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【AFP=時事】車を止める場所を見つける間にも、薬物を注射している男性が視界に入ってきた。暗い色のズボンをはき、スエットシャツの袖を半分たくし上げて腕を出したその男性は、ごみが散らかった歩道に立ち、体を揺らしながら腕に注射針を刺していた。

■米東部最大の屋外ドラッグ市場

 私が車で到着したのは、ノースフィラデルフィア(North Philadelphia)のケンジントン(Kensington)地区。ここを訪れたのは、ラジオで聞いた話を追跡取材するためだ。線路沿い半マイル(約0.8キロ)にわたり米東部最大の屋外ドラッグ市場があると言われていた。ヘロインの問題が深刻化しているこの地域の実態はどれだけひどいもので、未曽有の麻薬依存が広がっているか、メディアが半年おきぐらいに報じるほどだった。

 到着して目にした光景は、そうした報道による印象を確かに裏付けるものだった。この渓谷周辺は全米有数の貧困地域だ。ケンジントン地区と、似たようないくつかの地区の貧困率が低いために、フィラデルフィアは米国で最も貧しい大都市にランク付けされている。

 線路とその横の土手は、実際は地元の運送会社の私有地だが、ここを訪れる人々にとっては誰の土地でもない。斜面には、古いソファとテレビ、車のタイヤ、ファストフードのごみが毎日のように捨てられていく。ホームレスの人々や麻薬常用者たちは使えそうなものなら何でも拾って再利用し、陸橋の下で風雨をしのいでいた。

 かつては労働者階級が集まっていたこの地域が寂れて衰退していることには特に驚きはしなかった。だが、セカンドストリート(Second Street)橋の下をくぐると、そこには見たことのない世界が広がっていた。家庭や店舗から出た膨大なごみの山。その上にコケのように堆積した注射器の包装紙。そこかしこから、注射器がキラキラと輝く銀色のアザミの花のように突き出ている。

 この荒れ果てた光景を背に、ほぼ男性ばかりのグループが間に合わせで作ったテーブルや椅子にかがむようにして、静脈注射薬を自分と仲間たちに打つ準備をしていた。長い路上生活で日焼けした人、ベッドで眠り、洗濯もできる境遇にいるおかげで小ざっぱりして見える人。近くを通ると、不審な目を向けてくる人々もいた。胎児のように体を丸めながらうつろな表情でうろついている人々は、まさに歩くしかばねだった。樹脂が燃える臭いと人の排せつ物の異臭が鼻を突く。

 後で知ったのだが、私が足を踏み入れたのは「病院」と呼ばれている場所だった。ここでは、薬物を打ち過ぎて手足の静脈が硬くなってしまった依存者が、料金を支払って、首などに薬物を注射してもらう場所だからだ。集まっている多くは、依存性の高い鎮痛剤オピオイドの禁断症状──この辺りでは「ドープシック」と呼ばれている───を和らげようとする人々だった。ドープシックかどうかは、震えながら苦しげにうめいていることが多いため、すぐに分かる(大半が男性だ)。

 私が近づくと、そこで行われていたいくつかの活動のペースが明らかに遅くなった。目に見えて空気が張り詰めたため、対立を避けるためにぐるっと周囲を回ってみることにした。線路沿いに土手の下を歩いていると、誰かに呼ばれた。話ができる人がいるのはありがたい。そう考え、ごみの中を慎重に歩きながら、ドラム缶の火の番をしていた若い男性に近寄った。

 警察か、と尋ねた男性は、私が多くの人々から怪しまれていると教えてくれた。確かに、私は私服警官のように見えたかもしれない(私服警官には特有の「制服」があり、それはブーツにボタンダウンのシャツ、野球帽というスタイルだ)。状況を把握するまで黒い小型のバックパックにカメラを隠していたので、余計にそう見えたのだろう。

 こうした取材の際に私がよくとる方法だ。最初の訪問でカメラを取り出すことはめったにない。ただ歩き回り、人と話し、場所の雰囲気をつかみ、こちらが取材をしていることを伝える。私になじんでもらい、相手のプライバシーや尊厳を冒さないようにするためだ。ある程度、リラックスした雰囲気が生まれたら、そこで初めてカメラを取り出して撮影を始める。

 だから今回も、その若い男性に何の目的でここに来たかを説明した。状況をありのままに記録して、私が報じなければ伝わらないであろうことを伝えたい、と。人々のプライバシーを詮索したり、法的な問題に巻き込んだりするつもりはないことも。好奇心から徐々に集まってきた人々にも同じ説明を繰り返した。彼らは私に対して当初よりは警戒心を解いていたが、写真撮影は依然として許してくれなかった。そのため私はただ歩き回りながら、もう勘弁してほしい、よそへ行ってくれと拒まれるまで、できるだけ多くの質問をした。そうするうちに次第にこの場所のリズムとルール、ここがどのように機能しているかがなんとなくつかめてきた。

 すると、陸橋の下から来た男性2人が話し掛けてきた。1人は特に私がしていることに興味と理解を示してくれたが、単刀直入に言った。「自分たちはここにヘロインを買いに来た。でもあんたのせいで誰も売ってくれない」。私の驚いた顔を見ると、こう続けた。「あんたがここにいると誰も売ってくれないから、みんな(ドープ)シックになり始めている」

 私はこの男性に感謝すると、向きを変え、彼らからよく見えるように線路の中ほどを歩き始めて陸橋から離れて行った。多くの人を深く傷つけていないことを願いながら。その途中、他の橋と、渓流の土手を探索してみた。フィラデルフィア住民の半分が、使い道に困ったありとあらゆるものをここに捨てに来ているのではないかと思えてくる。家具、自動車の部品、子どもの玩具。あらゆるごみが上の道路から線路へ向かって超スローモーションで飛んでいた。

 最後の橋に近づいたとき、私の注意を引こうと誰かがシーッと言うのが聞こえた。フェンスのそばにしゃがんで隠れている男性が私の方に向かって手を振り、線路の方を指さした。フィラデルフィア警察のパトカーが私の方に向かってゆっくり向かって来る。

 ついさっきまでは私のことを警官だと勘違いしている麻薬密売人と薬物常用者の誤解を解かなければならなかったのに、今度は警察に薬物常用者か売人と見なされる可能性が出てきた。私は土手に駆け上がり、見えない場所で急いでかばんの中からカメラと記者証を取り出した。注射針数本と、人間の排せつ物の隣で。

 パトカーがセカンドストリート橋まで行くことに不安を覚えた私は、通りまで迂回(うかい)してキャンプまで戻り、最初に出会った男性に、私は警官ではないが、本物の警官が来ていると教えた。そしてキャンプの近くにしばらくとどまり、何人かと話をしてみた。

 人々はすぐにまた、ここにいるべきではない、ここに立っていては駄目だ、出て行かなければ、と口々に言い始めた。フォトジャーナリストなら言われ慣れている言葉だ。私たち全員が企業の所有地に侵入していることを考えると、そこにいた彼らと私の法的権利は同じ(つまり、権利はない)と知っていたので、私はとどまり続けた。すると、たまりかねたように1人の男性が親切にも私を脇に連れ出し、説明してくれた。「彼らは今あなたに優しく頼んでいるが、今に態度を変えるだろう」。そして、こう続けた。警官(つまり、私のこと)がキャンプにいるといううわさが広がって取引が中断し、みんながまたドープシックになってきている、と。

 率直に助言をしてくれたことに感謝の言葉を伝え、このキャンプに関する情報と、彼がどんな経緯でここに来るようになったのか、一緒に歩きながら少し話を聞かせてくれないかと尋ねてみた。男性は自身のことを「まともな」依存者だと語った。フルタイムの定職に就き、家も何軒か所有している。ヘロインを使用するようになったのは、処方されていた鎮痛剤が保険でカバーできなくなったからだという。1袋7ドル(約760円)のヘロインは、闇市場で取引される錠剤よりは少し安価で、パーコセット、オキシコンチンなどの鎮痛剤に比べると格段に安い。

 男性は週に1、2度、たいてい多額の現金を持ってこの「キャンプ」を訪れると話した。自分の分だけでなく、禁断症状に苦しみながら薬を買う余裕のない人々の分まで支払っている。近くにある注射針交換プログラム「プリベンション・ポイント(Prevention Point)」からクリーンな注射針を購入しているという。交換する注射針自体は無料だが、使用済みの針を集めて交換することが条件だ。

 この場所で価値のあるものは何でもそうだが、クリーンな注射針はすぐにミクロ経済の売り物となり、クリーンな注射針10パックにはメキシコ産の極上のヘロイン小袋と同等の価値があった。そのため、「まともな」依存者がカネを払うにせよ、ホームレス、または一文無しの常用者が使用済みの針を新しいものと交換するにせよ、ヘロイン1袋は驚くほど簡単に手に入る。

 取材初日、写真に関して言えば、収穫はゼロだった。誰も撮影を許してくれなかったからだ。だが、キャンプに戻るために人々と友好な関係を築いて去ろうと心掛けた。次の月曜日にテレビ局のスタッフが特別番組を撮るためにキャンプを訪れると聞いたので、今度は、人々が騒然としている間に目立たないように行動しながら、キャンプがざわついている間は避けていた周辺の写真を撮ることにした。

 キャンプに戻ると、初日に話をしてくれた女性に出会った。テレビ局のスタッフや警察の存在を恐れることなく、この場にとどまっている。少し話をすると、女性は私がついて回ることや、再訪したときに他の地元民と会わせてくれることを承諾してくれた。

 こちらの身分を請け合い、取材に応じてくれる人物と個人的なつながりができたことで、薬物を注射する人々の写真をより間近で撮ることができるようになった。ほとんどの人々は、薬物を注射しているときに顔を一緒に撮られることを嫌がった。口頭で同意を得られなかった相手については、私たちはあっさり引き下がり、そっとしておいた。

 取材の過程で、スーツや医療用の手術着を着た専門職の人々が日中、薬物を注射するためにこの渓谷に来ているという話を耳にした。ごく普通の生活を送っているように見える人々にも出会った。麻薬を注射するようになったせいで、ごく普通の人生が崩壊し、更生しようとあがいている人々にも出会った。

 彼らは繰り返し、どのようにして自分の家族、家、人生をヘロインに奪われたかを語った。そんな話をする場合もたいてい、1回分のヘロインをせわしなく混ぜ合わせながら。注射する様子を眺めることを許可してくれた人々は、この場の状況に関する話を続けた。使用済みの針は、ごみの山に捨てる前に細心の注意を払って先端を折り、誰かが再使用したり、うっかり刺してしまったりすることがないようにしている、と(私が話を聞いた市職員によれば、この地域の清掃員は定期的にHIV(ヒト免疫不全ウイルス)その他の感染症の検査をしているという)。

■どこにも行き場のない人々

 今回の取材はきつかった。その一方で、重要な意義を持ち、私が一貫して取り組んできたようなネタでもあった。厳しい取材はこれが初めてではなかったが、たいてい最初の取材相手とつないでくれる記者がいるか、現場で目と耳になってくれる記者が他にいた。今回は、周到な準備を含め、完全に独りだった。

 しかし、キャンプを訪れた3日間、この場にいたいという気持ちには一度もならなかった。荒廃した場所で、人のひりひりした痛みを目にしながら、リスクについて気を配り、その一方で示唆に富んだ写真を撮る。そのバランスを保つのは難しかった。この感覚は取材中ずっと消えることはなかったが、初日の最初の30分で人々の事情を知るうちにかなり薄れた。この場所にいたいと思っている人間は一人もいないことに気付いたからだ。出会ったほぼ全員が、ここ以外どこにも行き場のない人々だった。

 この場所を撮影し、取材を行うに当たって願っていたのは、統計や新聞の見出し、特集記事、政治家の演説の中であっという間に埋もれてしまうようなこの問題に現実味を持たせることだった。米国の薬物依存に関する危機の規模を示す場所があるとすれば、それはケンジントンにほかならない。そして、その危機に対処する方法があるなら、それはノースフィラデルフィアという試験にパスするものでなくてはならないだろう。

このコラムは、米ニュージャージー州プリンストンを拠点とするフォトジャーナリストのドミニク・ロイター(Dominick Reuter)が執筆し、2017年8月14日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

【翻訳編集】AFPBB News