今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「一人旅はあらゆる点で、私の創作の家である」
--川端康成

上に掲げたのは、日本最初のノーベル賞作家の川端康成が『私の創作七箇条』と題した文章の中に綴ったことばである。

この前段に、川端はこう書いている。

「私の小説の大半は旅先で書いたものだ。風景は私に創作のヒントを与えるばかりでなく、気分の統一を与える。宿屋の一室に坐ると一切を忘れて、空想に新鮮な力が湧く」

このことばを聞いて、読者の頭にすぐ思い浮かぶ川端作品は、『伊豆の踊子』や『雪国』だろう。

川端は明治22年(1889)大阪生まれ。幼児期に父母を亡くし、続いて姉や祖父母にも先立たれ、満15歳を目前に孤児となっている。そんな寂しい来歴を持つ川端は、いつか自分の中に歪んだ孤児根性がしみついてしまっているのを感じていた。それに堪えきれず、大正7年(1918)10月末、一高在学中の19歳の折、ひとり伊豆の旅へと赴いた。そして、偶然に旅芸人の一座に出会った。彼らと旅をすることで川端の心は洗い清められ、胸の奥から創作意欲がわきあがっていった。

このときの旅の途中で宿泊した湯ヶ島の宿「湯本館」は、その後10年余り川端の定宿となった。1年の大半を過ごすこともあり、出世作『伊豆の踊子』の原稿も、多くはここで紡がれたという。

湯本館にはいまも「川端さん」と命名された川端康成滞在の部屋が、さまざまな文学資料とともに大切に保存されている。

一方、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた。夜の底が白くなつた」という書き出しで始まる『雪国』の舞台は、越後湯沢。その執筆のための「旅先の書斎」となったのは、湯沢最古の歴史を誇る温泉宿「高半」だった。川端は昭和9年(1934)11月から12月にかけて「高半」に逗留して稿を起こし、その後も繰り返しこの白銀の別天地を訪ね、少しずつ原稿を書き継いでいったという。

当時は鄙びた温泉宿であった高半は、近代的な建物へと変貌している。それでも、川端が『雪国』を執筆した「かすみ」の間は館内の一画に移築・保存され、作中、島村と駒子の交わす呼吸のやりとりを垣間見せてくれる。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。