賛同を得る必要がある。公募増資で一般の株主の持ち株も希薄化した。経営側は合併による成果を具体的に示す必要がある。

 経営陣は総会前に創業家の説得を試みるが、創業家の権力構造が変わり、合併断固反対派が実権を握っている。説得は難しいだろう。

●宗像大社の再建に尽力した出光佐三

 今回は、経営陣と創業家の対立に関係なさそうにみえるが、実は関係が深い宗像大社について触れることにする。宗像大社は出光家の守護神だ。

 国連教育・文化機関(ユネスコ)は7月9日、「『神宿る島』宗像・沖の島と関連遺産群」(福岡県宗像、福津の両市)を世界文化遺産に登録した。

 沖の島は、4〜9世紀の古い祭祀遺跡が残り、発掘された約8万点の奉献品は国宝に指定されている。女人禁制の島で、男子は海水で禊ぎをしてから上陸するというしきたりが古代から守られてきた。

 一般の男子が上陸できるのは、1958年から毎月5月27日に行われる現地大祭のときだけ。応募して当選した200〜300人が禊ぎをして沖ノ島の宗像大社沖津宮に毎年、参拝した。

 世界文化遺産に登録され、古代からのしきたりを、どうやって守っていくのかが注目されている。宗像大社は、沖の島の現地大祭の一般参拝の募集を来年以降、取りやめる。観光地化するのを避け、信仰の対象として守られてきた沖ノ島を保全する。

 宗像大社は日本全国の宗像神社や巌島神社の総本山である。古代より朝鮮半島や中国大陸に行き来する海上の要所に位置していたことから、海上交通、交通安全の神として信仰を集めてきた。交通安全のお守りは宗像大社が発祥といわれている。

 出光興産創業者の出光佐三氏は、宗像大社と大いに関係がある。佐三氏は福岡県宗像郡赤間村(現宗像市)に生まれた。祖先は宇佐神宮(現・大分県宇佐市)の大宮司だった。江戸時代に一族の出光良元が赤間に移り住み、赤間出光の祖となった。だから佐三氏は幼少より宗像大社を信仰していた。

 出光興産の前身の出光商会は戦前、東京・東銀座の歌舞伎座の横に社屋を構えた。東京大空襲で一面が焼け野原となった時、出光商会の社屋は奇跡的に残った。

 これを宗像大社のご加護と感じた佐三氏は、戦前より行っていた荒廃した宗像大社の復興を、より積極的に行うようになった。佐三氏の多額の寄進によって、後年、宗像大社の境内は、きれいに整備された。地元の人間なら誰でも知っている有名な話だ。

●和解のチャンスを蹴った出光家の母子

 宗像大社が創業家と経営陣と和解の席を設けた。7月26日付日本経済新聞は記事『迫真 出光、合併の賭け(中)』の中で、1月6日に佐三氏の長男で名誉会長の出光昭介氏が社長の月岡隆氏と共に本殿に参拝し、その後、昼食を共にしたと報じた。

 昭介氏が「できれば、けんかしたくない」と漏らした言葉に、脈ありと踏んだ代理人(当時)の浜田卓二郎弁護士は経営側と接触した。宗像大社での昭介氏と月岡氏の会食は、両者が歩み寄るきっかけになるはずだった。

 しかし1カ月後、浜田氏は突如として解雇された。昭介氏の妻の千恵子氏と二男の正道氏が合併に断固反対の立場から、経営側に譲歩しようとしている浜田氏のクビを切ったという。

「週刊新潮」(新潮社/6月29日号)も、千恵子氏と正道氏が創業家の方針を決めていると報じた。いまや創業家の実権は、昭介氏から千恵子氏・正道氏の母子に移ったということだ。

 つまり、宗像大社が用意した創業家と経営陣の和解のチャンスを、千恵子氏・正道氏母子が蹴ったかたちだ。そのため、創業家は宗像大社のありがたいご加護を失うことになるのではないのかと懸念する声が出ている。
(文=編集部)