国境を流れる鴨緑江を挟んで中国と向かい合う北朝鮮の新義州(シニジュ)。中朝貿易、国内物流の拠点だけあって、各地から多くの人とカネが流れ込む。それに導かれるようにして、多くの女性が集まってくる。

現地のデイリーNK内部情報筋によると、市内の閘門旅館の前では、20代と思しき女性たちが通りかかった男性に「マッサージはどうですか」としつこく勧める。売春の斡旋だ。

バスターミナルで

交渉がまとまれば料金を支払う。新義州での相場は、20代女性150元(約2460円)、30代女性100元(約1640円)だ。斡旋をする女性はそこから20元(約330円)を受け取る。20元でコメ4キロに相当する額だから、保安員(警察官)への付け届けを払っても、かなりいい稼ぎとなる。

北朝鮮にはラブホテルが存在しないため、「待機宿泊」と呼ばれる民泊で事に及ぶ。

情報筋によれば、駅前や繁華街にこのような女性が200人から300人もいるという。

売春に従事する女性には大きく分けて2つのタイプがいる。1つは他の商売と比べて楽に稼げることに魅力を感じた女性、もう1つは市場経済化の波に乗れず、貧しい生活を強いられている女性だ。

(参考記事:コンドーム着用はゼロ…「売春」と「薬物」で破滅する北朝鮮の女性たち

情報筋が会った女性は「夫が軍隊で事故に遭い、障がいを負って除隊した、仕事ができなくなったのに国は一切の補償をしてくれないため、生計を立てるためにやっている」と話したという。

国のシステムが曲がりなりにも回っていた1980年代以前、北朝鮮には売春はほとんど存在しなかった。一部にはあったが、ごく個人的な営みに限られていた。国から食糧や生活必需品、住宅に至るまで支給されていたため、多額の現金が必要なかったからだ。また、女性を様々な政治組織に加入させ、「商売」をする時間を与えなかった。

売春の拡散が始まったのは、1990年代前半からだ。この頃から、配給の回数が減り始め、暮らし向きが徐々に悪化した。「苦難の行軍」と呼ばれる大飢饉が起きた90年代後半に至っては、餓死から逃れるために売春に従事する女性が急増した。

そして今では、全国の駅、バスターミナル、市場では必ずと行っていいほど売春の斡旋が行われるようになり、組織化されるようになった。

ちなみに前述の閘門旅館の周辺だが、かつては覚せい剤の密売が行われており、アヘン窟を彷彿とさせるような状況だったという。

名門大学卒業後の8年間、金正日総書記を警護する護衛司令部に少佐として務め、2005年初頭に脱北したホ・ヘイル(仮名)さんは、月刊新東亜2006年8月号とのインタビューで、 「苦難の行軍」の時代には鴨緑江ホテルや閘門旅館の前にタバコに覚せい剤を混ぜて吸う人、火であぶって吸引する人、注射をする人がたむろしていたと証言している。