約2年ぶりに代表復帰した柴崎。29日の練習後には熱を帯びた口調で決戦への決意を語った。写真:山崎賢人(サッカーダイジェスト写真部)

写真拡大 (全2枚)

 8月31日にオーストラリア戦を迎える日本代表だが、約2年ぶりの復帰を果たした柴崎岳、初招集となった杉本健勇が話題を集めたほか、92年生まれの選手が計5名招集された。決戦へ向けて、いわゆる「プラチナ世代」の選手たちに再びスポットライトが向けられようとしている。ただし、ここ数年、多彩なタレントたちが代表入りしてきたプラチナ世代だが、いまだ代表の主軸として定着した選手は皆無だ。その苦戦の要因とは何だったのか。そして、このワールドカップ・アジア最終予選のクライマックスで、彼らはいよいよ主役の座を掴めるのだろうか。 文:加部 究(スポーツライター)
 
――◆――◆――

 
 6年前の今ごろは、少なくともこの先10年間は、日本サッカーの右肩上がりが確実だと思っていた。アルベルト・ザッケローニ監督が率いる日本代表は、前年の南アフリカワールドカップとは対照的な戦い方で成果を挙げ続け、札幌ではライバルの韓国に3-0で完勝している。ドイツでブレイクをした香川真司を筆頭に中心選手たちが欧州で評価を高め、下からは才能豊かなプラチナ世代の有望株が尻を叩く構図が出来上がりつつあった。
 
 1992年生まれが「プラチナ」と呼ばれるようになったのは、U-13アジアフェスティバルで韓国を寄せつけずに圧勝してからだという。特に攻撃面では多彩なタレントが溢れ、やがてU-17ワールドカップでも、ネイマール、フェリペ・コウチーニョらを擁すブラジルと互角の熱戦(2-3)を繰り広げた。
 
 この世代のフロントランナー、宇佐美貴史は、十代でバイエルンと契約し、宮市亮は高校を卒業するとJリーグをスキップして欧州進出を果たすと、早速レンタル先のフェイエノールトで躍動した。ところが2014年ブラジル・ワールドカップでは、予備登録も含めた日本代表30人のメンバーに、プラチナ世代の選手の名前はなかった。ザッケローニ時代の日本代表メンバーが硬直化し、後半の2年間で失速した要因のひとつとも言えた。
 
 早くから嘱望されて来たプラチナのフロントランナーは、宇佐美、宮市、あるいは高木善朗に代表されるように冒険を急いだ。この頃は、欧州で結果を出さないと、代表定着が難しいほどの活況を呈していたことも事実だった。一方最も継続的に揺るぎない評価を築いてきたのが柴崎岳だが、国内外の指導者間では微妙に見解が分かれた。もともとプラチナ世代の才能は、攻撃に偏っていた。だからU-17日本代表を指揮した池内豊監督も、ボランチの人選には頭を悩ませた。柴崎を筆頭に、小島秀人、堀米勇輝、さらに最終的には年代別ワールドカップの選に漏れた小林祐希も含めて、守備能力に目を向けると適任とは言い難かった。実際ヴァイッド・ハリルホジッチ監督も、柴崎はもちろん、ヘーレンフェーンではアンカー的な役割をこなしてきた小林も、おそらくボランチの戦力とは見なしていない。
 
 そして先頭集団が伸び悩む間に、プラチナ内の序列にも変化が起こった。FC東京でマッシモ・フィカデンティ監督と出会い、FWに定着した武藤嘉紀が一気に飛躍し、かつてG大阪ジュニアユースを辞め、米子北に進んでからDFに転向した昌子源が日の丸をつけるようになった。
 だがこれらの現象を総括して、成功の方程式を見つけるのは難しい。結局成否の分岐点は、巡り合いを中心とした運不運になる。ただし強いて挙げれば、いくら逸材と呼ばれて来ても、やはり日本代表に辿り着くまでには紆余曲折があった。
 
 育成段階では、杉本健勇はCBに、武藤はSBに転向する可能性もあった。広義でプラチナ(93年早生まれ)の大島僚太にとっては、川崎が理想の環境だったが、杉本にとっては試練の場所となった。しかし一度外に出て舐めた辛酸をバネに、ようやく古巣に戻り規格外の能力を発揮し始めた。東京Vでは十代で主将を務めた小林も、もし移籍先の磐田で関塚体制が成功していたら、ボランチの控えで萎んでいたかもしれない。選手生活の剣ヶ峰で名波浩という監督に出会い、トップ下に戻されたことで再浮上した。また何より小林には、自身と取り巻く状況を客観視し、進むべき道を妥協せずに切り拓く賢明さとメンタルの強さがあった。
 
 こうして今回は、プラチナ世代から5人が日本代表に選ばれた。だがロシア・ワールドカップの年に26歳になる彼らは、もはやベテランの域へと差しかかっていく。決して期待度の高くなかった北京五輪世代の充実と比べると、明らかに遅咲きが目立つ。しかしいつどんな刺激で変貌するか分からないのがサッカー人生である。5人を突破口に本気でしのぎを削るようになれば、まだプラチナ世代が次の隆盛を築く可能性は残されている。
 
取材・文:加部 究(スポーツライター)