「赤ちゃんが欲しがるから」って人前で授乳するほど緊急?子どもの生命の仕組みから考える【特集:公共の場での授乳問題(9)】

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公共の場で授乳するママに対し「子どもに少し我慢させて移動したら?」「外出前に済ませてきたら?」という声も。赤ちゃんのためにはどうしたら?

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母乳育児に関する国際認定資格者IBCLCとしてママの支援にたずさわっている新生児科医・奥起久子先生に聞きました!

「授乳=栄養を与える行為」というのは大間違い?驚くべき赤ちゃんの生命の仕組み

――母乳育児中のママのひとりとして、奥先生にお伺いします。我が子がおっぱいを欲しがって泣いたら、場所がどこであれ、すぐにでも授乳してあげたい!と思うのですが、「ベビー休憩室へ行ったら?」「次の駅で降りたら?」といった意見もあると聞きます。

どんな選択をしてあげるのが、赤ちゃんの心と身体にとっていいのでしょうか。教えてください。

奥起久子先生(以下、奥):今日は新生児科医として、またIBCLC(国際認定ラクテーション・コンサルタント)として、お答えしていきますね。

まずは「長時間授乳しないなんて、赤ちゃんは大丈夫なの?極端な言い方をすると、死んじゃうんじゃないの?」というのは当たり前なんですが、ここでは「栄養を与えられていても死んじゃう」というお話からしましょうか。

――「栄養を与えられていても死んじゃう」?どういうことでしょうか?

奥:英語で授乳というのは「Breastfeeding」ですが、この単語は「母乳栄養」と訳すよりも「母乳育児」と訳すことが多いです。それは授乳と言うのは“栄養”を与えるだけでなく“育児”という部分がとても大切なことですよ、ということを表しています。

19世紀、ヨーロッパの孤児院では0歳児の生存率はゼロでした。人工栄養が今のようなものでなかったこともその一因ですが、ゼロとは!あまりにも悲しく、重い数字ですね。

そこで機械的に時間がきたら栄養を与えるのではなく、それぞれの赤ちゃんの養育をする人を専任にするなど工夫を重ねたところ、なんと生存する赤ちゃんが出たそうです。生存には“栄養”だけでなく“育児”という行為が不可欠だったということですね。

赤ちゃんの生存のために必要不可欠な「授乳」と、公共社会の関係とは?

――「生存には“栄養”だけでなく“育児”という行為が不可欠」なことと「公共の場での授乳」が、どのように関わってくるのか、もう少し詳しくご説明いただけますか。

奥:ママと赤ちゃんにとって「一緒にいる」ということは、単に“栄養”という観点からのみならず“育児”という観点からも、子どもたちのために必要なことであり、社会においても尊重されなくてはならない。

19世紀のヨーロッパでのお話は、ママではなく養育者という立場になりますけれども、それを物語っているわけです。

また国連が定め、日本も批准している「子どもの権利条約」第9条でも、冒頭で「締約国は、児童がその父母の意思に反してその父母から分離されないことを確保する。」と謳っています。ママと赤ちゃんが「一緒にいる」ことは、保証されている権利でもあるのですね。

ママと赤ちゃんが「一緒にいる」ということは、抱っこをしたり笑いかけたり、スキンシップをしながら“育児”をするということであり、赤ちゃんにとって“育児”の最たるものが「授乳」です。

赤ちゃんの生存に不可欠な“育児”という行為と、ママと赤ちゃんに保証された権利を、たとえいかなる理由があるにせよ、社会が阻むことはできないのではないでしょうか。

――「一緒にいる」ことの大切さは、実感としてよく理解できます。社会がそれを阻むことはできない、という考え方も非常に心強いです。ただ実際のところ、赤ちゃんはいつだって時も場も選ばずにおっぱいを欲しがりますし、周りの人にとっては「あえて公共の場でしなくてもいいんじゃない?」ということもあるようで……ママとしてどのように“育児”をしたらいいのか、悩んでしまうのですが。

母乳でもミルクでも実は一緒!赤ちゃんの生理的欲求を満たしてあげないのはつまり?

奥:赤ちゃんが欲しがったら、できるだけ速やかに授乳をする必要性が、周知されなければならないということかもしれません。

WHO(世界保健機関)とUNICEF(ユニセフ=国連児童基金)が掲げる「母乳育児成功のための10カ条」には「ステップ8:赤ちゃんが欲しがるときに欲しがるだけの授乳を勧めましょう」とあります。

よく子育て経験世代の方々から「授乳は3時間おきにしたほうがいい」というように、時間決めのアドバイスをいただくことも少なくないようですが、今時のママたちは、欲しがる時にあげるのが当たり前と思っていますし、母乳育児に精通する専門の医療従事者であれば、そのようにお伝えしてバックアップをしているはずです。

よくよく考えてみれば、これは母乳に限らず、ミルクで育てている場合でも、欲しがったらあげるのは当たり前ですね。赤ちゃんが欲しがっている時に、あげるものがなければ別ですが、あるのに授乳しなかったらそれは、厳しい言い方になりますが「社会が子どもを“虐待”している」ともいえるのではないでしょうか。

――“虐待”ということでいえば、出先で授乳をするママに対して「赤ちゃんをお腹いっぱいにしてあげてから出てくればいいのに、かわいそうなことをして」「計画性のないママが子どもを振り回している」といった批判もあるようなのですが。

奥:それについては、生物学的にもっと突っ込んだお話をしてみましょうか。

ヒトの親子を生物学的に見てみると?そして日本人が失いつつある“心”とは?

奥:ヒトの母乳とその他の動物の乳の成分を比べると、きわだって異なるものがあります。

「濃度」です。

例えば草原の動物が頻回授乳、つまり時間を置かずに日に何度も授乳していると、猛獣に襲われるリスクが高くなります。よってこれらの動物では乳を濃くして、また消化に時間がかかるようにして、腹持ちをよくしているのです。ウシの授乳回数は1日3〜4回ですし、ウサギは早朝と夕方の2回、母ウサギが巣穴を訪れて授乳するといわれています。

それに対して、ヒトの母乳は薄いんです。消化もよく、すぐに空腹になります。サルもそうですね。樹上生活をしている動物の子どもは、常に母獣に抱っこされて頻回授乳していないと、木から落ちるなどの事故で死亡することが多くなるでしょう?

私たちヒトは、生命の危険を回避して種を残すために、母乳は薄く、消化がよく、頻回で飲むよう進化してきたのです。

つまり、すぐに空腹になるのは「進化」のおかげなのです。

また頻回授乳と新生児・乳児の健康ということで付け加えさせていただければ、母乳で育つ子どもには、乳児突然死症候群(SIDS:Sudden Infant Death Syndrome)が少ないというデータもあります。SIDS自体の原因がまだ突き止められていないので、その理由もあくまでも推測ではあるのですが、頻回授乳することで頻繁に目覚めることによるのかもしれない、ということが言われています。

――子育てをしていると、どんな選択をしたらいいのか、迷うことがたくさんあります。「公共の場での授乳」にしてもそうですが、時に優先順位を付けて動くことも避けられません。

そんな時、決して開き直るという意味ではありませんが、赤ちゃんの心と身体のために自分はどうしたらいいのか、決断の助けとなってくれるお話をお伺いすることができたように思います。

では今回のインタビューの最後に、ママと赤ちゃんたちを取り巻く社会に対する、奥先生の思いをお聞かせいただけますか。

奥:ひと昔前までは、ママが子どもに授乳するのは当たり前で、それが道ばたであろうが電車の中であろうが、微笑ましいと見守っていたものです。授乳をしているところを見るのが不愉快と思ったり、そんなことを言ったりする人はいませんでした。

それを当たり前の光景として受け取ると言う文化や、微笑ましいものとして許容する気持ちが、いつの間にか失われて来たのですね。

ちなみに、インドの農村で支援をしている日本人の友人が現地の人にこの話をすると、全く理解出来ないと言われるそうです。

「日本人から“授乳する母子を微笑ましい当たり前の風景として許容する心”が失われて来ている」という点について、今回の論争が、いろいろな意見を通してあらためて考える機会となることを願っています。

記事企画協力:光畑 由佳

【取材協力】奥 起久子(おく きくこ)先生 プロフィール

新生児科医(公益社団法人地域医療振興協会東京北医療センター小児科)。母乳育児支援のための一定水準以上の技術・知識・心構えを持つヘルスケア提供者を認定する国際資格「国際認定ラクテーション・コンサルタント」(IBCLC:International Board Certified Lactation Consultant)も有し、NPO法人日本ラクテーション・コンサルタント協会では教育研修事業部長も務める。著書(共著)に『母乳育児支援スタンダード』(医学書院)ほか。