ピライーバ

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 “怪魚ハンター”として『情熱大陸』をはじめ、テレビ番組やネットで話題の男、小塚拓矢氏。世間で“怪魚”が注目されるたび、彼の動向は日刊SPA!でも取りあげてきた。訪問国の合計は49か国、海外で過ごした日数は1075日。その2011年以降の旅の記録が『怪魚大全』(扶桑社)にまとめられている。登場する魚の種類は、なんと272種類。

「怪魚を求めて日本を飛び出せば、旅は向こうからやってくる」

 旅といえば、おいしい食事や親切な現地人とのふれあいが醍醐味かもしれないが、それだけではない。マラリヤ蚊や厳しい自然環境など、厄介なトラブルまでがつきまとう。そして、ときには恋愛までも!?

 学生時代はもちろん、社会に飛び出してからも“怪魚釣り”を続けた小塚氏。まさに20代の青春を捧げたといっても過言ではないだろう。そんな小塚氏にとって忘れられない怪魚とは……それにまつわるエピソードを聞いてみた。

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◆東日本大震災のさなか、複雑な思いをぶつけた【グーンシュ】

 2011年3月11日、東北を襲った未曾有の大震災。宮城県・仙台市在住だった小塚氏。

「友人から『大丈夫か!?』との連絡が入るなか、そのとき実は卒業旅行でインドにいたんです。人食いナマズとも呼ばれる“グーンシュ”という怪魚を釣るためでした」

 小塚氏は首都デリーから北上し、ヒマラヤの麓を目指した。その際にも多くの現地人から震災のことを聞かれたという。

「インドには、2007年にも挑戦していました。そこで惨敗した因縁の相手でもありましたが、グーンシュに憧れこそあれ、なんの恨みもない。でも震災のさなか、自分はそこにいない……。エア被災というか、そんな複雑な思いを、釣りにぶつけました。グーンシュが印象に残っているのは、そんな背景が理由かもしれません。その後、帰国してみると学生時代をを過ごした5畳半の部屋はしっちゃかめっちゃかでした」

「震災から3週間ほど経った頃、被災地の石巻にいったんですよ。もちろん、人間にとって大地震は“災難”で、魚でも池に塩水が流れ込んで死んだ魚もいっぱい見た。到着した釣り場の川では数日前に子どもの死体があがったそうですが、一方、たくましく生きる魚たちもいて。サクラマスは、人間が作った河口の定置網が壊れたことで、生き生きと川を上ってきていた。そこで思ったのは、人間も、数ある生き物の1種にすぎないってこと。亡くなられた方々の冥福を祈りつつ……一応、僕も被災者のひとりとして、あえて言わせてもらうと、自然現象としては仕方がないと納得するしかないというか」

 人間社会の儚さと生き物のたくましさ。その両方を感じた。その春、大学院を卒業したが、社会人としてゼロからのスタートどころか、いきなりパソコンや仕事道具を失った。まさに「社会人への花向け的な崩壊だった」という。

 グーンシュをめぐる旅は、一生忘れることのできないプロローグだろう。その翌年、小塚氏は釣りを仕事に、株式会社モンスターキスを設立する――。

◆逆にテレビの裏側を密着取材したとも言える【ピライーバ】

「テレビ番組『情熱大陸』で釣りに行った“アマゾンの皇帝”ことピライーバ。これはドキュメンタリーとして密着される立場ではあったのですが、ある意味、僕が彼らに密着していたとも言える。テレビやメディアの裏側なども知ることができた。他称“怪魚ハンター”ではなく、自称“怪魚作家”として、僕なりの真実のエピソードを『怪魚大全』に記しています」

 小塚氏は『情熱大陸』をキッカケに一躍、有名人となった。とはいえ、その編集内容には思うところがあったのだという。

「ビンボーでストイック、ステレオタイプな冒険家の若者という、いかにもメディアでウケそうな人物に演出されていて。放送直後にブログやSNSで僕も怒って……迷惑をかけたと思うのですが。数年経って今思うことは、内容はどうあれ、感謝していますね。あれから出演依頼なども急激に増えて。ディレクターからは、ゲームのマリオにたとえると、放送後は“スターを取った状態になる”とも言われていましたが、その通りだなと。一匹の怪魚によって、多くの人と出会い、ストーリーがつながっていく。そんな力がピライーバにはありました」

◆番外編:デンキウナギよりシビれた“天空の花火大会”

 魚のことしか頭にない(ように見える)小塚氏。旅に出た動機を「初恋の彼女にフラれて見返すため」というが、その恋愛事情やいかに。『情熱大陸』という追い風まで受け、果たして……!

「あ、やっぱりそこ聞いてきますか(笑)」

 ピライーバをめぐる旅から4か月後の夏。別のテレビ番組からアマゾンを再訪して「デンキウナギを釣ってほしい」との依頼があった。しかし小塚氏は当初、乗り気ではなかったという。なぜなら、“先約”があったからだ。

「ロケを依頼されたお盆に、付き合ったばかりの彼女と、地元の花火大会に行く約束をしていたんで……これは、僕にとってアマゾンよりも遠かったわけです(汗)。しかも、依頼からロケまでがすごい急なスケジュールで。だからギャラも良かった(笑)。当時は28歳、テレビに出て急に財布が暖かくなると、普通だったらキャバクラや風俗に行くなり、豪遊したりするのかもしれませんが……自分でいうのもなんですが、魚としかコミュニケーションがとれないオタクなんですよ」

 妙案がひらめいた小塚氏は、地元の花火大会は諦め、テレビの依頼を受けることに決める。そして当時まだ学生だった彼女の口座に航空券代の25万円を振り込み、こう言い残してひと足先に日本を発った。

「おいでよ南米へ。マチュピチュでピチュピチュしようぜ! あと、“アレ”を持ってくるのを忘れずに〜!?」

 無事にテレビの撮影が終わり、翌日にペルーの首都リマで彼女と集合することになった小塚氏。

 ボリビアのウユニ塩湖、チチカカ湖を経由して……ペルーのマチュピチュで“天空の花火大会”を開催した。

「“アレ”とは、浴衣のことですよ(笑)。この旅で見たアンデスの景色は、デンキウナギ以上にシビれました。彼女との馴れ初めですか? 自分が大学生のころ、旅代を稼ぐために塾講師をしてたとき、最前列にいて、可愛い子だなと。当時中学生ですから、手を出したら犯罪ですね。8年粘って、地球の裏側まで……人生の勝利でしたね(笑)」

 小塚氏は自身のことを「怪魚のストーカーだ」という。「大物釣りに必要なのは、ストーカーに近い執着心」だと。それは恋愛においても同じなのかもしれない……。しかしながら、若き日の恋愛とは淡く切ないものだ。その彼女とは、半年後に別れることになる。小塚氏は「これぞ人生」と懐かしそうに当時を振り返るが、とはいえ互いにとって忘れられない旅だったことは間違いない(?)。

「そんな黒歴史にも触れた今回の著書『怪魚大全』ですが、発売後に元カノの妹さんに会って、2冊渡してあります。妹さん判断で捨ててくれるもよし、姉(元カノ)の手に届くもよし……旅(ストーリー)は続く、って感じですか。我ながらキモいですね(笑)」

<取材・文/藤井敦年>