オシム監督の急病を受け、再び日本代表監督に就任した岡田武史氏【写真:Getty Images】

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オシム監督倒れる。またも急きょ監督に就任した岡田武史氏

 日本がW杯に初出場したのは98年フランス大会。それまではアジアの壁を超えることができず、また連続出場できているものの、楽に勝ち抜けた時はない。W杯に出場するのは並大抵のことではないのだ。18年ロシアW杯へ向け大一番を迎える今だからこそ過去の激戦を振り返りたい。今回は10年南アW杯予選。オシム氏が倒れ、急きょ岡田武史氏が監督に就任していた。(取材・文:元川悦子)

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 2006年ドイツW杯惨敗の後、日本代表はイビチャ・オシム監督体制へと移行したが、2007年11月に指揮官が急病で辞任。2010年南アフリカ大会3次予選スタート直前に岡田武史監督(現FC今治代表)が再び就任することになった。

 3次予選はタイ、バーレーン、オマーンと同組。天国と地獄を味わった97年フランス大会最終予選経験者にしてみれば、そこまで重圧を感じなかったかもしれない。ただ、チーム作りを入念に行っている時間はなかったため、2008年2月の初戦・タイ戦(埼玉)、3月のバーレーン戦(マナマ)の序盤は鈴木啓太や巻誠一郎(熊本)らオシムジャパンの主力を軸に据えていた。

 だが、6月のオマーン(横浜&マスカット)・タイ(バンコク)・バーレーン(埼玉)の4連戦のあたりから、長谷部誠(フランクフルト)、長友佑都(インテル)、内田篤人(ウニオン・ベルリン)、香川真司(ドルトムント)ら現代表につながる若手を続々と抜擢。自分の色を出しながら、最終予選(4次予選)へとつなげていった。

 日本のA組にはオーストラリア、バーレーン、カタール、ウズベキスタンが入った。5ヶ国のうち上位2位が本大会出場権を獲得し、3位はB組3位とプレーオフを実施。アジア5位になったチームがオセアニア王者に勝てば南アに行けるという形だった。大陸間プレーオフの相手がオセアニアと北中米カリブ海では天と地ほどの違いはあるものの、ロシア大会の最終予選とほぼ同じ形式で戦いが進められた。

 2008年9月6日の初戦はアウェイ・バーレーン戦(マナマ)。ジーコジャパン時代にオマーンを率いて日本を苦しめたミラン・マチャラ監督が同国を指揮していて、日本は3次予選のアウェイ戦で同国に負けていた。それだけに緊張感の募る一戦になると思われた。

 だが、幸いにしてこの時期はラマダン(断食)の真っ只中。選手たちは食事を摂らずに調整していたことが取材で明らかとなり、日本は大きなアドバンテージを得た。

犬飼会長の発言で再び高まった岡田監督解任論

 基本布陣は4-4-2。GK楢崎正剛(名古屋)、DF(右から)内田、田中マルクス闘莉王(京都)、中澤佑二(横浜)、阿部勇樹(浦和)、ボランチ・長谷部、遠藤保仁(G大阪)、2列目・松井大輔(オドラオポーレ)、中村俊輔(磐田)、FW玉田圭司(名古屋)、田中達也(新潟)というイレブンで挑み、中村、遠藤、途中出場の中村憲剛(川崎)が3点を奪うことに成功。終盤は相手の追い上げで2点を失ったものの、最大の鬼門と見られた相手に白星スタートを切ることができた。

 ところが、続く10月のホーム・ウズベキスタン戦(埼玉)を4-2-3-1の新布陣で挑んで1-1で引き分けると、岡田監督への逆風が一気に吹き荒れる。先発した香川、途中出場した岡崎慎司(レスター)、興梠慎三(浦和)ら若手も迫力不足で、攻撃陣には手詰まり感さえ感じられた。

 2戦終了時点で勝ち点4とバーレーンと並び、6のオーストラリアに差をつけられた。「次の11月のアウェイ・カタール戦(ドーハ)に負けたら監督解任か」という見方も強まり、次戦は絶対に失敗できない状況に追い込まれた。

 重要な天王山に中澤が不在。ベテランとはいえ、代表経験の少ない寺田周平(川崎U-15監督)が抜擢されるなど、守備陣には不安も少なくなかった。それでも、岡田監督は強気の姿勢を貫き、トップ下に田中達也、1トップに玉田圭司を起用。

 その2人がゴールという結果を出し、さらには闘莉王もダメ押し点をゲット。まさに想的な試合運びで3-0で勝利し、勝ち点2差で首位・オーストラリア追走体制に入った。指揮官は解任論も見事に一蹴し、年を越すことに成功した。

 2009年は2月のオーストラリア戦(横浜)を皮切りに、3月のバーレーン戦(埼玉)、6月のウズベキスタン(タシケント)・カタール(横浜)・オーストラリア(メルボルン)3連戦というスケジュール。一番のポイントはもちろんホーム・オーストラリア戦だった。

 日本サッカー協会の犬飼基昭会長が「ホームで負けたら致命的。勝ち点3じゃなければダメ」と発言したことで、再び「負ければ監督交代か」という声が高まったのだ。

中村憲剛と香川をベンチ外。勝負に出た豪州戦だったが…

 敵将は日本を熟知している大宮アルディージャ・京都サンガ元監督のピム・ファーベク。それだけに、試合前の情報合戦は凄まじいものがあった。当時の日本代表は練習公開が基本だったが、情報漏れを防ぐため、岡田監督が直前4日間、完全非公開のカーテンを敷いた。加えて、取材対応選手を制限。ざっくばらんに話をしてしまう中村を報道陣の前にほとんど出さないという入念な策も講じた。

 これには批判の声も高まったが、指揮官は頑として譲らない。この時点で二度目のドイツ挑戦に踏み切っていた大久保嘉人(FC東京)を控えに回し、中村憲剛と香川をベンチ外というサプライズも見せる中、勝利だけを追求した。

 張り詰めたムードの一戦は日本優位で進んだが、相手の堅守を攻略しきれない。結果的に相手の勝ち点1狙いのサッカーの術中にはまり、0-0で終わったが、犬飼会長も「今日の結果は先につながる」と前向き発言をしたことで、岡田支持の色合いがより一層、強まった。

 続く3月のバーレーン戦を中村俊輔の一撃によって1-0で勝利した日本は早くも南ア行きに王手。6月のウズベキスタン戦に勝利すれば4大会連続W杯が決まるというところまで来た。

 タシケントでのゲームは、岡田監督にとっては自身が代表監督に就任した97年以来だったが、その時を知る選手は誰1人いない。劣悪な環境ゆえに報道陣で体調を崩す人間が続出。前日まで元気そうにしていた内田も急きょ体調不良を訴えてダウンするアクシデントも発生した。試合前から一筋縄では行きそうもない様相を呈していたのだ。

 大一番のスタメンはGK楢崎、DF(右から)駒野友一(福岡)、闘莉王、中澤、長友、ボランチ・遠藤、長谷部、トップ下・中村憲剛、FWは右から中村、大久保、岡崎という4-2-3-1。直前のキリンカップ2連戦(チリ・ベルギー)で合計3ゴールを挙げ、絶好調だった岡崎が重要な局面でスタメンの座を射止めた。

 やはりFWは好調な人間を使うというのが勝利の鉄則かもしれない。案の定、大仕事をしたのは背番号9をつける22歳の侍だった。開始9分、長谷部からパスを受けた中村憲剛が前線へ巧みなフィードを送る。

 この瞬間、相手守備陣の背後を抜け出した岡崎が左足でシュート。これはGKにいったん阻まれたが、再び倒れこみながらヘッドでゴールを決め、喉から手が出るほどほしかった1点を早い時間帯にもぎ取ったのだ。

荒れたウズベク戦に辛勝しW杯決定。しかしその後の豪州戦は敗北

 しかし、この3分後に遠藤のFKがポストに当たり、跳ね返りを大久保が押し込んだ追加点がオフサイドと判定される不可解な現象が起きたあたりから、不穏な空気が漂う。

 中村や長友にイエローが出される反面、相手の微妙なプレーにはファウルもなしという不公平な判定が続き、試合は荒れ模様となる。後半に入って岡田監督は中村憲剛に代えて本田圭佑(パチューカ)、大久保に代えて矢野貴章(新潟)を投入し、攻撃の活性化を図るが、相手もパワープレーに出てくる。

 そこで長谷部がジェパロフをひじ打ちしたとして一発退場。中村を下げて阿部を入れ、守備のバランスを取ろうと指示を出した岡田監督も退席処分を食らうあり得ない状況に陥った。予期せぬ混乱に耐え抜き、後半ロスタイムをしのいだ日本は勝ち点3をゲット。本大会切符を手に入れた。

 こうやって振り返ると、過去の最終予選のうち南アW杯が一番スムーズだったかもしれない。突破後の最終戦・オーストラリア戦でケーヒルのヘッド2発で逆転負けを食らい、2位通過に甘んじたものの、重要なところでは絶対に負けなかった。それも修羅場をくぐらせたら誰にも負けない岡田監督の勝負強さゆえかもしれない。

 この最終予選では岡崎や本田など次世代を担う面々も成長し、世代交代も進んだ。ハリルホジッチ監督も同じことをやろうとしているようだが、果たして8年前の再現は叶うのか。若返りと結果という両方を手にして、ロシア本大会へ行ければ理想的なのだが…。

▼10年南アW杯アジア最終予選・日本代表の結果
・バーレーン戦(アウェイ):◯2-3
・ウズベキスタン戦(ホーム):△1-1
・カタール戦(アウェイ):◯0-3
・オーストラリア戦(ホーム):△0-0
・バーレーン戦(ホーム):◯1-0
・ウズベキスタン戦(アウェイ):◯0-1、W杯出場決定
・カタール戦(ホーム):△1-1
・オーストラリア戦(アウェイ):●2-1

(取材・文:元川悦子)

text by 元川悦子