親も学校側もお互いに感情的になるのでなく、冷静にコミュニケーションを(写真:shimi / PIXTA)

あるとき、講演の後のティータイムでスタッフのママさんたちとモンスターペアレントの話題で盛り上がりました。ママさんたちが実際に見聞きした例として、

「学校の遠足と親戚の法事の日が重なったので、遠足の日を変えてほしい」「中学受験の勉強で大変なので、余分な負担になる当番や係の仕事をナシにしてほしい」「学校で眼鏡を落として割れたのは先生の監督不行届きだ。修理費を弁償してほしい」

などが挙げられました。ママさんたちは「ありえないよね。完全にモンスターだね」と非難していました。

モンスターペアレント扱いされた!


この連載の記事一覧はこちら

ところが、しばらくして、あるママさんが「子どもの宿題が多すぎると思って先生にお願いしたら、モンスターペアレント扱いされた」と話し出しました。すると、少し雰囲気が変わって、別のママさんが「そうそう、私も子どもの友だち関係のことで相談したらモンスターペアレント扱いされた」と言いました。

それからは、学校に要望を伝えることの難しさについて盛り上がりました。言いたいことがあってもなかなか言えない。子どもが人質になっているので下手なことは言えない、という感じでした。

私も長年小学校の教師として仕事をする中で、いろいろな事例を見聞きしてきました。いちばん驚いたのは、5年生の先生の報告で、「予定帳の持ち物欄に『傘』と書いてなかったので、子どもは傘を持っていかなかった。下校時に雨が降ってぬれて帰ってきたのは先生の責任だから、クリーニング代を出してほしい」と真顔で要求されたという話です。この例のように、客観的に見れば冗談のように聞こえる内容でも、言っている本人は至って真剣であり、自分が理不尽な要求をしているとは思っていないことが多いのです。

では、どのようにすれば、モンスターペアレントにならずに済むのでしょうか? これについては、内容面と伝え方の2つの面から考える必要があります。

まず1つ目の内容面です。

1. 一方的かつ過度に自己中心的な要求
2. 実限不可能な無理難題
3. 良識や法律に反すること

などの場合は当然ながら問題があります。でも、そもそも自分の要求がこの3つに該当していることに気づけないことが問題なわけです。

その前に、誰かに意見を聞いてみる

そこで大事なのが、「いきなり学校に言うのではなく、その前に誰かに言ってみる」ということです。たとえば、夫、妻、家族、親戚、兄弟、ママ友、近所のおばさんなどに話してみてください。そうすれば、率直に「何言ってるの! 先生がそう言うのは当たり前でしょ」とか「そんなこと学校に言っても無理に決まってるでしょ」などと言われるかもしれません。第三者に、客観的立場からそう言われれば、もう一度考え直すことができますし、学校に理不尽なクレームをつけなくて済みます。

あるいは逆に「そうだよね。先生がそんなこと言っちゃいけないよね。頭にくるよね」と共感してもらえるかもしれません。ひとりの意見だけだとこちらに気を使って同調してくれている可能性もありますが、何人かが同意見の場合は、考え違いをしているわけではないとわかって、自分の考え方に自信が持てるようになります。

同時に、共感してもらえたことで、気持ちが落ち着き冷静になることができます。さらにたくさん話してたっぷり共感してもらえば、かなりのガス抜きができて、これからの行動について慎重に考えられるようになります。

ネットのQ&Aサイトを使う方法もあります。たとえば、「Yahoo!知恵袋」「発言小町」「教えて!Goo」「OKWAVE」「人力検索はてな」などです。回答は玉石混淆ですが、いろいろな考え方を知ることができ、自分のケースを客観的に眺められるようになります。複数のサイトで同じ質問をすれば、非常に多くの人から回答をもらえますし、よりよい解決のヒントが得られることもあります。特に、身近に話を聞いてくれる人がいない場合、これはかなり有効な選択肢だと思います。なお、書き込む際は、個人や学校が特定されることのないように気をつける必要があります。

内容面でもうひとつ気をつけてほしいのが、子どもの話を鵜呑みにしないということです。実際にこういう事例がありました。

あるとき、「うちのA男が上級生B男に学校の池に落とされ、ずぶぬれで泣きながら帰ってきた。学校ではどんな指導をしているんだ!」と怒鳴り込んできた親がいました。教頭と担任が当事者の2人の子どもとその場にいた複数の子どもたちに話を聞いてわかったことは、「A男が友だちの帽子を取って放り投げようとしたとき、止めに入った上級生のB男にぶつかってバランスが崩れて池に落ちた」というのが真相だとわかりました。つまり、そもそもA男がほかの子の帽子を取って放り投げようとしたことに問題があったのです。

わが子の話だけを鵜呑みにするのは危険なこと

もちろん、子どもが友だちとのトラブルや先生への不満などを話してくれたとき、「そんなことあるはずないでしょ」「どうせあなたが悪いんでしょ」と門前払いするのはよくありませんので、まずは「そうなんだ。嫌だったね」と共感的に聞いてあげることは大切です。でも、共感しつつも、「本当にそうなのか? これはこの子の言い分であり、相手にも言い分があるはずだ」という意識をつねに持っていることが必要です。

そして、子どもの言いたいことを共感的に聞いた後で、「じゃあ、相手の○○君はどう思ってるかな?」とか「自分は悪いところなかった?」などと聞いてみれば、意外と「実はボクもたたいちゃった。○○君もイヤな気持ちだったと思う」と話し始めることもよくあることです。もちろん、そんなに簡単に真相はわからないことも多いのですが、「子どもの話だけを鵜呑みにしない」ということに心掛けてさえいれば、一方的なクレーマーになることはなくなります。

以上のように、「いきなり学校に言うのではなく、その前に誰かに言ってみる」のと「子どもの話を鵜呑みにしない」の2つに心掛けることで、内容をある程度客観的に見られるようになります。そのうえで、やはりこれは学校に言うべきだとなる場合もあるでしょう。そこで次に大事なのが伝え方ということになります。

内容がわが子だけでなく学級のほかの子や、あるいは学級全体にかかわることなら、PTAの学級役員から学校に話してもらうようにするといいでしょう。そうすれば、誰が言い出したか学校にはわかりませんので精神的な負担が軽くなります。

内容がわが子だけに関することなら、親自身で臨むことになりますが、そのときいちばん大事なのは一方的かつ感情的にならないということです。内容面では問題がなくても、話し方に問題があれば、やはりモンスターペアレントと思われてしまいます。

私にもこういう経験があります。事務室の電話が鳴ったので出てみると、いきなりすごい剣幕で「先生は、体育着を忘れた子には体育の授業を受けさせないんですか?!」と食ってかかられたのです。当然、こちらは何のことかわからないわけですが、よく聞いてみると担任の先生にひと言言いたかったということでした。電話に出た私の声がその担任の先生の声に似ていたので、てっきり当人だと思い込んでいきなり話し始めたのです。確かに体育着を忘れただけで体育の授業を受けさせないというのは間違っていますから、その親が言っていることは正しいのです。でも、言い方には問題があると言わざるをえません。

目的は怒りをぶつけることではない

はじめから「文句を言ってやる」という姿勢で臨むと、学校側も守りに入らざるをえません。それでは、結局、子どものためになりません。内容、状況により怒りたくなる場合もあるでしょうが、その感情を前面に出すのでなく、「悩みを聞いてほしい。相談に乗ってほしい」という感じで臨むほうが合理的です。

目的は怒りをぶつけることでなく、子どものために問題を相手と一緒に解決することだからです。そこで重要になるのが、冒頭での雰囲気づくりです。「いつもお世話になっています」など、大人として当然のあいさつは必須です。

さらに、「うちの子、先生が大好きみたいで、いつも先生の物まねをやってるんですよ」「先生に絵のことを褒められたって、うれしそうに話してくれました。ありがとうございます」などの言葉があると、雰囲気がよくなります。そのうえで、「実は、ご相談したいことがありまして……」と本題に入っていきます。こういう大人の交渉術は本当に大事です。

これなら、学校側も「しっかり話を聞こう。子どものためにお互い協力して取り組もう」という気持ちになれます。「何でそこまでへりくだる必要があるのか?」という声も聞こえてきそうですが、すべては愛しいわが子のために、少しでもよい結果をもたらすための戦略と割り切ればいいのではないでしょうか。

ところで、ここまで便宜上モンスターペアレントという言葉を使ってきましたが、私はこの言葉は適切でないと考えます。これは一種のレッテル張りであり、学校側が「この親はモンスターペアレントだ」と決めつけてしまうと、相手の話を誠意をもって聞こうとする気持ちがなくなってしまうからです。

親たちの中には、経済的・時間的・精神的に追い詰められている人たちもいます。仕事やおカネのやりくりで疲れているところに、わが子から「今日○○で嫌だった」と聞かされると、じっくり話を聞いたり誰かに相談したりする余裕もないまま、いきなり行動に移してしまうということもあるわけです。ですから、最後に学校にお願いしたいのは、モンスターペアレントと決めつけないで、まずはじっくり共感的に親の話を聞いてほしいということです。

親も学校側もお互いに感情的になるのでなく、冷静にコミュニケーションをして、子どもの問題の解決につなげてほしいと願っています。