今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「『おもいでの中に生きる彼』などというのはなまぬるい。記憶とともに在る彼、私の生命と合致している彼は、いつも私と共に在る」
--村岡花子

NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)で、少し前に、吉高由里子主演のドラマ『アンと花子』が放送された。吉高が演じていた主人公のモデルは翻訳家で児童文学者の村岡花子。カナダの作家、ルーシー・モード・モンゴメリ作の『赤毛のアン』シリーズの翻訳で名高い人物である。

村岡花子は明治26年(1893)、山梨県甲府市の生まれ。父・安中逸平、母・てつ。葉茶屋を営む家の8人兄弟の長女だった。花子が5歳の折に一家して上京。花子は翌年、品川の城南尋常小学校に入学するが、明治36年(1903)に東洋英和女学校に編入学。以降、10年間を同校の寄宿舎で過ごした。のちに歌人となる柳原白蓮とは、この寄宿舎で出会う。

大正8年(1919)、26歳のとき、印刷会社の御曹司である村岡ケイ三(ケイは人偏に敬)と結婚。関東大震災の影響で、その印刷会社が倒産して多額の負債を抱えたり、長男を5歳で亡くすなどの苦難
や悲しみもあった。それでも、夫婦協力して、そこを乗り越えた。

『赤毛のアン』シリーズの翻訳出版が始まったのは、太平洋戦争終結後の昭和27年(1952)5月。花子が58歳となる直前のことであった。

掲出のことばは、昭和38年(1963)に夫が亡くなったあと、遺影の前に手向けられた花の世話をして日々を過ごしながら、花子が自分の胸の中にある夫の存在について語ったもの(『改訂版 生きるということ』より)。

このことばの前後には、次のようにも綴られている。

「毎日のように『ああ、もう少し早くこれができていたら』と見せたいもの、聞かせたいものばかりである。しかし、これは欲というもの、私が生きる限りの恨みであろう」

「やっぱり私は幸福だ。花の水を替えてやりながら、つくづくと愛することのしあわせを噛み締めている私である」

夫婦の結びつきの強さ、死別してなお深まるが如き愛情が、切々と伝わってくる。伴侶との別れに対峙して、花子は哀しみさえも生きる糧としたように思えるのである。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。