富士山大噴火の実態と復興の軌跡を紹介

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9月1日放送の『歴史秘話ヒストリア』(NHK総合、毎週金曜20:00)は、防災の日スペシャルとして「江戸 百万人が見た!富士山大噴火」を放送する。

古くから、日本人の心のよりどころであり続けきた富士山。世界文化遺産にも登録され、年間登山者数は20万以上という一大観光地だ。その一方で、富士山はまぎれもない活火山でもある。今から300年前の江戸時代中期、1707(宝永4)年11月23日、富士山の歴史上最大級の「宝永噴火」が起きた。これは、平安時代以来840年ぶりの大噴火で、世界史的にも珍しいほどの多数の日記や手記、絵図などが記録が残されている。地震などの予兆から、噴火後の黒雲や雷、大量の火山灰に謎の震動。それらの証言を、第一線の火山学者が分かりやすく解説。江戸時代の人々の目を通して、富士山史上まれな大規模かつ爆発的噴火の実態を探る。

さらに、次々と襲い来る火山灰や大洪水などの二次災害に立ち向かった、幕府の役人と農民たちの果断な行動、そして8代将軍徳川吉宗に登用された民間人の知恵に注目しながら、80年という歳月を費やした被災地の復興の跡をたどる。

まずは、“恐るべき火山灰”について。「宝永噴火」の火山灰は、富士山のふもとの「御厨」地方では3メートル以上も積もり、田畑は壊滅。農民は飢餓に直面した。幕府は被災地復興の資金として、全国から巨額の資金を集め、さらに責任者には関東代官・伊奈忠順を任命する。しかし、資金の多くは流用され、伊奈も他の地域の支援に追われて、効果的な対応はなされずにいた。ようやく農民の必死の訴えで現場を検分し、心を動かされた伊奈は、農民を連れて江戸の勘定奉行に直談判。被災地の声を届ける。そして農民たちは、「天地返し」という土壌改良法に根気よく取り組み、農地を復旧。復興への道を切り開いていった。

ところが、富士山の噴火はその後、「大洪水」の続発を招いた。足柄平野を流れる酒匂川が、川底に積もった火山灰のために水位が上がり、豪雨の度に氾濫。堤防を作るも決壊を繰り返し、平野は荒廃した。復興を急ぐ8代将軍吉宗が白羽の矢を立てたのは、民間人の田中丘隅。農民出身の丘隅は、激流を弱める装置などを作って、堤防を万全なものとし、さらに利害の対立する村々を祭りで融和させるなどして、治水事業で成果を挙げてゆく。その後、被災地の復興が達成されたのは、噴火から80年後のことだった。

番組では、実際に井上あさひアナウンサーが、宝永噴火口の現場を訪ね、富士山が秘める巨大なエネルギーを体感。日本のシンボル富士山の噴火という巨大災害の実態と、使命を担った人々の知られざる歴史を伝える。