五反田のスナックホテル

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●スナックホテル

 最近はスナックブームらしい。私はあまり行ったことがないが、ネットでいろいろ調べると五反田のビジネスホテルに、地下1階から地上2階までがすべてスナックや小料理屋で、地上3階から上がホテルという変わったものがあると知り、行ってみた。

 五反田といえば、新宿、渋谷、池袋という3大ターミナルに次ぐ規模の繁華街のひとつであり、山手線沿線では大塚、鶯谷と並ぶ歓楽街である。熟女パブやらなにやら各種の性風俗が揃っているらしい。
 
 そのスナックホテルに行ってみると、三角形の土地に三角形のホテルが建ち、3階までが吹き抜けで、その吹き抜けを囲むようにスナックなどがびっしり並んでいる。なるほどこれは壮観である。

 ためしに一軒のスナックに入った。年齢不詳のグラマーな女性がママ。最新のカラオケ設備を備え、歌うと点数が出る。歌を競って、ママより点数がよければ一杯おごってもらえるが、負けるとママにおごる。ところがママがうまいので、なかなか勝つことができない。熱くなりすぎると数千円が飛んでいく、という仕組み。

 2軒目は、小料理屋。できたばかりらしいが、女将は着物に割烹着で、料理も評判がいいそうなので、入ってみた。確かに料理はよさそうだ。日本酒を頼むと芸があるよと言われたので頼んだ。すると女将さんが、「ああーん、あふれちゃう、もっともっと!」といいながら一升瓶から酒をついでくれた。さすが五反田だ。

 アニメ声だったので、前の仕事はアニメ関係かと聞くと、熟女パブだという。さすが! 料理が得意で料理教室を開いていたが、晴れて自分の店を持ったのだそうだ。

●五反田の歓楽街化の歴史

 ビジネスホテルの下がこういう状態だとは、なるほど五反田だ。でも、五反田はいつからこういう歓楽街になったのか。

 昭和4年(1929年)に刊行された松川二郎の『全国花街めぐり』によれば、当時の五反田は荒川区尾久と並んで最も急激な発展をした新しい花街だったそうだ。尾久と同様、鉱泉が発見されて温泉旅館ができ、そこに女性がはべるようになり、次第に花街となる。

 二業地(料亭、置屋)として認定されたのは大正10年(1921年)。東京市内各地から続々と芸者が集まってきたという。大正12年に関東大震災があり、東京の東側の下町は壊滅した。すると西側の五反田がさらに膨張し、大正14年に三業地(料亭、置屋プラス待合)として認定された。花街としては品川と渋谷の中間にあったことを地の利として生かした面もあった。芸者屋58軒、芸者220人、料理店25軒、待合45軒が栄えた。情緒はいまひとつだが、「郊外においては屈指の花街」と評価された。

 主な料亭には松泉閣(しょうせんかく)があり、これはかなり大きなもので、大正14年(1925年)に創業した。五反田駅の東口の南側、目黒川沿いにあった。「郊外の箱根山」と自称し、庭園が広く、庭石の配置も素晴らしく、演芸舞台の設備も良かったらしい。この松泉閣と西郊(西側の郊外)の双璧だと評されたのが、川崎の丸子橋にあった丸子園だったというから、今からはなかなか様子が想像できない。

 昭和初期につくられた「日本商工地図」を見ると、松泉閣のほかにも、駅西口には浜茶屋、多ち花といった料亭らしい店名が見える。

●ラブホテル街の昔は

 また敗戦後の1951年の「火災保険特殊地図」を見ると、ぐっと店の数が増えている。西口の北側には、待合として「月の瀬」「大須賀」「富士松」「新高」「喜文」「栄家」「五十鈴」「竹の家」、旅館として「椎名」「緑の荘」「梅ヶ枝」、料亭として「ぎおん」「浜町」などの名前を確認できる。すごい繁栄ぶりだ。

 また、戦後すぐには、池袋、目白、新宿、渋谷に次いで五反田には1946年6月に、木造の建物がずらっと並ぶ「連鎖市場」と呼ばれる細長いマーケット(闇市)ができた。池上線の北側の道路沿いがマーケットだったようで、駅近くだけでも、小さな店、肉屋、八百屋、ベーカリー、食堂、パチンコ屋、ラジオ屋、カメラ屋、タバコ屋、荒物屋、お茶屋、洋服屋、靴屋、喫茶店などが路地裏までぎっしりと並んでいるのがわかる。

 また、スナックホテルのある池上線の南側には「大崎橋市場」があり、その横に小さな飲み屋がひしめいている。なるほど、ここにホテルを造ったときに、もともと商売をしていた店やそこから続く店を中に入れたのだろう。

●日本一豪華なボウリング場が消えたあと

 山手線を挟んで、現在のスナックホテルの反対側が、先ほどの松泉閣のあったあたりだが、今はタワーマンション街である。そういえば空襲でなくなった松泉閣の跡地に、昭和40年(1965年)に「世界一」と呼ばれた大規模で豪華なボーリング場、五反田ボウリングセンターができたことがある。「実業界の惑星」といわれ、政商としても有名だった実業家、吹原弘宣が率いる吹原産業が建設したものだ。「これがボウリング場かとため息の出る豪華なもので」、内装は「外国から取り寄せた大理石をふんだんに使っており、雰囲気を一段と格調の高いものに」している。「この品のよいセンターにくると気分が豊かになってストレスも解消される」と当時の雑誌は書いている。

 4階は会員制の贅沢なサロンのようなものがあり、3階には「レストラン ケルン」があったというが、これがなくなった松泉閣が経営するレストランだ。今は、虎ノ門の洋食の老舗「レストラン ケルン」となっている(『昭和「娯楽の殿堂」の時代』参照)。

 五反田にもなかなかおもしろい歴史があるのだ。
(文=三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表)

【参考文献】
松川二郎『全國花街めぐり』復刻版 上巻 カストリ出版 2016年
松平誠『ヤミ市 幻のガイドブック』ちくま新書 1995年
『昭和前期日本商工地図集成第1期』柏書房
「火災保険特殊地図 品川区(10) 五反田方面(1)」復刻版 都市整図社
三浦展『昭和「娯楽の殿堂」の時代』柏書房 2015年