東スポの芸能欄に、

「宮迫顔負け 名古屋乱行の男たち」

というタイトルの記事が掲載されていた。リード文を一部抜粋してみれば、

(不倫騒動で世間のひんしゅくを買った)雨上がり決死隊の宮迫博之(47)は「まだマシなほう」との声が上がっている。芸能マスコミの目の届かない東京と大阪の間の都市、名古屋では「宮迫以上に破廉恥すぎるウラ情報」が飛び交っている。なかには裁判の一歩手前までいったというヤバい話もあるから、穏やかではない。

……らしく、お笑い芸人のAやらBやらCやらDやらEやら、歌手のFやら、俳優のGやら、薬物騒動を起こしたHやらが、片っ端から地元モデルを食いまくったり、不倫に勤しんだり、夜な夜な合コンを開催したり、ゲイ専門サウナで目撃されたり……と、例によってイニシャル表記オンリーの、結局は事の真相がほとんどつかめない、東スポがお家芸とする典型的な飛ばし記事でしかないのだが(笑)、要は

「最近は東京を拠点とするタレントが名古屋の番組への出演が増えたという背景、大阪での仕事の帰りに立ち寄ることもできるという場所柄、しかも芸能マスコミのマークがユルいという理由から、名古屋で羽を伸ばす芸能人が激増している」

……みたいな内容だ。

もちろん、A〜Hがどこの誰だろうが私にとっては心底どーでもいい話で、その“実名”に関しては、まったく興味もない。ただ、名古屋が東京や大阪、さらには福岡や札幌とはまた違った独特なオーラを放ち、我々男たちを妙な磁力でついつい引き寄せてしまうのは、まぎれもない事実である。それはなぜ……?

とにもかくにも、名古屋は「東京に対するコンプレックスのかたち」が非常にわかりづらい。たとえば、大阪だと「日本で二番目の大都市」ならではの対抗心を、東京へと露骨に向けてくる。福岡や札幌は「大都市ではあるけれど、東京にはかないません」という一種の諦観から、素直な憧れを東京に抱く。でも、名古屋には東京への「対抗心」も「諦観」も、(少なくとも私には)感じられない。逆に、「対抗心」と「諦観」のどちらも併せ持っているとも解釈できる。ゆえに、“名古屋の気質”ってやつが言葉ではなかなか言い表せないのだ。

もしかすると、名古屋のこういう「わかりづらさ」は、案外「日本のほぼ中央部」「東京と大阪の中間」といった物理的な位置関係に大きく起因しているのかもしれない。「対抗心」も「諦観」も、あと情報から経済から人口から……すべてをハーフウェイ状態で取り込み、曲解・肥大化して、結果それが「わかりづらさ=独特なオーラ」を生み出しているのではなかろうか。

かつて、ジュリアナ東京でTバックギャルが流行ったとき、大阪は「もっと露出を過激にする」ことによって“わかりやすく”東京に対抗した。ところが、名古屋で流行ったのは「Oバック」──「過激」とは微妙にニュアンスを異にした、風変わりなトレンドを発信したのである。

そして、そのいびつさこそが名古屋の、あえて言い切るなら「魅力」であり、そんな名古屋に我々男どもは出張中、ミナミにも中洲にもススキノにもない高揚感で胸を躍らせるのであった。

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