日常生活においての犬のロールオーバー

犬がお腹を出す仕草はロールオーバーと言われます。日常でもよく見かける光景です。家の中や外で遊んでいる時にもよく見られます。例えば、家の中で犬を触っている時、ブラッシングの最中、遊んで欲しい気分の時などにも見られます。もちろん、これには個体差があり、どの状況でロールオーバーするかは、その個体の経験、学習の程度、気質によっても変わります。

また、散歩やドッグランで犬同士が遊んでいる時にも頻繁に見られ、遊びの中のコミュニケーションの一つでもあります。よく、遊びが一段落したころ、一方の犬が自らロールオーバーをすると、もう一方の犬が寄ってきて遊びに誘うなどの行動も観察されます。仲の良い個体同士では、お互いにロールオーバーをして遊びを始めることもあります。

間違った支配と服従の概念

犬がロールオーバーをすることの意味を服従のサインとし、このサインを受ける側が支配者だとする概念は、動物行動学の生みの親であるコンラート・ローレンツ博士の主張に基づきます。

ローレンツ博士は、1949年に発行された著書”ソロモンの指輪”の中で「犬が相手にロールオーバーをすると相手は攻撃を止める。この行動は防衛的な行動である。」として紹介し、これがロールオーバーの分析として始めてのものでした。ここでは単に観察に基づいたものであり、より深い解釈として「相手が攻撃を完全に止めるまではロールオーバーを続けていなければならない」としています。つまり、犬同士が命がけの戦いの中、相手が降伏する時に見せる行動であり、こうしたことから勝者と敗者、すなわち支配者と服従者が定義されるようになります。

訓練の手法でロールオーバーが用いられたのは、第一次世界大戦以前のドイツ軍に由来すると言われています。1900年代初頭のドイツ軍の訓練法は、その当時の軍隊の姿勢を反映します。統制された当時の軍隊の哲学では、「支配を確立し、その支配を使用して動物の行動を制御するために力を使うべきである」というような考え方がありました。

こうした概念が当時の軍用犬、警察犬にも適応され、訓練や行動修正にロールオーバーを用いる手法が確立されてきました。後の科学研究では、こうした概念が様々な問題行動を助長することが判り、訓練で使用すべきではないとされています。

犬のしつけでのロールオーバーのリスク

ドッグトレーナーや訓練士の中には未だに「ロールオーバーは服従のサインだ」として、無理矢理に犬をロールオーバーの姿勢をとらせることがあります。こうして犬を支配すれば、犬は服従的になると解釈されていますが、これは不安と恐怖を煽ることになり、より防衛的になり攻撃性が高まります。または、無理矢理に行動を制御されることで犬はストレスを感じます。

こうしたことが長く続くと犬は、「自分には何もできない」と感じ、学習性無力感という、うつ症状に似た状態になります。学習性無力感は人間では、学校で虐められている子供や、監禁された人にも見られます。自力で苦痛から抜け出せないことを学習すると、失望感にかられ、仮に少しの工夫で苦痛から抜け出せる状況にあっても諦めてしまいます。学習性無力感に陥ると、犬の場合では治療に多くの時間と費用がかかります。このため、犬の訓練や行動修正においてロールオーバーを間違った解釈で行うことは極めてリスクの高い方法だと言われています。

実際のロールオーバーの意味

カナダ・レスブリッジ大学の心理学者らは、犬の日常的に見られるロールオーバーについての研究結果を2015年に発表しています。研究は2部構成になっており、一つはメスの中型犬と新たに友達になった33頭のペア(様々なサイズ、品種の犬) の遊びを観察します。もう一つはユーチューブで公開されている20の動画を解析しました。ちなみに一部の犬たちではロールオーバーは出現しなかったとしています。
論文では、以下のように要約されています。

遊びの中でのロールオーバーは、戦闘戦術であり、服従のサインではないロールオーバーをすることで、相手から攻められることを回避できるロールオーバーは遊びの最中に見られる行動である

犬が遊びの中で見せるロールオーバーでは、一時的な攻撃(遊び)の回避であり、ロールオーバーをすることで相手からの攻撃を止める意味があるとしています。犬は相手からの攻撃を回避した後、すぐに立ち上がり、相手を責める側に回ります。こうしてお互いに攻めたり、攻められたりして戦闘ごっこをするのが犬の遊びです。もし、ロールオーバーが服従行動ならば、一度ロールオーバーをしたら、相手が攻撃態勢を解くまでやり続けなければならないはずです。そして、遊びは終了するはずです。
ところが実際は、ロールオーバーをしても、すぐに立ち上がり態勢を変えていることが判ります。今まで攻めていた側が今度は攻められる側に回ることも観察されます。つまり、ロールオーバーは遊びの中のコミュニケーションだということです。

このような遊びの中で、ボルテージが高まった時などに攻められる側が恐怖を感じて降参する時には、ローレンツ博士のいう通りに服従行動を取ることがあります。この研究では観察された248のロールオーバーの中で9つのみが服従行動だったとしています。これは相手の興奮を抑えるための行動かもしれません。

まとめ

ロールオーバーは、本気の戦闘時では防衛的な行動であり、相手の戦闘意識を削ぎます。しかし日常的に命を掛けた戦闘をすることはないはずです。ほとんどの場合では遊びの中の戦術として、相手の行動を止めることに用いられています。または、遊びに誘う時にも見られます。

ロールオーバーの解釈を服従行動と捉えると、説明のできない行動が見られます。例えば、家族に対して攻撃性を示す犬が、特定の出来事の時に家族に対してロールオーバーをするという物などです。ロールオーバーの解釈を間違えていると、「なんでお腹を見せるのに襲ってくるのだろう」という謎が生まれます。こうした疑問は、この研究結果で納得できるのではないでしょうか。

《参考》
1, Norman K., Pellis, S., Barrett, L., & Henzi, S. P. (2015). Down but not out: Supine postures as facilitators of play in domestic dogs, Behavioural Processes.
2, 金光 義弘(1997), Learned Helplessness理論の再考と展望,川崎医療福祉大学,川崎医療福祉学会誌.


(ドッグトレーナー提供:ドッグビヘイビアリスト 田中雅織)