教訓は生かされたか、カトリーナ取材記者が見たハービー

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Brian Thevenot

[ヒューストン 30日 ロイター] - 大型ハリケーン「ハービー」から避難してきた約1万人が集まる米テキサス州ヒューストンのコンベンションセンターで、リアン・バーバーさんと話をするうちに、ハリケーン「カトリーナ」がルイジアナ州ニューオーリンズを襲った12年前のちょうどその日、私たちは2人とも同市の第9地区にいたことが分かった。

バーバーさん(36)はかつて、ニューオーリンズの工業水路の東にあるフォーストール・ストリートに住んでいた。当時、工業水路の堤防が決壊し、大量の水が貧困層が暮らす同地区に押し寄せ、壊滅的被害をもたらした。

彼女が発作を起こしたのは絶妙なタイミングだった。

カトリーナがニューオーリンズを直撃する直前、バーバーさんはアップタウンにあるトゥーロ病院に運ばれた。同地区はその後、浸水しなかった数少ない貴重な地域の1つとなる。てんかん持ちで、21歳のときの自動車事故のせいで障害を抱えていたバーバーさんは、入院していなければ洪水で確実に命を落としていただろう。

カトリーナの暴風が最悪な状況を脱したころ、私はアップタウンに近いタイムズ・ピカユーン紙のオフィスから工業水路にかかる橋へと向かった。そこで2005年8月29日の午後、壊滅的な洪水を目にしたのだった。

乗り込んだ民間の救助ボートは、フォーストール・ストリートを抜けながら、人や大型犬、バッグに詰め込まれた猫たちを屋根や2階から救出していた。

「死者が大勢いるだろう」。セント・クロード・アベニューに向かう途中で、ボートの責任者ジェリー・レイズさんは、正確にこう予想した。

バーバーさんは助かったが、天地がひっくり返った心境だった。病院が避難することになったとき、職員がこう言ったからだ。

「安全な場所にお連れします。スーパードームに」

そこで電気も水道もない1週間を過ごした後、バーバーさんはバスでテキサス州ヒューストンに搬送されたという。以来、同市に暮らすバーバーさんは、新たな歴史的洪水のトラウマに直面している。

ハービーの破壊的猛威が世界中に報道されるなか、当然カトリーナとの比較も行われている。

だが私は、バーバーさんほど的確に表現することはできない。「至るところに死んだ赤ちゃんや遺体がない以外は、カトリーナと同じ」と、彼女は語った。

米連邦緊急事態管理局(FEMA)によると、カトリーナの犠牲者数は1833人に上る。

ハービーの最終的な犠牲者数はまだ不明だが、現段階の推定では30人程度とされている。

<人災>

犠牲者数の落差は、この2つのハリケーンとそれぞれの危機管理当局者の対応に見られる大きな違いを浮き彫りにしている。

カトリーナにおいて、完全に理解する人が少なく忘れ去られているのは、米陸軍工兵部隊(COE)が建設した堤防システムの致命的欠陥が壊滅的被害の原因だということだ。

主要な3本の水路は設計仕様書にある水位に達していなかった。水は堤防を越えて流れ込んだのではない。十分な深さで建設されなかった堤防の下部部分の土砂が洗い流されてしまったのだ。

こうした重大な欠陥により、わずか数分で水位は上昇し、家屋を破壊して住民を溺死させる威力を持つに至った。脱出できた住民のなかには、極度の疲労や病気でのちに亡くなる人もいた。

堤防の欠陥がカトリーナによる被害の原因になると予想していた人は誰もいなかった。

一方、テキサス州の当局や非営利団体は、ハービーの脅威をはっきりと認識し、12年前のカトリーナの教訓を生かしていた。

ヒューストンが豪雨に見舞われる前、ハービーによる暴風は沿岸部にあるテキサス州ロックポートという小さな町を直撃。多くの建物が破壊されたものの、比較的小規模な洪水で済んだ。

ヒューストンでは暴風による被害はそれほどでもなかったが、歴史的な降水量を記録した。だが、ハービーが直撃する何日も前から、気象学者たちはそのことを予測し、救急当局や警察が前もって捜索や救助、避難所などの準備をすることを可能にした。

電線が切れるなど暴風による被害がなかったおかげで、電光が洪水の水を不気味に照らし出していた。28日夜、軍の救助車両に乗っていた私は、浸水した家でテレビを見ている人を目撃した。

<小さな濡れネズミ>

ニューオーリンズ第9地区に隣接したセントバーナード郡の紛れもないアクセントで話すバーバーさんに、私はどれだけ安堵(あんど)を覚えたか、言い表すことができない。

高潮がヒューストン南東部にあるバーバーさんのアパートに迫るなか、彼女はカトリーナがルイジアナ州沿岸を直撃しようとするなかで自身に起きた発作を思い出したという。ハリケーンでパニックになるといったような感情の高ぶりが、てんかん発作を引き起こしかねないことを彼女は学んでいた。

それ故、バーバーさんはハービーがテキサス州に接近したとき、大海原や虹など楽しいことだけを考えて、発作が起きるのを防ごうとした。そして、それは功を奏した。

バーバーさんは間もなくして膝まで水に浸かり、隣人宅の2階で救助されるのを待った。

「私は行き場のない小さな濡れネズミだった」と、バーバーさんは私に語った。

バーバーさんが死に直面したのはこれが初めてではない。彼女はかつて麻薬の売人で、銃を携帯していた。21歳のときに車で正面衝突する事故に遭い、カトリーナが直撃する少し前までの4年間、介護施設で過ごした。

「神様はきっと私を愛しているに違いない」と、バーバーさんは避難所のベッドに座り、こう話した。「麻薬を売るのも切り抜けた。カトリーナも切り抜けた。そして今度はハービーも。生かされる意味があるはず」

<対照的な2つのコンベンションセンター>

ヒューストンのジョージ・R・ブラウン・コンベンションセンターでの光景は、私の心に焼き付いているニューオーリンズのアーネスト・N・モリアル・コンベンションセンターでの悪夢ような光景とはまさに対照的である。

ロックポートの学校では先週末、避難所が大いに改善されているのを目にした。ここでは、脚本家志望の29歳の男性が、電気も水道も食料もない施設の管理を引き受けていた。

ヒューストン中心部では29日、当初5000人の収容が予定されていた避難所に1万人近くが避難。電気も、エアコンも、トイレも、十分な食事や水や薬もあり、大勢のボランティアが常に気を配っている。

こうした被災者への手厚い支援は、危機管理当局がカトリーナの失敗をよく研究したおかげでもあると、官民の連携に詳しい赤十字のボランティア、デービッド・シェーニックさんは指摘する。

カトリーナ後、赤十字は根本的な3つの変更を行った。1つは、被災者がペットを連れて避難するのを許可すること。カトリーナでは、ペットを置いて救助されることを多くの住民が拒否したからだ。2つ目は、カトリーナで主な失敗の1つだった、政府との連携を強化すること。そして3つ目は、被災地に近いボランティアを効果的に割り出して配置するデータベースを構築することだ。

12年前、ニューオーリンズのコンベンションセンターに設けられた「避難所」は、全く計画されたものではなかった。バーバーさんが収容されたスーパードームに被災者を収容しきれなくなってから、自然と避難所と化していった。

センターには電気も水道もなく、トイレは最悪だった。多くの人は食料も水もほとんどなく、希望も見いだせないまま、州兵やヒューストン行きのバスが到着するまで何日も過ごした。

携帯電話は使えず、スマートフォンはまだこの世になかった。誰もテレビを見ていなかったし、フェイスブックはまだ大学のネットワークにすぎず、ツイッターも存在しなかった。それ故、私たちの取材班がコンベンションセンターに新聞を数部持って行ったとき、食べ物と同じくらい重宝がられた。

私は後方の倉庫で4人の遺体を目撃した。1人は車椅子に座ったまま、毛布がかけられていた。もう1人は床に横たわり、毛布に覆われていた。遺体から血が流れている跡が見えた。第9地区へ行ったときには、膨張した複数の遺体も目にした。

だが、私が取材したハリケーンはどれも、死と壊滅的状況のなかにおいて、この上ない美しさも見せてくれた。それは自然の力と、それにあらがおうとする人間の意志とがぶつかる巨大な衝突から生じるものだ。

カトリーナでは、忘れることのできない思い出が1つある。コンベンションセンターに避難していたアニタ・ローチさんである。彼女は、バプティスト教会の賛美歌隊長だった。

周囲が打ちひしがれるなか、彼女は両手を上げると、大声で歌い始めた。かつて息子や自宅を失った時に、また洪水で危うく自分と夫が命を奪われかけた時に苦しみを癒やしてくれたゴスペルのスタンダード曲「スタンド・バイ・ミー」だった。

コーラスが沸き起こり、彼女に加わった。

(翻訳:伊藤典子 編集:山口香子)