意識がなくなる直前までペンを握っていた…ドラえもんファン感涙必至の藤子・F・不二雄エピソードとは?【後編】

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 ドラえもんの生みの親、藤子・F・不二雄先生との思い出を綴った感動の実録マンガ『ドラえもん物語 〜藤子・F・不二雄先生の背中〜』(むぎわらしんたろう/小学館)を刊行したむぎわらしんたろうさん。ロングインタビューの後半では、F先生の最後の大長編『のび太のねじ巻き都市(シティー)冒険記』にまつわるエピソードや、むぎわらさんがF先生から受け継いだ思いなどについてうかがいます。今回もドラえもんファン感涙の秘話が満載です!

――それでは手品以外でF先生の楽しみというと?

むぎわらしんたろう氏(以下、むぎわら) 取材であちこち旅行するのはお好きでした。それと映画はよくご覧になっていましたね。何よりマンガを描くのが一番楽しい、という感じだったので、何事もまずマンガありきで行動されていたような気がします。

――まずマンガありきですか。そういえばむぎわら先生にも、空き時間には自分の作品を描きなさい、とアドバイスしてくれたそうですね。しかも原稿にはしっかりアドバイスしてくれたとか。

むぎわら お忙しいF先生がそこまでしてくれるのか、と本当に驚きました。それも口頭でアドバイスをくれることはほとんどなくて、たいてい文章の形でした。「こういうものを書いたので参考にしてください」とかいって渡してくれる。それが結構厳しくて、手痛い内容なんですよ(笑)。一部は『ドラえもん物語』に載せましたけど、とても載せられないっていうようなコメントもある。自分が描いていて分からないこと、どこが悪いのかというポイントを指摘してもらえるのは、ありがたかったです。

――作品に対して妥協がないんですね。ではF先生から受けた教えでもっとも印象的だったものは?

むぎわら 背景にはすごくこだわっておられましたね。いちいち文字で説明しなくても、主人公がどういう状況なのか、背景をきちんと描くことで伝わるとおっしゃっていて、なるほどなと思いました。たしかに先生の作品には文字の説明がない。でも主人公がどういう状況にあるのか、分かるようになっているんですよ。見やすく分かりやすい作品、ということはぼくも大切にしています。

――たしかに『ドラえもん』のコマ割りは読みやすいですね。それは読者が子どもだから、という事情もあったんでしょうか?

むぎわら 先生のコマ割りって、外には大きくはみ出さないんです。頑固なほどコマに収めているんですけど、不思議と奥行きを感じさせるものになっている。あの見やすさは子どもに向けたマンガを長年描いてきたからだと思います。一度、学年誌『小学一年生』に載せる『ドラえもん』を手伝ったことがあるんです。そこにコップが割れる「ガチャーン」という描き文字を入れることになって、ぼくらはつい凝った字体にしたくなるんですが、先生は「1年生が読むから、読みにくい字にしないでね」とおっしゃっていました。読者の年齢に合わせてそこまで考えているんだ、と感心したのを覚えています。

――子どもの価値観や感受性を大切にしていたんですね。

むぎわら 3人のお嬢さんのために自分で絵本を作ってあげたり、割り箸にキャラクターをつけて人形劇をしたり……、子どもの目線を大事にされていたと思います。その時代、子どもに流行っているものにも関心があって、よく研究されていました。ミニ四駆を買ってきて「これ作って」と言われたこともあります。そういうブームをうまくマンガにも取り入れていました。先生のお宅にお邪魔したら、バーチャルボーイというゲーム機が置いてあって「これ、みんなで遊ぶ?」とアシスタントにくださったこともありました。ひとりでこれで遊んでたんだ、と不思議な気がしましたね(笑)。

――そんなF先生が亡くなったのは1996年、映画原作の大長編『のび太のねじ巻き都市冒険記』の連載中のことでした。

むぎわら その少し前からだんだん線が弱々しくなっていて、体調がよろしくないのかなあとは思っていました。それでもキャラクターのペン入れだけは必ず先生がされていたんです。ところが『ねじ巻き都市冒険記』の第1回で手が入っていたのは、冒頭のカラーページ4枚だけ。そのあとの原稿は下描きだけでした。ぼくらアシスタントは背景こそ描き慣れていますけど、ドラえもんやのび太を描く練習なんてしないですから。すごく苦労したのを覚えています。

――その連載第1回の原稿について、F先生から要望が書きこまれたコピーが送られてきたそうですね。

むぎわら 普段は原稿を見ても何も言わないんです。「ありがとうございます」くらいで。ぼくらもその状況に慣れていたんですが、あの回だけはもっとこう直してほしいという思いがたっぷり書かれていて。実はこんなことを感じていたのか、と驚きました。

――ひょっとしてスタッフの皆さんに後を託す、という思いがあったのかもしれないですね。具体的にはどんな要望だったんでしょうか?

むぎわら 本当にいろいろです。のび太の部屋に食べかけのアイスのカップを置いてくれとか、読みかけのマンガや座布団を散らしてほしいとか。つまりのび太っていうのは本当にだらしない人間なんだと。それが一目みて分かる背景にしてほしいということだったんだと思います。そういう生活感を大切にされていました。

――そしてF先生は9月23日に亡くなります。ご自宅の机で意識がなくなる直前までペンを握っていたそうですね。

むぎわら 最後まで描かれていたのが、『ねじ巻き都市冒険記』の3回目の下絵ラフでした。亡くなるぎりぎりまでこれを描かれていたのか、と思うと……鳥肌が立ちましたよね。

――未完の『ねじ巻き都市冒険記』は藤子プロのスタッフが完成させることになります。全国のドラえもんファンが見守る中で、かなりのプレッシャーだったでしょうね。

むぎわら 先の展開がどうなるか、スタッフはほとんど聞いていなかったんですよ。幸い先生の机にアイデアノートが残っていたので、それをみんなで組み立てながらお話を作っていきました。ノートといっても「小便小僧で火事消す」とか、そういうアイデアがいくつもランダムに書かれているだけでしたし、先生自身のメモ書きだったので。内容を解読するだけでも一苦労でした。劇場版アニメの芝山努監督にも手伝っていただいてなんとかラストまで作りあげましたが、果たしてあれで正解だったのか、いまだに分かりません。

――単行本『ドラえもん物語』の帯には、「小さいころから憧れだった先生は本当にすごい人でした」とコメントを寄せておられますが、F先生のどこが一番「すごい」と思われますか?

むぎわら それはもうすべてにおいてです。あれだけたくさんの名作を残したこともそうですし、身近に感じられるキャラクターを生み出したこともすごい。とにかく「F先生ってこんなすごい人だったんだよ」と読者に伝えたくて、このマンガを描きました。最初は『コロコロ』40周年企画でF先生の偉人伝みたいなものを描いてほしいという話だったんですけど、昔のことはもっと詳しい方がいるので、ぼくが知っているF先生の姿をぼくなりの視点で描きました。

――『コロコロ』に前後編で掲載された時には、どんな反響がありましたか?

担当編集I氏 『コロコロ』読者の親御さんがツイッターに感動の声をアップしていました。「『コロコロ』で泣かされてしまった」「絶対単行本化してほしい」という意見が多かったですね。この内容が小学生に分かるかな、という不安もあったんですがきちんと伝わっていたようで、読者アンケートの反応も上々でした。

むぎわら きちんと子どもに分かるように描きたかったので、そう聞いて安心しました。アニメの『ドラえもん』は知っていても、どんな人が描いていたのか知らない子も今や多いと思うんです。こんなすごい人が描いていたんだよ、と今の子どもたちに知ってほしい。かつて『コロコロ』を読んでいた大人にも、同業者のマンガ家にもF先生のすごさを感じてもらえたら嬉しいです。

――F先生が亡くなって今年で21年になりますが、そのマンガ家魂はむぎわら先生にしっかり受け継がれているんですね。本日はどうもありがとうございました。

むぎわら 先生とお仕事できたのは19歳からの約8年間。もっともっと一緒にマンガが描きたかったですね。寡黙な方でしたがとても優しくて、まわりのことをちゃんと見ている人。F先生とお話ししていると、自分をすべて見透かされているような気がして、下手なことは言えないなという気がしたものです(笑)。それは21年経った今でもそう。どこかでF先生が見ている気がするので、ちゃんと仕事をしないとと思っています。

 単行本『ドラえもん物語 〜藤子・F・不二雄先生の背中〜』には、『コロコロコミック』掲載された内容に、20ページの描き下ろしを追加。絶筆となった『のび太のねじ巻き都市冒険記』の下絵ラフや、F先生の仕事場風景など貴重な資料も満載! 大人も子どもも、F先生のすごさにあらためて触れてみてください。

取材・文=朝宮運河 写真=山本哲也

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