「敬天愛人(天を敬い人を愛する)」という言葉が有名な西郷隆盛

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 2018年1月からスタートするNHK大河ドラマが『西郷(せご)どん』に決定し以降、何かと西郷隆盛が注目を浴びている。大河ドラマのほうも、たびたび大物出演者が発表されるなど心待ちにする視聴者も多いことだろう。西郷隆盛といえば、数多くいる幕末リーダーの1人で、情に厚い人柄としてイメージしている人も多いはず。

 実際の西郷隆盛はどんな人物だったのか? 『西郷どん式 リーダーの流儀』を上梓した人材育成コンサルタントの吉田幸弘氏に西郷隆盛像を聞いてみた。

「西郷は、普段はおとなしい人ではありましたが、出会った人の心をつかんで離さないほど情に満ちた方でした。村田新八、桐野利明、篠原国幹、別府晋介など、名だたるリーダーを輩出し、多くの部下に慕われていました。幕末の有名人はほとんど西郷の人柄に魅了されたと言っても過言ではありません。そのなかでも興味深いのは、西郷は3回結婚しているところでしょう」

 一度目は、26歳の頃。薩摩藩の下級藩士だった西郷は、やや自分より身分が上の城下士である伊集院兼善の娘・須賀と結婚。しかし、間もなく薩摩藩主の島津斉彬に抜擢され、江戸で働く出世コースを歩む。いわゆる単身赴任だ。鹿児島に残されてしまった須賀は、西郷の弟や妹と同居し、貧しい生活を強いられてしまう。娘の大変さを見かねた伊集院家から離縁の相談を受け、やむなく西郷は同意して離婚することになってしまった。

 決して妻が離婚を言い渡したわけではなかったのだ。西郷と伊集院家はその後も良好な関係を保ったと言われている。

「仕事で活躍していた頃だけに、家庭と仕事のどちらを大切にするか、悩ましい決断だったと思います。二度目の結婚は、そこから月日が流れて33歳のときでした。実はこの直前、西郷にとっては挫折ばかりが続いていたんです。どんどん活躍の場を広げていた頃、恩師である斉彬が突然の死去。落ち込みもひどく自らも死のうとしたり、親しい恩人である月照と身投げをするも自分だけが生き残ってしまったり。結局、西郷は薩摩藩の新しいリーダーから左遷を言い渡されて奄美大島に島流しとなりました。踏んだり蹴ったりでしたが、奄美大島での生活が徐々に馴染んできた頃、出会ったのが農家の娘である愛加那でした。西郷の世話をしてるうち、お互い惹かれ合いました」

 子供も授かり、幸せが訪れようとしていたものの、この結婚も長くは続かなかった。なぜなら、西郷は鹿児島に連れ戻されることになってしまったためだ。妻も一緒に連れ帰るのは当時は許されなかったため、あえなく離別となる。しかし、その後、息子を連れて西郷のもとに会いにきたというエピソードもあり、決して妻に恨まれてたわけではなかったようだ。

「バツ2となってしまった西郷は、この時すでに30代半ばです。戦争で指揮をとったり、責任はどんどん重くなります。しかし、基本的に人たらしで、男女問わずに人を魅了する西郷に、薩摩藩の家老である小松帯刀は、女性を紹介します。それが糸子でした。もちろん、この頃も西郷は江戸や京都を行き来していたので、家を空けることは多かったのですが、糸子はしっかりと支えました。坂本龍馬夫妻とも交流があり、この結婚は西郷が西南戦争で亡くなるまで(51歳)続きました」

 これだけ見ても、西郷は部下にも女性にも恵まれていたのだろうと思ってしまう。実は、西郷ならではの人情溢れたコミュニケーションがすべてを繋げたといってもいいだろう。2回の失敗はあれど、誰もが西郷を恨んで別れたというわけではない。

「仕事にしても奥さんにしても、結局は人との接し方につきます。西郷の人間力を学べば、人は必ずついてきます。もちろん、好かれようとするのではなく、しっかり誠意を見せるコミュニケーションを取る。ITの発達した時代だからこそ重要なことです。私も現代の多くのリーダーを見てきましたが、仕事におけるリーダーとしての器と私生活における夫の器は一緒なのではないかと思います。どちらかがうまくいくということは、ほとんどありえないのではないでしょうか」

 ぜひ、部下がついてこないと悩むサラリーマンは西郷のリーダー力に学んでみてもいいだろう。

【吉田幸弘】
リフレッシュコミュニケーションズ代表。コミュニケーションデザイナー・人材育成コンサルタント・上司向けコーチ。全国の企業、商工会議所、法人会などで年間130本以上講演・研修に登壇しており、わかりやすく実践的ですぐに行動に移せる内容と評判を得ている。『リーダーの一流、二流、三流』(明日香出版社)など著書多数。新著『西郷どん式 リーダーの流儀』が9月2日発売