何年か前、バイト先の飲食店の冷凍庫に入った若者が、その写真をSNSに投稿したことが問題になったことがある。当時は“バイトテロ”などと言われ、その飲食店はイメージが悪化して閉店した。すごい衝撃だったのだが、何がどうヤバいのかはうまく言葉にできなかった。

参考:窪田正孝『僕たちがやりました』、なぜ熱狂的ファンを獲得?

 こういう馬鹿は昔からいた。インターネットを介して世界中に映像が拡散されてしまうかどうかの違いだけだ。と言う人もたくさんいた。

 しかし、現在のYouTubeやSNSをきっかけに起こる数々の騒動を見ていると、あの冷凍庫の出来事が、何かの始まりだったことは、間違いないだろう。

 同時に考えたのは、ああいう事件を起こす若者の内面を自分は理解できるのだろうかということだ。例えば、ああいう若者の青春を描くテレビドラマは今後作ることは可能なのか?

 彼らの気持ちが全く理解できなかった自分は、おそらくそれは無理だろうと思った。しかし、現在放送されている『僕たちがやりました』(フジテレビ系)を見ていると、あの時にノリで冷凍庫に入った姿をネットに投稿した若者たちの青春を物語として描こうとしているのではないかと感じた。だから、見ていて不快なのだが目を逸らすことができない。

 週刊ヤングマガジン(講談社)に掲載された青春漫画(原作:金城宗幸、作画:荒木光)を原作とする本作は、トビオ(窪田正孝)、伊佐美(間宮祥太朗)、マル(葉山奨之)の高校生三人とパイセン(今野浩喜)と呼ばれる20歳の先輩の物語だ。

 矢波高校の不良にマルがリンチされたことに対する復讐のために、トビオたちは夜中に矢波高校に忍びこみ、プラスチック爆弾をしかける。

 爆弾は窓ガラスが割れる程度のもので、軽い脅しのつもりだったが、爆弾のひとつがプロパンガスの近くに設置されていたために、11人の死者と負傷者が出る大事故となる。

 警察からの追跡を逃れるためにパイセンから渡された300万円を持ってトビオたちは逃げようとする。パイセンは逮捕され、トビオは仲間から金を奪われ、矢波高の不良たちから報復に合い、絶対絶命の危機となる。

 しかし、パイセンと良く似た別の男が警察に出頭してきたことから、パイセンは釈放され、4人は爆発事故と無関係だということになる。喜ぶトビオたち、しかしそれはパイセンの父親のヤクザがおこなった隠ぺい工作だった。

 ここまでが現在(第6話まで)の流れだが、トビオたちの行動は行き当たりばったりで思慮が浅く、見ていて嫌な気持ちになる。それこそ冷蔵庫に入った画像を投稿した若者たちの姿を延々と見せられているかのようだ。

 どん底の逃亡生活を体験したことで、今までいい加減だった自分の日常を顧みて内省的になって精神的に成長してもおかしくないのだが、自分たちが殺してしまった死者に対する罪悪感こそあるものの、精神的な成長や変化はほとんど見られない。

 今のテレビドラマにおいて大事なことは視聴者が共感できる愛すべきキャラクターを作ることだ。そして、キャラクター同士が戯れながら対立することなく楽しい日常が続いていく、優しい世界を描いたものがヒットしている。

 対する本作は、ものの見事に真逆のことをやっている。

 制作は『嘘の戦争』や『CRISIS公安機動捜査隊特捜班』(とものフジテレビ系)といったドラマを制作し、ノリのノッているカンテレ(関西テレビ)。漫画版と較べるとおとなしくなっているものの、地上波ではかなり踏み込んで、エロとバイオレンスを描いている。これはカンテレだからこそ実現できたものだろう。

 水川あさみが演じる女教師の存在など、オリジナル要素はあるものの、徳永友一は原作に忠実に脚本化している。

 その結果、かなり不快な作品になっているのだが、この不快さは作り手が見せようと思って見せている「作品の核」だと言うことは忘れてはならない。

 『カルチャーブロスVol.6』(東京ニュース通信社)に掲載された「金城宗幸×荒木光インタビュー」によると原作者の金城は作画の荒木の絵を見て、『ヒミズ』や『シガテラ』を手掛けた古谷実の漫画を目指せると思ったと語っている。現在、古谷実の漫画をドラマ化した『わにとかげぎす』(TBS系)が放送されているので、比較しながら見ているのだが、古谷実の漫画にある、内省的な文学性が、『僕たちがやりました』には存在せず、面白い芸人のやりとりを延々と見せられているような薄っぺらさがある。

 本作が『わにとかげぎす』と較べて劣っていると言っているのではない。むしろ、この徹底した薄っぺらさに、人間の本質のようなものが見え隠れするのが本作の面白さだと思うのだ。多分ここから目を逸らしてしまうと、冷凍庫に入った写真をネットにアップした若者の気持ちを理解することは永遠にできない。

 物語は今後、クライマックスへと向かっていく。トビオたちは今後、反省して罪を償うといったわかりやすい地点に着地するのか、それとも、最後まで軽薄なノリで突き進むのか? しかと見届けたい。(成馬零一)