チームだけ、選手だけで戦い抜くことは難しい。多くのアドバンテージが必要です。皆さんの一声を、大きなバックアップ、力にしてチームは乗っていってくれると思います。たくさんの応援を期待していますーーとは、オーストラリア戦、サウジアラビア戦のメンバー発表に先立ち、西野朗技術委員長が述べた台詞だ。

 ここで言う「皆さん」とは、誰を指すのか。会見場を埋めたメディア関係者なのか。テレビカメラの向こう側に位置するサッカーファンに向けられたものなのか。前者だとすれば、ハイと同意することができない。メディアの末席を汚すライターとしては。敢えて言えば、応援するつもりは微塵もないのである。自らを中立の立場にいる人間と考えるからだ。

 31日に迫った大一番、日本対オーストラリア戦においても、だ。日本のことはオーストラリアより当然、気になるが、そこまでだ。どちらにも可能な限り肩入れせず、フラットな目で観戦しようと思っている。

 どちらを応援するか、どうしても述べよ、と言うのなら、よいサッカーをしている方だと答える。よいサッカー、悪いサッカーの定義は人それぞれだが、僕の基準では、サッカーという競技の普及発展に貢献しそうなサッカーを指す。競技レベルの向上に繋がりそうなサッカーをしている側。サッカーの可能性、娯楽性を広げてくれそうな側だ。

 世界のサッカー史に基づけば、後ろで守るサッカーではなく、前で守るサッカーになる。従来の壁を打ち破り、競技性の発展に貢献してきたのは、明らかに攻撃的サッカーだ。日本がそこから逸脱するサッカーをしていれば、たとえ勝利を飾っても、遠慮なく「よくない!」と、言わせてもらう。

 サッカーは足でボールを扱う競技だ。手でボールを扱う競技より、伸びシロがある。いま以上に面白くなる可能性がある。実際、10年前の映像を見ると、古く感じられる。常にいまが一番ハイレベル。右肩上がりにある競技だ。それがサッカーの特性。基本的に古きよき時代は存在しない。

 そうした競技特性と向き合っている自覚があるかないか。応援したくなるか否かの境界線だ。それがサッカー系メディアのあるべき姿だと考えている。

 日本頑張れが、サッカーと向き合う時に最優先される動機ではないこちらにとって、協会サイドから、応援よろしくお願いします的な言葉を聞くと、居心地はとても悪い。

 もちろん、特定の個人を応援しているわけでもない。好みはあるが、サッカーはチームスポーツ。中心に構えるのは競技性だ。ところが、日本のスポーツ報道は、ニッポン、スター選手、成績が柱だ。サッカーも、ゲーム性について語る機会、勝ち負けに関係なく批判する機会が、徐々に増えているとはいえ、そうした中にどっぷり浸かっている。

 競技が主役になれていないのだ。選手の人となりを浮き彫りにする人物ストーリーに興味がないわけではないが、それはある程度、予想がつく。かつて「スポーツに興味があると言うより、人間に興味があるのです、私は」と、胸を張る女性ライターに出会ったことがあるが、いまだ、スポーツ報道の王道は、そちら側だ。要はバランスの問題なのだけれど、それが幅を利かせすぎると、肝心の競技の特性がないがしろにされる。なぜそのスポーツは面白いのか。競技の魅力が浮き彫りにならない。普及発展の妨げになる。

 特に五輪スポーツにその傾向が強い。よってマイナー競技は、幾度五輪を経てもそこから抜け出すことができない。報道が競技の普及発展に貢献できていないのだ。

 サッカーはなぜ面白いのか。オーストラリア、サウジアラビアとの大一番を控えたいまは、すなわち、サッカー競技の魅力を宣伝するまたとない機会でもあるのだ。そこで、ニッポン、スター選手、成績が幅を利かせすぎると、バランスは乱れ、サッカーらしさは失われる。

 今回の予選、日本は敗れた方がいいとさえ思っている。W杯は2026年大会から、本大会出場国が現行の32から48に増える。アジア枠もそれに伴い4.5枠から8.5枠に拡大される。日本のレベルがよほど落ちない限り、落選の不安はなくなる。

 落選するならいましかない。落選して、反省して、改革を図るチャンスは、今後、巡ってきそうもない。98年にW杯出場をはたして以来、5大会連続本大会出場を決めている日本。もし今回、突破すれば6大会連続だ。すっかり出ることが当たり前になっている。実際、浮かれている。危機感の欠如、甚だしい状態にある。傲っているというか、真剣味が足りないというか、国全体がぬるま湯に浸かっている。落選という良薬が必要不可欠な、危うい状況を迎えつつある。僕にはいまの日本がそう見える。

 さすがに日本人なので、試合が始まれば、密かに日本を応援するだろうが、それをできる限り隠そうとするのが、報道に携わる人間に課せられた使命だと思う。バレないように正論を吐く。理想論を述べる。時には負けた方がいいとさえ言う。それこそが嗜みなのだと僕は考えている。