中華人民共和国の女性初の衛生大臣・李徳全が、中国紅(赤)十字総会の代表団を率いて羽田空港に降り立ったのは1954年10月30日。中国政府と国交がない時代、戦犯とされ中国に残っていた約1000人の日本人の帰国を実現した。写真は講演する作家・石川好氏。

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中華人民共和国の女性初の衛生大臣・李徳全が、同国からのはじめての賓客として、中国紅(赤)十字総会の代表団を率いて羽田空港に降り立ったのは1954年10月30日。中国政府と国交がない時代、戦犯とされ中国に残っていた約1000人の日本人の帰国を実現した。代表団は、日本に14日間滞在、後のLT貿易(廖承志、高碕達之助氏の頭文字を取り62年に始まった日中間の貿易事業)に導くネットワークを作ったほか、日中民間交流のきっかけにもなった。

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日中両国で埋もれた歴史になっている史実を発掘したのが、作家で元新日中21世紀委員会委員の石川好氏。李氏の功績を再評価することが日中関係改善に役立つ、との考えから両国関係者に働きかけ、ノンフィクション伝記の日中合作、同時出版『李徳全日中国交正常化の「黄金のクサビ」を打ち込んだ中国人女性』(日本僑報社)を実現させた。取材執筆は程麻中国社会科学院文学研究所教授と林振江北京大学日本研究センター常務理事(明治大学特任教授)。膨大な資料閲覧や関係者への聞き取り調査により、李徳全の足跡をたどり、その思想や秘話を世に出した。

◆日本中に感動呼ぶ、日中友好のシンボルに

当時、敗戦国の日本はまだ多くの国民を海外に残していた。日本は台湾と国交を持ち、中華人民共和国を承認していなかったため、現地に残された日本人居留民の引き揚げには特別な配慮を必要としていた。特に、戦犯として中国に収監されていた日本人については生死も分からぬ状況が続いていた。李徳全はそのB・C級戦犯1000余人の名簿を携えて日本を訪れたのである。

戦犯の留守家族をはじめ関係者からは大きな期待が寄せられたものの、その訪日は大きな危険と隣り合わせだった。新中国からの平和の使者に対して、反共主義者から危害を加えられたり、アメリカ、台湾からの横槍で身柄を拘束されたり、拉致されたりする可能性すらあった。しかし「李徳令の親しみやすい風貌や、キリスト教を背景にもち聖母を思わせる隠やかな所作、そして弁舌さわやかな語り口は、日本人の『中共』に対するイメージを一新させ、日本中を感動の渦に巻き込んでいった」という。

石川氏は8月25日の日本記者クラブでの講演で、「李徳全は日中民間交流の重要性を示した人物。日中両国で忘れられているが、彼女は将来の日中友好のシンボルになる可能性もある」と指摘。72年の国交回復以前には政府に頼らない実のある民間交流が行われており、今後の日中関係も「民間が先行し政府間交渉を促すような努力が必要だ」と訴えた。

◆現実を直視しない『中国崩壊本』『嫌中本』

また、石川氏は「日本は、1941年の対欧米開戦時には当時の主権国家の3分の2にあたる多数の国々に対し宣戦布告したのに、中国に対してだけは1931年以来宣戦布告もせず、事変扱いにして中国国内で戦闘行為を行ってきた」と振り返り、「中国を他者として認めてこなかったわけで、一段見下していた」と強調した。さらに「(日本で)この傾向は今でも続いており、中国が大きくなったことを認めたくない心情が働いている。日本で『中国崩壊本』や『嫌中本』ばかりが溢れるのは、現実を全く直視していない証拠。中国にかなわない、負ける、ということを認めて初めて和解が成立する」と問題提起した。

林氏は、「中国紅十字会会長として戦後初の訪日団を率い、中国在留日本人の引き揚げに尽力した李徳全の功績を記念して、日本人戦犯が帰国の途についた天津港で、ゆかりの人々とともに集まり(訪中の)安倍首相をお迎えしたらどうだろう。もし習近平主席が天津で安倍首相を出迎え、双方が固い握手を交わし、ともに北京入りすることができたら…。夢のような話であるが。こんなシナリオが実現すれば、双方が振り上げた拳を収めるよい舞台になるだろう」と提案する。

今年は日中国交回復45周年の節目の年。国交回復の端緒にもなった李徳全の遺徳をしのび、李氏が帰国させた人々の留守家族による訪中団などの事業を計画するのも一案だろう。

李徳全は貧しい家に生まれ、苦学して激動期の中国を生き抜いたクリスチャン。「クリスチャン将軍」と国民に慕われた夫・馮玉祥とのなれそめから苦楽を共にするまでや、毛沢東、周恩来、蒋介石ら共産党や国民党トップとの関わりも詳述され、「動乱・中国」の歴史も概観できる。(八牧浩行)

<監修・石川好、程麻・林振江著『李徳全日中国交正常化の「黄金のクサビ」を打ち込んだ中国人女性』(日本僑報社、1800円税別)