ヘーレンフェーンに所属するMF小林祐希【写真:Getty Images】

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オランダでもすっかりチームの中心に

 前後編にわたってお送りした小林祐希(SCヘーレンフェーン)のインタビュー。8月24日、オーストラリア戦、サウジアラビア戦を戦う日本代表のメンバーに小林は選出された。好機到来。東京ヴェルディユース時代からの盟友、高野光司とともに何かをつかみ取ろうとしている。(取材・文:海江田哲朗)

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 8月11日、エールディヴィジ17‐18シ-ズンが開幕。13日、小林祐希の所属するSCヘーレンフェーンは、堂安律が加入したFCフローニンゲンのホームに乗り込んだ。

 前半、ゲームを優位に進めるヘーレンフェーンが2点リードを奪い、後半に入ってフローニンゲンが反撃に出て2‐2の同点に。86分、モーテン・トルスビーのゴールでヘーレンフェーンが勝ち越し、勝負は決したかと思われたが、88分、フローニンゲンがPKで再び同点に追いついた。結果は3‐3のドロー。堂安は63分に交代し、小林はフル出場している。

 私の印象に刻まれたのは、小林の我慢強さだ。

 オランダのサッカーは縦に速い。小林は最後の崩しの一歩手前でパスを呼び込み、攻め方に変化を加えたい、ゴールの確率をより高めたい意図が見えたが、大抵、攻撃は直線的に完結してしまう。だが、小林は自分の欲しいタイミングでパスを受けられなくても、味方のフォローを怠らず、チャンスにつながるだろうポジションを取り続けた。

 そして、ボールを持てばショートパスを織り交ぜてリズムを作り、左足によるロングパスで攻撃を広く展開した。ゲーム終盤、ユルヘン・ストレペル監督と意見交換する姿も堂に入っており、すっかりチームの中心だ。

 課題は、ゴール前に進出し、得点に絡む仕事を増やしていくこと。フローニンゲン戦、そこでの見せ場はつくれなかった。今季、レアル・マドリーからレンタル移籍で加入した18歳、マルティン・ウーデゴーとのコンビネーションがカギを握りそうだ。ウーデゴーもまた、ノルウェーで将来を嘱望されるレフティである。

「後ろでバランスを取ってくれる選手がいれば、守備面で少しラクになるんでしょうけどね。まあ、そのあたりの戦術的なことは外から見ているだけではわからない部分が多い」

 そう語るのは高野光司である。私と同じく日本でテレビ観戦だった。

「放っておくと祐希はどんどん先にいっちゃうので」

 高野は、小林や高木善朗ら東京ヴェルディユース92年組のひとりで、2011年トップに昇格。以降、ギラヴァンツ北九州、FC町田ゼルビア、アスルクラロ沼津、鹿児島ユナイテッドFCと渡り歩き、2016年をもって現役を引退した。

 現在は小林のビジネスパートナーとして、マネジメントや企画・プランニングの事業に携わっている。表には出していない社会貢献活動を含め、日本での仕事を取り仕切るのが高野の役目だ。

「引退した直後は就職サイトを見て回り、一般企業への就職を考えました。祐希から一緒にやろうと声をかけてもらったのは、昨年の年末。同期のみんなで集まったときです」

 東京Vでは、毎年暮れの時期に、アカデミーの選手や保護者が一堂に会するファミリーサッカー大会が開かれる。結束の強い92年組は特に集まりがいい。プロの道に進んだメンバーでは、高野が最初の引退選手となった。

「お疲れさま会のようなものを開いてもらい、そのときに祐希から話を。僕はサッカーしかしてこなかった人間ですから、自分に何ができるのだろうと迷いましたね。迷いましたけど、一緒に新しいことに挑戦したい気持ちが上回った」

 容易ならざる道だ。セカンドキャリアへと歩み出すときはただでさえ乗り越えなければならないものが多々あるのに、レールの敷かれていない未踏の地を開拓することになる。

「僕の場合は、何をやるにしても不安は感じないタイプ。どうせ失敗はします。どの職種だろうと仕事は大変で、時にはつらい思いをすることになるでしょう。それを受け入れる覚悟はあるので、ひとつずつ経験し、勉強していきたい。

 幸い、周りに助けてくださる方がいて、さまざまなケースの対応の仕方を教えていただけるんです。僕は社会人としてあまりにも知らないことが多すぎるから、なんでも聞けます」

 問題は、恐いもの知らずで突き進む小林との相互関係の構築か。一方が大排気量のエンジンなら、もう一方は操縦系統の担当が望ましい。

「そこなんですよ。放っておくと祐希はどんどん先にいっちゃうので、僕がブレーキを踏むべきときは踏まないと」

W杯予選に臨む日本代表メンバーの中に小林祐希の名も

 このように高野は屈託がない。攻撃の人と守備の人。どうやらピッチ上の役割分担と大差ないようである。対人関係の緩衝材にもなれる高野を引き込んだ小林のバランス感覚は悪くないと感じる。

 引退後、高野は都内の実家に戻り、生活することになった。父親の広行は工業関係の職人で、ハンドボールの現役社会人プレーヤーでもある。日常生活のふとした瞬間、高野は何か聞きたそうにしている父の雰囲気を感じ取る。自分のことを少し心配しているんだろうなと察する。だが、敢えて仕事のことは話さない。

「きちんと報告できる成果を出せるまでは黙っているつもりです。僕、選手を辞めたときに思ったんですよ。いまの自分はひとりでは何もできないな、無力だなって。今年で25歳。30歳までには、自分ひとりで何かを成し遂げられる能力、スキルを身につけたい。そうなれるように、とにかく動けるだけ動こうと思います」

 この父と子は風貌が似ていれば、中身もよく似ている。人の気持ちに敏感で、目的を達するためには泥にまみれることを厭わない好漢である。

 24日、日本サッカー協会は、2018 FIFAワールドカップロシアのアジア最終予選、オーストラリア戦とサウジアラビア戦に臨む日本代表27名を発表。小林の名前はそこにあった。「ほら、おれの言ったとおりでしょ?」と笑っているだろうか。だが、口元を緩めるのはまだ早い。選手登録が可能なのは23名。そこに残らなければ、ピッチに立つ資格を失う。

 小林と高野は連帯し、小さな成功と失敗を積み重ねる鍛錬の日々を送る。それぞれのフィールドで何者かになろうとする、長い旅路の途中だ。

(取材・文:海江田哲朗)

text by 海江田哲朗