2017年民進党代表選挙。外国特派員協会で会見する前原誠司元外相(右)と枝野幸男元官房長官(左)。(2017年8月29日。写真=つのだよしお/アフロ)

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終始盛り上がりを欠いた民進党代表選は、前原誠司元外相が枝野幸男元官房長官に勝って終わった。勝った前原氏と敗れた枝野氏は、1933年の衆院選で、細川護熙氏率いる日本新党から出馬して当選した同期の桜だった。そういえば、小池百合子東京都知事も日本新党出身。政府側に目を転じれば茂木敏充・経済財政担当相も同じだ。与党も、野党も、地方自治の現場でも、右を向いても左を向いても日本新党OB、OGが幅を利かせている。

■「93年当選組」閣僚経験者は15人

日本新党は、25年前の1992年、雑誌に「『自由社会連合』結党宣言」を発表した細川氏が結党。7月の参院選で細川氏、小池氏ら4人が当選した。この段階ではブームも「中ぐらい」だったが、翌93年の衆院選で38人(追加公認も含む)が当選。しかも選挙後の7月には党代表の細川氏が首相に就任した。まさにホップ、ステップ、ジャンプの躍進だった。

ちなみに日本新党は94年の暮れに解党しているので、日本新党で国政選挙を戦ったのは92年参院選と93年衆院選だけだ。

93年に日本新党で当選した議員は多士済々だ。細川氏以外にもう1人、首相経験者がいる。民主党政権最後の宰相・野田佳彦だ。この他、閣僚経験者は、小池、前原、枝野、茂木氏以外にも経済産業相や民主党代表を歴任した海江田万里氏、官房長官経験者の藤村修氏、総務相を務めた樽床伸二氏、石破茂氏の側近で環境相経験者の鴨下一郎氏、五輪担当相を務めた遠藤利明氏らがいる。首相や閣僚を経験したのは38人の中で15人にのぼる。

首長経験者も豊富だ。現職知事は小池氏以外にも、愛媛県知事の中村時広氏がいる。河村たかし氏は名古屋市長。横浜市長を務めた中田宏氏、福岡市長を務めた山崎広太郎氏、杉並区長を務めた山田宏氏も日本新党OBだ。

個性的な存在として記憶に残る政治家もいる。自らがん患者であることをカミングアウトしたうえでがん対策基本法の制定に尽力した山本孝史氏、「爆弾発言男」として鋭い質問を連発しながらテロにより命を落とした石井紘基氏らもいる。政治になじみのない人でも、名前を聞けば顔が浮かぶ人ばかりではないか。

■「掛け持ち」していた小池都知事

今も活躍する日本新党組は

(1)新進党などを経て民主党に合流し2009年の民主党政権の中核をなした人たち(前原氏、枝野氏、野田氏ら)
(2)自民党に移籍し、保守政治家として馬齢を重ねた人たち(茂木氏、鴨下氏、遠藤氏ら)
(3)国政から地方へ転身した人たち(中村氏、河村氏ら)

という3つに分類できる。

小池氏は自民党に移り閣僚や党幹部を歴任してから都知事に転身。(2)グループ、(3)グループの両方を掛け持ちしていることになる。

■「バブル組」が生き延びた2つの理由

それにしても「バブル当選組」ともいえる彼らが、なぜ政界の荒波の中で生きながらえているのだろうか。政治の世界ではしばしば「バブル組」が誕生する。

例えば2005年、小泉純一郎首相(当時)が仕掛けた「郵政選挙」では自民党は83人もの初当選者が出た。いわゆる「小泉チルドレン」だ。09年の衆院選でも民主党が大量の初当選者を生んだ。当時実力者だった小沢一郎氏の「チルドレン」たちだ。だが小泉チルドレンも、小沢チルドレンも、次の衆院選では大半が一敗地にまみれた。「バブル」は必ず崩壊する。ブームで当選した議員たちは政治家としての実力がなく、支援組織も弱い。当然の成り行きではある。

日本新党組が、しぶとく生き抜いてきた理由は、2つ考えられる。まず「90年代前半」という特殊性だ。当時は派閥単位で覇権を争う自民党政権が長く続いていた。その結果、どれだけ優秀な人材でも、地盤(後援会組織)、看板(知名度)、かばん(カネ)の「3バン」がないと政治家にはなれなかった。政治家の子女か、有力政治家にコネのある人物だけがバッジをつけ、しがらみのない若い人物は入り込む余地はなかった。

そんな状況下で、日本新党が新しい政治を掲げ、「3バン」不要で候補者を募ったため、政治家を志しながら立候補する道を閉ざされていた若くて優秀な人材が多く集まった。

その後、似た理念を掲げる新党がいくつも生まれては消えていったが、次第に「若くて優秀な人材」は底をつき、候補者は劣化していったため、日本新党組のように生きながらえることはできなかった。

■ベテランたちも小選挙区は「初心者」だった

2つ目の理由として選挙制度の変更がある。彼らが初当選した93年の衆院選は中選挙区で行われた。その後誕生した細川政権で、選挙制度改革が実現。96年の衆院選からは小選挙区を柱とする小選挙区比例代表並立制になった。

1つの選挙区で3〜5人程度が当選する中選挙区と、選挙区で当選者が1人の小選挙区は戦い方が全く違う。中選挙区では有権者の15%から20%を得れば楽々当選できたが、小選挙区では過半数を目指さなければならない。

中選挙区では戦い方を熟知していたベテランたちも小選挙区は「初心者」。93年初当選の日本新党組は、96年の2度目の選挙から、ベテランと対等の立場で戦うことができるようになった。これも日本新党組が生き延びる原因となった。

24年前、初当選したころはこれほど長く政治家を続けているとは自分たちも思わなかっただろう。だが日本新党組たちは、もうしばらく、与野党で、そして地方で活躍を続けることになるだろう。

■しかし再結集は「100%」ない

ただし、最後につけ加えておきたいことがある。彼らは「同窓」とはいえ、一体感はない。むしろ、「仲が悪い」と言った方がいいかもしれない。同じ時期に国会に入り、同じ釜の飯を食ったとはいえ、その後の政治活動はあまりに違うため「裏切られた」「権力に日和った」というわだかまりが大きい。

だから、政治経験を積んだ日本新党組が20数年ぶりに結集して政治を動かすということは100%ない。少し残念な話ではある。

(写真=つのだよしお/アフロ)