女のお化けの代表「ろくろ首」と「姑獲鳥」

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 テレビでもおなじみの作家・評論家の荒俣宏さんが、「お化けと付き合い方」を論じたユニークな新刊『お化けの愛し方 なぜ人は怪談が好きなのか』(荒俣宏/ポプラ社)を7月11日に刊行した。長年ホラーや妖怪、幻想文学の世界に携わってきた荒俣さんにとって、本書は「最後の『お化け学』出版物」だという。幼少期からお化けに関心を抱いてきた“知の巨人”が、70歳にしてたどり着いた最終結論とは? すべてのお化け好き&ホラーファンに捧げるスペシャルインタビュー!

――新刊『お化けの愛し方』の「まえがき」には、荒俣さんの生い立ちが詳しく書かれていますね。小学生の頃から「お化けはたのしい」と感じていたそうですが、お化けが怖いとは感じなかったのでしょうか?

荒俣: 幼稚園くらいまでは怖かったですけど、小学生くらいになると「会えるものなら会ってみたい」と思うようになっていました。うちは三代続けて東京暮らしですが、昔の東京ってローカルなお化け話がたくさんあったんです。本所七不思議の「おいてけ堀」だとかね。わたしはじいさん、ばあさんからそういう話を日々聞かされて育った、最後の世代だと思います。東京の怪談って大体、オチは狸の仕業なんです。たまに狐の話もあったけど、基本的に正体は狸ということになっている。だったらどうして怖がらないといけないんだ、と素朴な疑問が湧いてくる(笑)。相手は動物ですからね。お化けっていうのはどうやらホラーなものじゃないらしいぞ、と気づいたのが小学校の頃なんですよ。

――土地に伝わる怪談をお年寄りから聞かされて育つ。お化け好きになるには最高の環境ですね。

荒俣: 昔は夕涼みになると縁台を出してきてね、近所のじいさんたちが集まっていろんな話をするわけです。で、ネタが尽きてくると決まって怪談になる。他愛もない話が多くて、聞き飽きているんだけど、聞いている間はやっぱり面白かったですね。天井からでっかい足が降りてくる「足洗邸」の話なんて、「そういう家に住みたいな」と子供心に思ってました(笑)。わたしだけじゃなく、当時の子はそうでしたよ。夏休みにはよく肝試しをしていたし、遊園地の幽霊屋敷なんか大好きでしたね。ある意味では、怪談が生活に根付いていたともいえるんじゃないでしょうか。

――「日本のお化けとまっとうにお付き合いするには、ホラーを観るという感覚だけではいけないのだ」。そう「まえがき」にあって目から鱗でした。“お化けイコール怖いもの”という先入観を持っている人も多いようです。

荒俣: そうなったのはやっぱり、映画の影響が大きいんじゃないですか。わたしが小学生の頃から、夏になると怪談映画をぼんぼん上映するようになって、のほほんとした土地の怪談とはほど遠いものだった。お岩様の映画なんか気持ち悪くてね、「大人向けの怖さだな」と感じましたよ。あのあたりから幽霊の生々しさや恨みつらみが強調されるようになったんじゃないかな。

――小学3年の頃、おじいさまを交通事故で亡くされて、死後の世界に関心を抱くようになった、というエピソードも紹介されています。

荒俣: じいさんに限らず、昭和20年代の東京では死体を目にする機会が多かったんです。町の中にゴロゴロしていました。子供の頃は東武東上線沿線に住んでいましたが、近所の踏切でときどき人が轢かれるんです。ものものしい雰囲気のなか、子供たちで見に行くと、ピンク色の肉片が落ちていたりして。今と違ってR指定のない時代ですから、小学生であっても18禁にどんどん触れていました。だから当時の子供はみんなませていましたよ。「われわれもいずれは死んでしまう」という、諦めにも似た思想を持っていたと思います。今みたいに大人の配慮で隠してしまうよりは、ある意味教育的だったかもしれません。

――それは今日とは全然違いますね。現在では身内の死体に触れる機会もなくなっています。

荒俣: 昔は葬式も家でやりましたし、死人が出たら2、3日は寝かせておきました。そうすると自然に死への関心を持つようになる。どんなに栄華を誇ってもあの世まで財産は持っていけないんだ、だったら貧乏でもいいじゃないか、という考えも身につくわけです。そこは全然違いますよね。ホラーに惹かれたというのも、趣味というより、ずっと切実な問題だったんだと思う。現実そのものがホラーでしたから。そこらで人は死んでいるし、住んでいたのは工場街でしたから、中学を卒業するとみんな工場に働きに出るわけです。わたしもきっと小さな工場で働くことになるものだと思い込んでいた。まわりの現実がつらくて恐ろしいから、耐性を身につけようとしてみんなやけくそのように、肝試しやお化け大会に出かけていたんじゃないかと思います。ただホラーが好きだったというのとは違うんですよ。

――今回お書きになった『お化けの愛し方』は、お化けとの恋愛やセックスを扱った「恋愛怪談」の系譜を、中国から日本までたどったものです。

荒俣: それはやっぱり怪談の本質に関わる問題だと思います。今言ったように、怖いだけなら日常の方がずっと怖いことがあるわけです。水木しげるさんがよく仰っていたけど、戦地ではちょっと気を抜くとワニに食われて死ぬんですから。下手なホラーよりそっちの方がずっと怖い(笑)。怪談の持つ一番の機能は、自分が楽しく暮らしていけるだけの仮の世界をせめて築こうじゃないか、っていうところにあると思う。あの世の綺麗なお姉さんに相手してもらえるなら、たとえ翌朝肥溜めに落ちているところを発見されてもいいじゃないかって。

――明の時代に成立した『剪燈新話』(せんとうしんわ)、『情史類略』(じょうしるいりゃく)といった中国の怪談作品が詳しく紹介されています。どちらもロマンティックかつエロティックでとても面白いものですが、作者2人は現実では“負け組”だったとか。

荒俣: そうそう、気の毒な人たちだったんですよ。当時中国はエリート社会ですから、科挙に落ち続けている人は将来の保証もなく、嫁も来ないという悲惨な状態なわけです。だったらせめてファンタジーの中だけでも救われようとした。多くの庶民も同じようなことを感じていて、『剪燈新話』のような作品がわーっと受けた。お化けはいるのかいないのかという科学的な関心よりも、できればお化けの側に行ってみたいという願望から読まれていたはずです。

――中国で誕生したそうした新しい怪談の波が、やがて日本にも伝わってきます。『剪燈新話』の「牡丹燈記」というエピソードは日本でも大いに受け、「牡丹燈籠」とアレンジされて広まりますが、この話のどこに人は惹きつけられたのでしょう?

荒俣: 当時の日本人にも分かったんでしょうね、このお化けの持つ可愛らしさが。「牡丹燈記」で出てくるお化けっていうのは、本来であれば付き合っちゃいけない存在なんです。あの世の存在は穢れているから、どんなに親しい人の霊であっても触れちゃいけない、というのが当時の仏教由来の価値観です。ところが現実に辛酸を舐めている人にしてみれば、この世の方がむしろ穢れていて、あの世こそパラダイスじゃないかと(笑)。そう気づいている教養人が怪談を書くと「牡丹燈記」のようなものになるんですね。

――面白いことに「牡丹燈籠」パターンの怪談は東南アジアにも伝わっているそうですね。

荒俣: ええ。タイにもあるし台湾にもあります。「牡丹燈籠」はインターナショナルな学会まであるんですよ(笑)。それだけ説明をしなくても伝わる、受容度の高い話なんでしょうね。いくら偉い坊さんにお化けと親しくしちゃいけないといわれても、死んだ家族が夢枕に立ったらやっぱり嬉しい。幽霊でもいいから会いたい、というのが全世界共通の思いですよね。われわれはお化けの世界に憧れ、愛おしく思っているということです。

――これまで数々のお化け関連の本を書かれてきた荒俣さんが、最後にたどり着いたテーマがお化けとの恋愛だった、というのは興味深いです。

荒俣: 世界の怪談にはそうした話が厳然として流れてるんだ、ということに愚鈍なわたしもやっと気がついたんです(笑)。人間、死期が近づくと賢くなるから。映画の吸血鬼だって昔は恐ろしいものでしたが、今ではほとんどがラブロマンスでしょう。血を吸われるのは嫌だけど、それで素晴らしい世界に行けるなら行ってもいいかな、と徐々にスタンスが変わってきた。萩尾望都の『ポーの一族』の世界ですよね。死んだ若い恋人が戻ってきてくれるなら、ぐだぐだ生きている亭主よりずっといい、みたいなね(笑)。そういう思いは誰しも抱いているんだと思いますね。

――大きく頷いている読者が多そうですね(笑)。本書を書き上げて、今荒俣さんが感じておられることとは?

荒俣: 数年前に編纂した『怪奇文学大山脈』という3巻本のアンソロジーで、怪奇小説については一段落つけたつもりだったんです。もう書くことがないな、と思っていたんですが最後の最後にまた面白いテーマを絞り出すことができてよかったなと。あとは赤字にならない程度には売れてほしい。現実の何が恐ろしいって、本が売れないのが一番のホラーですからね(笑)。

取材・文=朝宮運河