アジア3次予選初戦の北朝鮮戦では吉田麻也が試合終了間際に劇的な決勝点を決めた【写真:Getty Images】

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2011年アジアカップ優勝チームがベースに

 日本がW杯に初出場したのは98年フランス大会。それまではアジアの壁を超えることができず、また連続出場できているものの、楽に勝ち抜けた時はない。W杯に出場するのは並大抵のことではないのだ。18年ロシアW杯へ向け大一番を迎える今だからこそ過去の激戦を振り返りたい。今回は14年ブラジルW杯予選。ザッケローニ監督率いる日本代表はアジアカップの優勝チームをベースに歩みを進めた。(取材・文:元川悦子)

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 岡田武史監督(現FC今治)体制で挑んだ2010年南アフリカワールドカップで中立地初のベスト16入りを果たした日本代表。

 その後を引き継いだアルベルト・ザッケローニ監督はその主力である遠藤保仁(G大阪)、長谷部誠(フランクフルト)、川島永嗣(メス)、本田圭佑(パチューカ)、長友佑都(インテル)ら遺産を生かした陣容に吉田麻也(サウサンプトン)、今野泰幸(G大阪)らを加えたチーム編成で2011年アジアカップ(カタール)制覇を達成。

 香川真司(ドルトムント)の左サイド起用は本人も不完全燃焼ではあったが、そこで構築された確固たるベースを生かして、2014年ブラジルワールドカップアジア予選を戦った。

 シード国の日本は2006年ドイツ、2010年南ア同様、3次予選から参戦。このステージから北朝鮮、ウズベキスタン、タジキスタンという厳しいグループを戦わざるを得なくなった。上位2位以内が最終予選(4次予選)に進むとはいえ、北朝鮮は2010年南アワールドカップ出場国。ウズベキスタンも手強い。

 案の定、2011年9月の初戦・北朝鮮戦から大苦戦を強いられ、後半ロスタイムに長谷部とのショートコーナーから清武弘嗣(C大阪)が挙げた右クロスを吉田がヘッドで叩き込み、1点を手に入れるという薄氷の勝利からスタートした。

 3次予選はこの後、アウェイ・ウズベキスタン戦(タシケント)でドロー、タジキスタン戦(大阪&ドゥシャンベ)で2連勝し、早々と2位以内が決まった。その後の北朝鮮戦(平壌)とウズベキスタン戦(豊田)で2連敗というのはいただけなかったが、最終予選進出決定後ということでザッケローニ監督解任論も起きなかった。

 しかもこの時期はエースに君臨していた本田が右ひざ負傷で長期離脱を強いられ、長谷部や中村憲剛(川崎)、香川を入れ代わり立ち代わりトップ下でトライしていた時期。明確な解決策が見つからないまま、日本は3次予選2位通過となってしまった。

かつてないほど上がっていた選手個々の国際経験値

 しかしながら、2012年6月から始まる最終予選直前に本田が復帰。背番号を18から4に変更して、新たな気持ちで大勝負に挑むことになった。香川も同時期にドルトムントからマンチェスター・ユナイテッドへの移籍が決定。

 すでに長友がインテル、内田がシャルケでUEFAチャンピオンズリーグ(UCL)ベスト8、4を経験するなど、選手個々の国際経験値は過去にないほど上がっていた。だからこそ、オーストラリア、ヨルダン、オマーン、イラクと同組の最終予選2位以内は心配ないと誰もが信じて疑わなかった。

 その予想通り、日本は2012年6月の序盤3連戦でスタートダッシュを見せた。3日の初戦・オマーン戦では本田の開始12分の先制点に始まり、ザック就任後1トップに定着していた前田遼一(FC東京)と岡崎慎司(レスター)が追加点をゲット。3-0で幸先のいい勝利を挙げる。

 続く8日のヨルダン戦も前田の先制点、本田のハットトリック、香川、そして前半終了間際に負傷交代した吉田の代役・栗原勇蔵(横浜)までもがゴール。6-0で圧勝した。直後に赴いた12日のアウェイ・オーストラリア戦(ブリスベン)では吉田の穴埋めとして先発した栗原が本田のアシストで先制ゴールを挙げるなど、非常にいいムードで戦っていた。

 が、内田がファウルを取られて献上したPKをウィルクシャー(シドニーFC)に決められ、同点に追いつかれてしまう。試合は1-1のドロー。3試合で勝ち点7というのは上々の結果だったが、内田と今野が累積警告、栗原も退場で次の試合に出られなくなるという大きなアクシデントが発生。守備のテコ入れが緊急課題となった。

 吉田がケガから復帰した同年9月11日のイラク戦(埼玉)は最終ラインにベテラン・駒野友一(福岡)と伊野波雅彦(神戸)が抜擢された。香川も負傷欠場し、清武が先発起用されるなど重要なところでメンバー入れ替えがあったものの、スタメンに抜擢された駒野が素早いスローインから得点機を作る。

 これを受けた岡崎のクロスを前田が鋭く合わせて前半25分に先制に成功。不安視された守備陣も崩れることなく相手を零封し、最終予選3勝目を挙げた。

まさかのヨルダン戦黒星。浮き彫りになる課題

 翌月の欧州遠征ではブラジルに粉砕されたものの、フランスに1-0で金星を挙げ、チーム全体が収穫と課題を得た状態で2012年11月のオマーン戦(マスカット)に赴くことができた。

 現地時間15時半キックオフ、40度近い酷暑の中のゲームということで、すでに真冬並みの寒さになっている欧州組にとっては適応どころではなかったが、それでもアジア王者としての意地とプライドで足を止めずに走り続け、清武の先制点と岡崎の終了間際の決勝弾で2-1と勝利。残り3戦を残した段階でブラジル行きに王手をかけた。

 2012年の5戦を無敗で乗り切り、本田や岡崎といった大黒柱が目に見える結果を残すなど、ザックジャパンは確かに順調だった。が、2013年に入ると壁にぶつかる。その最たるものが3月のヨルダン戦(アンマン)だった。

 勝てば5大会連続切符獲得という大一番に本田がケガで不在。長友も離脱を強いられた。本田のところには香川をトップ下に回し、左に清武を起用。左サイドバックにシュツットガルトで結果を出し始めていた酒井高徳(HSV)が入った。清武と酒井高徳は2012年ロンドン五輪コンビ。連係面も問題ないはずだった。

 ところが、日本は前半から攻めあぐね、ハーフタイム突入直前に左CKから失点してしまう。岡崎のマークより頭1つ高いヘッドを放ったバニアテヤのゴールだった。

「決めるところできっちり決めろ」とザック監督から檄が飛んだ後半、日本はまたも決定機を外し続ける。そして酒井高徳のミスから奪われ、彼の背後から持ち込まれたところに対応した吉田があっさりとかわされ、アーメド・ハイルに致命的な2点目を決められてしまったのだ。

 高徳のキープ、今野のカバーリングポジション、吉田麻也の1対1とミスが3度続いたら得点に直結するのがサッカーだ。日本は崖っぷちに追い込まれた。ザックは長身の切り札、ハーフナー・マイク(神戸)を投入。

 岡崎と清武の左右のサイドを入れ替えて揺さぶりをかけたことで、香川が一矢報いることになったが、反撃もここまで。今まで敗れたことのない相手に最終予選初黒星を喫し、切符獲得が持ち越しとなった。

値千金のPK弾決めた本田。絶対的エース頼みの印象は拭えず

 本田を含め、ベストメンバーが揃わないと勝てない…。その課題が浮き彫りになった日本が回帰するのは、やはり最強布陣だった。6月4日のオーストラリア戦(埼玉)に陣取ったのは本田、長友を含めたザックの信頼する11人。この陣容で引き分け以上の結果を狙いに行った。

 だが、日本の主力が揃っても、オーストラリアの堅守は容易に崩せるものではなく、逆に終盤ワンチャンスから1点を先制されてしまう有様だった。が、後半ロスタイム、本田が強引なドリブルから前に上がっていた栗原勇蔵に蹴り込んだクロスが相手のマッケイ(ブリスベン・ロアー)の手に当たり、値千金のPKを手に入れる。凄まじい重圧のかかる中、これを本田自身が確実に蹴り込み、日本は勝ち点1をゲット。ようやくノルマだったブラジル行きを決めることに成功した。

 こうして最終予選を振り返ると、ザックジャパン時代はやはり「本田頼み」の印象が拭えない。本田という絶対的エースがいなければ、日本は勝ち点17の首位通過を果たすことができなかっただろう。後の本大会でも本田のコートジボワール戦(レシフェ)の先制点までは希望に満ちていた。やはりこの男が2010年南ア大会以降、日本代表にもたらしたものは絶大なのだ。

 あれから4年。本田は31歳になり、新天地・パチューカでようやくデビューを飾ったところだ。が、今回の最終予選では久保裕也(ヘント)らの台頭に押されて、まだ昨年9月の初戦・UAE戦(埼玉)の1点しか奪っていない。

 その分、原口元気(ヘルタ)や大迫勇也(ケルン)ら若い世代が奮闘してはいるのだが、本田が当時の勝負強さを取り戻せば、日本はプレーオフに回らずともロシアに行けるはず。今こそ日本をけん引してきた大黒柱の復活を強く求めたい。そして岡崎、香川といった当時からの看板攻撃陣にも輝きをもう一度放ってもらいたいものだ。

▼14年ブラジルW杯アジア最終予選・日本代表の結果
・オマーン戦(ホーム):◯3-0
・ヨルダン戦(ホーム):○6-0
・オーストラリア戦(アウェイ):△1-1
・イラク戦(ホーム):○1-0
・オマーン戦(アウェイ):◯1-2
・ヨルダン戦(アウェイ):●2-1
・オーストラリア戦(ホーム):△1-1、W杯出場決定
・イラク戦(アウェイ):○0-1

(取材・文:元川悦子)

text by 元川悦子