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共産党との共闘路線はどうなるのか?

 間もなく民進党の新しい代表が選出される。報道によれば前原誠司氏がリードしているようだ。この代表選挙で最も注目を集めているのが野党共闘路線、なかでも共産党との共闘路線がどうなるかである。

 枝野幸男氏は、共闘路線の維持を明確にしている。他方、前原氏は「政策、理念が違う共産党との共闘はおかしい」と述べ、「見直し」を表明している。

 ただ前原氏が代表になったとしても、直ちに共産党との共闘路線が取りやめになると決まっているわけではない。「見直し」たが元通り、ということもあり得る。だから「打ち切る」とは言わずに、「見直し」としか言わないのだ。

 しかも前原氏の推薦人には、小沢氏側近と言われる松木謙公氏や小宮山泰子氏も名を連ねている。小沢氏は、今年1月の共産党大会に出席して大歓迎を受けたように、野党共闘路線を維持・発展させる上で、今や共産党が最も頼りにしている政治家である。

 民進党内には、共産党との共闘に強い異論を申し立てる議員も少なくない。同時に、昨年の参院選挙の1人区で7人の民進党候補が当選を果たしている。共産党との共闘の成果であったことは疑いなく、共闘路線を取り止めることに最大限の抵抗をするだろう。

 また前原氏は、小池百合子東京都知事との連携ということも模索している。この行方も、野党の共闘関係に少なからず影響を与えることは間違いない。他方、枝野氏は、小池都知事らを「自民党の補完勢力」と位置づけている。

 簡単に民進党が分裂ということにはならないと思うが、今後の方向性によっては、さらなる離党者の続出という事態もありうる。どちらが代表になったとしても、党運営の舵取りが難しいものになることだけは、確実である。

「社公合意」で社会党に逃げられた共産党

 この動向に一番気を揉んでいるのは、共産党だろう。

 7月19日、日本共産党の創立95周年記念講演会が東京都内で行われた。そこには齢87歳の不破哲三氏が久方ぶりに現れ、「日本共産党の95年の歴史を語る」と題して、記念講演を行った。この講演は、3つの柱で構成されており、第1の柱が戦前の闘争、第2の柱が1960年代、70年代のソ連共産党や中国共産党との闘争、第3の柱が現在の闘いである。

 いずれも牽強付会を絵に描いたような自画自賛の内容でしかなく、取るに足らない内容である。ただこの講演記事を読んでみると、現在の野党共闘が共産党にとってどれほど大きいものであったかが改めてよく分かる。

 不破氏が講演で述べたように、1960年代、70年代には、社共統一による革新自治体が全国に誕生した。次は国政でも社共統一で政権を目指そうという機運が高まっていた。事実、社共の党首会談で3回にわたり、国政での革新統一戦線を目指す合意が行われ、共産党もこの成功に大きな期待を抱いていた。

 当時、宮本顕治氏が共産党のトップだったが、「70年代の遅くない時期に民主連合政府(共産党が与党の中心となった政権のこと)」をというスローガンを打ち出し、若かりし頃の私なども、真剣にそれを追求し、実現可能性を信じていたものだ。

 だが1980年1月10日に発表された社会党と公明党の政権合意、いわゆる「社公合意」(社会党、公明党が中心になって政権獲得を目指す方針)は、「日本共産党をこの政権協議の対象としない」ことを「基本原則」とすることが冒頭に明記されていた。

 この「社公合意」が契機となって、日本の政治では、あらゆる局面で「共産党を除く」ということが常態化していった。これは共産党にとっては、大きな誤算であった。

 この時まで、共産党が野党共闘をする相手は社会党だった。革新自治体も社会党との共闘があったからこそ、実現していた。「70年代の遅くない時期に民主連合政府」をという大方針も社会党との共闘が大前提になっていた。この大前提が崩れてしまったのである。

 共産党は、社会党を猛烈に批判したが、それで戻ってくるぐらいなら最初から逃げるはずもなく、無駄な抵抗に過ぎなかった。

 記念講演会で不破氏は、「党は、これに対して、80年2月の第15回党大会で、日本の民主的再生を願う団体と個人による『革新統一懇談会』(革新懇)の結成を提唱しました。これは、社会党が脱落した情勢のもとで、革新をめざす政治勢力と市民勢力との共闘という方針でした」「81年5月に全国革新懇が発足し、統一戦線運動の力強い推進力となったのであります」と述べている。

 だが「力強い推進力」などというのは、不破氏の作り話のたぐいである。現に、全国革新懇を作って30有余年、市民との共同も統一戦線運動の前進もまったくなかった。集まるメンバーは、金太郎飴のように、ほとんどが共産党員や共産党系のさまざまな団体に属している人々であった。もともと存在意義などないような組織というのが、実態である。

共闘の相手が「無党派層」から「市民と野党」へ

 まだまだ不破氏のご都合主義的な話は続く。

「この方針を決めた党大会には、ソ連との和解直後だったという背景もあって、30カ国という党史上最も多数の外国代表団が参加しました。それらの外国代表が無党派の勢力と共産党との共闘という方針に驚きの声をあげ・・・『社会民主主義の政党抜きで統一戦線が可能なのか』という疑問を次々にぶつけてきました。状況と方針を詳しく説明すると・・・『それにしても勇気が必要な方針ですね」との言葉を残して帰りました」

 口をあんぐりさせるしかない。要は、どの政党にも相手にされなくなったので、「無党派層との共闘」などという、できもしない方針を打ち出すしかなかったのだ。現に広範な無党派層との共同など、まったく実現しなかった。

 民主連合政府を樹立するという方針も、「70年代の遅くない時期」から、21世紀を迎えるに当たって、「21世紀の早い時期」に変更された。遅ければ50年後に実現という方針である。この方針を決めた人は、ほとんどが寿命を終えていることだろう。もはや方針とか目標などとは言えないものになっていたのだ。

 それでも不破氏はめげない。

「この提起は、“共産党と社会民主主義政党との共闘”、これが統一戦線の核心だという古い図式を乗り越えたものでした。そしてそこには、いま振り返ると、今日の『市民と野党との共闘』を予感させるものがあったのでした」と締めくくるのである。

「おいおい!」である。いつの間にか他の野党が入っているではないか。無党派層は、どこへ行ったのか。まさか、ついこの前まで自民党と同列において批判してきた民主党(民進党)や小沢氏との共闘まで予感していたとでも言うのだろうか。まるでフィクションの世界である。

野党共闘で一番得したのはどの党か

 不破氏がこんな気楽な話をできるのも、昨年の参院選で野党共闘が実現したからである。

 前述のように、かつて不破氏は「もう政党なんか相手にしない。広大な無党派層を相手にするのだ」という趣旨のことを語っていた。だが、もうそんな強がりを言う必要がなくなったのである。

 今年1月の党大会では、「日本共産党を除く」という「『壁』は過去のものとなり、日本共産党は、新しい対決構図の一方の極で、重要な役割を果たしている」「日本共産党の政治的躍進が、そして『戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府』の提唱をはじめ、私たちが節々でおこなった提案や行動が、野党と市民の共闘の発展への大きな貢献となったことは疑いありません」と豪語するまでになった。

 一番得をしたのは、間違いなく共産党である。

筆者:筆坂 秀世