インドで5年間プレーし、今夏、香港に移籍! 孫民哲がインドでの興味深い様々な経験談を語ってくれた。写真:滝川敏之

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 京都府出身で朝鮮大時代には関東選抜に抜擢され、その後、FC琉球などで活躍したDFの孫 民哲(ソン・ミンチョル)。2012年からインドのシロン・ラジョン、ムンバイでプレーし、この夏、香港プレミアリーグに新たに誕生したリーマンFCに移籍した。
 
 現在、数多くの日本人選手が、アジア各国でプレーしている。彼らは日本代表であり、Jリーグをはじめとするアジアのトップリーグを支えている貴重なプロフェッショナルプレーヤーたちだ。そのなかで孫は「ACLでのJリーグ勢との対戦&Jリーグ入り」を目標に掲げて戦ってきた。
 
 30歳を迎えた俊英センターバックの熱き挑戦は、香港で新たな物語を紡ぎ出す。
 
 これまでの海外挑戦の経緯、そして主にインド生活での数知れないエピソードのいくつかを、孫に語ってもらった。
 
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――FC琉球、FCコリアでプレーしたあと、どういった経緯でインドに渡ったのですか?
 
「最初はタイのクラブから話をいただいて現地に行ってみると、『カップ戦しか出られない』という契約だと分かったんです。それでは無理だと代理人に相談したところ、『じゃあインド、どうだ』と言われたんです」
 
――すごい展開ですね。
 
「はい。え、インド!? って。当時はまったく想像できませんでした。ただ海外でプレーしてみたいと思っていて、いろいろ話を聞くと、とても待遇が良く、クラブの態勢もしっかりしていたので、シロ・ラジョンと正式契約に至りました。ラジョンの町はとてもサッカー熱が高く、観客数も毎試合2万5〜6000人が入って、それでいてとてもファミリー的なチームでした」
 
――ちょうどインドの国内リーグが盛り上がっていった時代ですね。
 
「そうですね、インドが好景気に沸き、プロのサッカーチーム数が増え、選手のサラリーも上がり始めた時期でした。タイミングはとても良かったです」
 
――孫選手は12年からインドに渡り、14年にはデル・ピエロ選手もデリーでプレーしていましたね。
 
「それに二コラ・アネルカ、ダヴィド・トレゼゲ(いずれも元フランス代表)も来ましたからね。盛り上がりはすごかったです。僕が渡った2012年は、スーパーリーグで外国人選手はプレーできないルールになっていて、その後、改正されていったんです」

 

 ――孫選手のプレースタイルは?
 
「CBをメインに、ボランチなどもしています。チーム内では東アジアから来た選手が自分だけだったので、責任感を持ちつつ、なめられてはいけないなって普段から心掛けていました(笑)」
 
――2015年からはムンバイでプレーしていましたね。
 
「ムンバイはインドを代表する商業都市。小澤竜己選手(元FC東京など、現トヨタ蹴球団)とも一緒にプレーしました。コザはとても良い奴でした」
 
――ちょうどインドで強烈なサッカー熱が高まっていた時期に、その「熱さ」を実感できたわけですね。
 
「インドのローカルの選手たちのレベルは、正直、まだJリーグほど高くないと言えますが、ポテンシャルのある選手はたくさんいます。将来的なワールドカップ出場や開催も狙っているそうです」
 
――では孫選手の目標を聞かせてください。
 
「海外のクラブの一員として、Jリーグのクラブと対戦したいです。ACLですね。一方で、Jリーグでやりたい気持ちはあり、目標のひとつでもあります。こうして外に出てみると、Jリーグのレベルの高さを実感します。だから、日本でプレーすることも念頭に置きつつ、さまざまな挑戦を続けていきたいです」
 
――ちなみにインドの生活で困ったことは?
 
「基本的に時間を守らないんですねえ(笑)。30分遅れなんて当たり前。あと遠征先では水が出なかったり、お腹をくだすことが多かったり……。それには、なかなか慣れませんでした」
 
――住まいなどは?
 
「シロン・ラジョンは素晴らしかったです。契約に含まれていたんですが、普段から運転手がついていました。あとコックさん、ハウスキーパーさんもいらっしゃいました」
 
――まさに「助っ人」向けの待遇だったわけですね。
 
「ムンバイではそこまでの待遇ではなかったですが、日本食レストランがたくさんあり、食事の面ではだいぶ改善されました。やはりインドを代表する商業都市とあって、物価も東京並みに高かったんですが、生活は充実しました」
 
――では、インドにしかなかった魅力はあります?
 
「コルカタダービーというアジアで最も大きいダービーがあります。モフン・バガンとイースト・ベンガルが対戦し(1910年以来の歴史があり、300試合以上を行なっている)、10万人ぐらい観客が集います(97年には13万1000人を集めるインドのスポーツイベント最多観客記録を作った)。あれは、本当に素晴らしい試合で、日本人の遊佐克美選手が決勝点を決めたこともあるんですよ(2014年、モフン・バガンが勝利を収めた)」
――では、インドで人気のあった日本人選手は?
 
「そういえば、遠藤保仁選手がとにかく人気でした。香川真司選手や本田圭佑選手ではなかったのは、意外でしたね。『遠藤、遠藤。一番、上手いよね』って(笑)」
 
――テクニックのある選手が好まれるというのは、なんともアジア的ですね。
 
「そうですね、中村俊輔選手も人気でした。あと稲本選手を何人か挙げていました。インドが対戦したことのある選手たちでもありますね」
 
――さて、この夏、今度は香港に新天地を求めました。リーマンFCは、新たに発足したクラブということです。今後の活躍を、期待しています!
 
「アジアでプレーする僕らは、『俺たち裏・海外組だからな』と話すことがあります(笑)。海を渡れば外国人選手として見られているわけだから、プライドを持ってプレーしようなって。自分たちが頑張ることで、日本やアジアのレベルを上げていけたら嬉しいですね」
 
◇プロフィール◇◇
孫 民哲(ソン・ミンチョル)/1986年10月27日生まれ、京都府出身。179センチ・77キロ。京都朝鮮高―朝鮮大―FC琉球―FC KOREA-シロン・ラジョン(インド)―ムンバイ(インド)―ソンクラー・U(タイ)―リーマンFC(香港)