ハリルホジッチ監督の甥がやっている個人タクシーに乗れば、日本代表の指揮官の実家にも連れて行ってもらえる。写真:宇都宮徹壱(Jablanica. 2015)

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 2年前の夏、ボスニア・ヘルツェゴビナのヤブラニツァという街を訪れた。第二次世界大戦でのナチス・ドイツによるパルティザン掃討作戦のひとつ「ネレトバの戦い」の舞台として知られ、69年に映画化された時のセットの一部は今も見ることができる。逆に言えば、それ以外はこれといった観光名所はない。個人的にヤブラニツァでお勧めの場所といえば、ひつじの丸焼きが美味い店、そしてヴァイッド・ハリルホジッチ監督の実家。後者については、日本のサッカーの間では密かな「観光地」となっている。
 
 この観光地を巡るには「Halilhodžić」と書かれたタクシーを探すことをお勧めする。ハリルホジッチ監督の甥がやっている個人タクシーで、ホテルで呼んでもらうこともできるし、タクシー乗り場で客待ちしている可能性もある。私が現地を訪れた時も、目指すタクシーはすぐに見つかった。香川真司のユニホームがリアシートに飾ってある車から出てきたのは、ハリルホジッチ姓の兄弟で片方は英語が堪能。彼らの案内で、一族が通っていた小学校や親族がやっているカフェ『ナント』、そして我らが監督の実家にも連れて行ってもらった。
 
 実家には、美しい芝生で埋め尽くされたフットサルコートほどの庭があり、そこでお茶を飲みながら「ヴァハ」(彼は現地でそう呼ばれている)についていろいろな話を伺ったのも良い思い出だ。兄弟は、タクシー事業立ち上げのスポンサーであり、遠く離れた日本のナショナルチームの監督となった叔父を心から尊敬していた。そして、ヤブラニツァにも日本人が訪れるようになったことをことのほか喜び、日本代表のワールドカップ出場を我がことのように願っていた。別れ際には「帰国したら僕たちのことを大いに宣伝してよ。日本人は大歓迎だから」とも言ってくれた。
 
 今回、日本代表がオーストラリアに勝利してワールドカップ出場を決めた時、そして試合後に「プライベートで重大な問題を抱えていて、この試合の前に帰国することも考えた」と監督自身が語った時、私の脳裏に浮かんだのが2年前のヤブラニツァでの光景であった。日本の予選突破のニュースがもたらされた時、故郷の親族はどれだけ喜んだことだろう。そして、遠く日本で「プライベートで重大な問題」に苦しんでいたヴァハに何を思っただろうか。私たちが考える以上に、日本という国ははるか遠くにあり、そしてファミリーを思う気持ちは強い。
 
 オーストラリア戦の翌日、ハリルホジッチ監督の「今後」のことを気にしながらサウジアラビアのジッダに向かった。途中、トランジッドした際に「私はここで仕事を続ける」と会見で明言したことを知り、深い安堵と共に沸き立つ高揚感を抑えることができなかった。よかった、これでヴァハと共にロシアに行くことができる。そして彼が目指す日本代表の最終型を、私達は来年の6月に目にすることができるのだ。その前に、機会を見つけてヤブラニツァを再訪することを考えたい。
 
宇都宮徹壱/うつのみや・てついち 1966年、東京都生まれ。97年より国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。近著に『フットボール百景』(東邦出版)。自称、マスコット評論家。公式ウェブマガジン『宇都宮徹壱ウェブマガジン』。http://www.targma.jp/tetsumaga/