今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「しれば迷ひしなければ迷はぬ恋の道」
--土方歳三

土方歳三は、ご存じ、新選組の副長である。

天保6年(1835)、武蔵国多摩郡石田村(現・東京都日野市)の生まれ。豪農の家の末子だった。生まれたとき既に父はなく、6歳で母と死別。兄夫婦のもとで養育され、11歳で江戸へ丁稚奉公に出た。その後、17歳で帰郷。生家に伝わる石田散薬の行商にいそしみながら、天然理心流の剣術を習いはじめた。ここに近藤勇との出会いが待っていた。

土方は、「豊玉(ほうぎょく)」という俳号で、拙いながら俳句をつくっていた。美男で恋多き男。奉公先でも奥女中と恋愛沙汰を起こし、クビになったりもしている。

掲出のことばは、そんな土方の書き残したもの。俳句というより川柳のような趣だが、青年の素朴な思いの吐露ではあったのだろう。

黒船の来航があって時代が大きく揺れ動く中、文久3年(1863)、京を警護するための浪士隊の募集がなされた。近藤勇に誘われ、土方もこれに応募。京へのぼると、まもなく新選組が結成された。土方は副長として厳しい掟のもとに鉄のような組織をつくり上げ、倒幕派の浪士たちと激しい闘争を繰り広げた。

やがて幕府軍の敗走とともに、土方らも、大坂、江戸、流山、甲州、会津若松、松前、箱館(函館)と転戦していく。途中、流山では近藤がとらえられ、処刑された。その後の土方は、どこか自分の死に場所を求めるようでもあったという。

榎本武揚らとともに蝦夷地(北海道)に渡り、箱館(函館)五稜郭に蝦夷島臨時政権を構えるが、新政府軍による海と陸からの激しい攻撃を受ける中、馬上で敵弾の狙撃を受けて戦死した。明治2年(1869)5月11日のことだった。

死の少し前、土方は次のような辞世を書きつけ、毛髪や写真ととも
に小姓の市村鉄之助に託し、故郷の石田村に届けてもらっている。

「たとひ身は蝦夷の島根に朽つるとも魂はあずまの君やまもらん」

あずまの君とは、将軍のこと。迷い迷った恋の道と違い、最後の最後まで、徳川幕府に対する強い忠誠心が貫かれていたことがうかがえる。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。