“上鴨そば”って何?


“上鴨そば”。2016年6月29日にシングルとしてリリース、2017年8月23日のニューアルバム『がらくた』に収録された、桑田佳祐の曲「ヨシ子さん」の後半に出てくる単語である。“じょうかもそば”と読む。


曲中では、“フンガ フンガ 上鴨そば(Hey) フンガ フンガ 上鴨そば”と、歌うというよりかけ声っぽく叫ぶように放たれる。


曲のその箇所になると、ステージ後方のLEDに、湯気の立つそばの丼が映し出されたりもする(8月6日『ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2017』出演時の演出)。



桑田佳祐が数多開発してきた「日本語でポップスを作る時の手法」


で、「上鴨そば」って何? そもそも、そばに鴨肉が入った料理は普通“鴨そば”とは呼びませんよね。“鴨南蛮”ですよね。それの上なら“上鴨南蛮“”ですよね。「フンガ フンガ 上鴨南蛮」でも字数的には収まりますよね? それじゃダメなの?


ダメなのだ。“じょかもなんばん!”ではなく、“じょかもそぅばぁ!”でなければいけないのだ。というか、歌詞の文脈的に“上鴨”とか“そば”が必要だったのではなくて、ここのメロディにふさわしい響きを持つ言葉を探した結果、“上鴨そば”という、日本語としては何ら間違っていないけどそんな言い方する人はいない言葉に行き着いたのだ、と推測する。この曲のために“上鴨そば”という言葉を発明した、と言ってもいい。


メロディのために言葉を作る、あるいはないも同然になっていた言葉を掘り起こす、というこの方法は、桑田佳祐がこれまで数多開発してきた「日本語でポップスを作る時の手法」のひとつである。


例えば、1988年の1stソロアルバム『Keisuke Kuwata』収録の「路傍の家にて」。“はかなき世に願う チャンス到来 飽くなき民の糧 ぞんざいに/さもしい小屋の並ぶ天下往来 あの道かの地をも乱売“”というところで、当時この曲を聴いた僕は「?」となった。


「乱売に」って何? 時はバブル全盛の頃であって、土地転がしとか地上げとかが頻繁に行われていたので、意味的にはすぐ飲み込めたのだが、言葉として引っかかったのだった。「“乱売”なんて言葉あるの? 知らないよ俺」と。辞書を引いてみた。載っていた。要は、以前から存在はしているが、誰も使っていない言葉を、このメロディのために桑田は探し出してきた、ということだ。


桑田以前/桑田以降で日本のポップミュージックの流れが変わった


このように、本来英語で歌われるべき抑揚のメロディなので、日本語がなかなかはまらない、という時、そこだけ歌詞を英語にして逃げるのではなく、そこにハマりの悪い日本語を無理矢理乗っけて歌い方の工夫で切り抜けるのでもなく、そこに合う日本語を探してくる、あるいは新しく作るのが桑田佳祐である、という話だ。


かようにだ。桑田佳祐というソングライターは、日本でポップスを作っていくにあたって、あるいは日本のメジャーなシーンで音楽活動をしていくにおいて、いくつもの発明を行ってきた。


発明をするのが好きだったというよりも、発明をしないと活動していくことができなかったからだと思うが、それによって桑田以前/桑田以降で日本のポップミュージックの流れが変わった、という案件も多い。というか、そんな案件だらけだ、とすら言える。


“上鴨そば”“乱売”の件以外に……というか、作詞や作曲に限らず、活動全体まで含めて、どんな「桑田以前/桑田以降」にポップ史を分けた発明が存在したのか。


整理して、箇条書きにしてみた。すべての項目に「桑田佳祐がいなければ」が付くもの、としてお考えください。


01.テレビの歌番組にテロップが付かなかった


これはサザンオールスターズのデビューの頃に、世間で散々言われた「巻き舌で早口すぎて何歌ってんだかわからない」という件にまつわる都市伝説。桑田の歌い方だと歌詞がさっぱり聴き取れないので、画面に歌詞が出るようになった、というやつだ。


本当にそうだったのかどうかはわからないが(桑田以前から画面に歌詞が出る歌番組、あった気がするし)、とりあえず今、当時のサザンの音源を聴き直すと「え、これ聴き取れない? 普通じゃん」としか思えない。桑田の登場で「あ、ありなんだこういうの」と気がついた後続の音楽家たちがこぞってそのあとを追ったことで、これがスタンダードになった、そして聴く側の耳も「これくらい全然平気」というふうに進化した、ということだと思う。


02.渋谷系もAIR JAMブームもなかった


日本のミュージシャンが英語で歌うのが普通のことになったのは、90年代の渋谷系やHi-STANDARDなどのインディーズパンクブームからだが、その何年も前にそれをやっていたのが桑田佳祐だった、という件です。


桑田以前も全編英語の歌詞で歌った日本のミュージシャンはいなかったわけではないが、ゴールデンタイムの音楽番組に出るようなメジャーなフィールドで最初にそれをやったのは、ゴダイゴとKUWATA BANDだと言えると思う。なお、KUWATA BANDはアルバム『NIPPON NO ROCK BAND』まるごとすべて英詞で、しかも日本語を使ったシングル4曲はアルバムに一切入れないという徹底ぶりだった。


※記事初出時、02の項目に事実誤認があり、8月31日にその箇所を訂正しております。




03.氣志團もゴールデンボンバーも生まれなかった


これはちょっと言い方として盛りすぎな気もするが、「色物バンド」「おもしろバンド」の先駆けがサザンオールスターズだったのは事実だ。


デビューから「いとしのエリー」を出すまでのサザンは、完全に色物だった。タンクトップに半パンのジョギングウェア姿でブラジルのサンバチームと共に「勝手にシンドバッド」を賑々しく歌い、当時新発売された日清やきそばUFOのCMでは桑田がスーパーマンに扮し……まあ、そうみなされてもやむを得ないと思う。


当時『ザ・ベストテン』の常連のロックバンドは、ゴダイゴ、世良公則&ツイスト、サザンオールスターズの3つだったが、ゴダイゴとツイストは“カッコ良い”枠でサザンは“おもしろ”枠だった、世間の捉え方は。


まあ、そもそも「勝手にシンドバッド」という曲名自体が、当時『8時だヨ!全員集合』で志村けんがやっていたギャグ(沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンクレディーの「渚にシンドバッド」をごちゃまぜにかけて踊る)からそのままいただいてきたものだったわけだし。


それ以前の「笑いとバンド」というジャンルにおいては、クレージーキャッツやドリフターズのように「元はバンドだけどコントグループになって売れる」か、ドンキーカルテットなどのように「コントの手法としてバンドを使う」かのいずれかだったわけで、キャラは三の線でおもしろいけどちゃんと音楽をやる、という存在はサザン以降ではないかと思う。で、その流れが、初期爆風スランプ、初期米米CLUB等を経て、氣志團やゴールデンボンバーに繋がっている、というのは、そんなに的はずれな見方ではないと思う。



04.奥田民生もマキシマム ザ ホルモンもこうなっていなかった


これは、先に書いた“上鴨そば”“乱売”手法、つまり「普通に日本語なんだけど響きは英語」の先駆者が桑田であり、意識しているしてないは別にしても、それ以降に同じ手法をとっているのが、例えば奥田民生の『股旅』(1997年)収録の「リー!リー!リー!」という曲であり、マキシマム ザ ホルモンの一連の曲である、という話です。


たまたまここではその二者を例に出したが、その手法を取り入れて作詞作曲しているアーティストは、他にも数限りなく存在する。「みんなが桑田の真似をした」というよりも、桑田以降それが「あり」になって、その「ありになった状態」にみんなが自然になじんでいった結果が現在である、と言えると思う。



05.オーバーグラウンドで平気でアバンギャルドなことをやるのは不可能だった


この件に関しては、過去の作品を具体的に例に出して検証すると、いろいろと差し障りがありすぎるのでやめておきます。


要は、コンプライアンスとかBPOとかいろいろ本当にもう大変な今の時代だとまず間違いなくアウトであろう、ギリギリの表現を率先してやってきたのが、桑田佳祐であるという話です。


で、それ、昔だったから平気だったわけでは、必ずしもない。その時代においても桑田以前はアウトと見なされていたんだけど、桑田がガンガンやることによって「なんとなくセーフ」に傾いていった、そんな感じだった、当時ですら。


そのあたり、同じ時代にビートたけしがテレビのゴールデンタイムでやっていたことと近いとも言えます。例えば……って、だから、例に出せないんだってば。ここで言及することによって、その曲が今後放送されにくくなる、なんてこともあり得るし。


06.岡村靖幸よりも槇原敬之よりもtofubeatsよりも早かった


これもざっくり言いすぎですが、つまり、打ち込みで、テクノとかではなくポップスのアルバムで打ち込みベースで作られた最初の作品は、桑田佳祐の1stソロアルバム『Keisuke Kuwata』ではないか、という話です。



07.日本のスタジアムコンサートは今のようになっていなかった


「複数のテレビカメラがミュージシャンの姿をビジョンに映し、ミュージシャンはそのカメラを計算に入れてパフォーマンスする」「画面に歌詞が出る」「ダンサー大量に出てくる」「放水する」「特効バンバン爆発」などなどの、現在スタジアムクラスでコンサートを行うアーティストの定番となっている演出方法の多くは、サザンオールスターズもしくは桑田佳祐ソロが始めた、と言えるだろう。


特に「カメラを計算に入れてパフォーマンスする」部門における国内トップは、現在でも桑田である、とライブを観るたびに思う。後ろの方の席の人にも届くように、という気持ちから生まれ、長年磨き抜かれてきたパフォーマンスである。



08.ソロとバンドを並行して活動、その両方でヒット曲を生み、スタジアム規模のコンサートを続けるアーティストはいなかった


……と書いてみたが、これに関しては「桑田以降そう変わった」とは言いづらいことに気がついた。いないからだ、桑田以降も。バンドのあとにソロになってソロでも成功した、という人や、ソロのあとにまたバンドに戻って成功した人はいても、その両方を並行でやっている人……と考えると、桑田以外には奥田民生くらいしか思いつかない。いたら教えてください。



09.「わざわざフェスに出る超大物」がここまで増えなかった


1997年に『フジロックフェスティバル』が始まって以降、日本の夏にロックフェスがすっかり根付いて久しいが、その黎明期は、いわゆるスタジアムクラスのベテラン大物アーティストは、フェスへの出演にあまり積極的ではない傾向があった。


普段フェスよりも大きな会場で、フェスよりも多くのお客を集めてワンマンをやっているのに、なんでそれよりも規模の小さいイベントに出て行くの?  しかも、ファンでもなんでもない人がいっぱいいるところに。と考えれば、当時、アーティスト本人やスタッフがフェスに積極的になれなかったのもわかるのだが、その壁をいち早く打ち破ったのが桑田佳祐だった(2002年8月『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』に出演)。


今みたいにみんな普通に出るようになること、2000年代初頭頃は、考えられませんでした。


10.「ミクスチャー」の概念がここまで一般化しなかった


世で言うところのいわゆるミクスチャー・ロックは、90年代以降の、ロックとロック以外(ヒップホップとかレゲエとか)を混ぜる音楽スタイルのことを指すが、もっと早い時代から、ロック、ポップス、ジャズ、昭和歌謡、ブルース、ヒップホップやレゲエやテクノなども含めて「ミクスチャー」実現してきたのが桑田佳祐の音楽だった。


例えば、レゲエ、今ではいろんな人がいろんな形で取り入れているが、最初にメジャーなシーンでそれをやったのはサザンオールスターズの「JAPANEGGAE」だと思う。アルバム『人気者で行こう』に収録、1984年リリース。33年前。どうでしょう。めちゃめちゃ早いでしょう、どう考えても。


というように音楽ジャンルを超えていく広さは、ニューアルバム『がらくた』にも表れている。というか、そのような音楽性の雑多な感じも含めて『がらくた』というタイトルを付けたのではないかと思う。


ブルージーなロックンロールの「過ぎ去りし日々(ゴーイング・ダウン)」、アメリカの古きよきミュージカルに影響を受けた戦後の昭和歌謡のような美しさの「若い広場」、打ち込みでオペラを作ったような不思議な曲調の「大河の一滴」……って、15曲目の「春まだ遠く」まで行っちゃいそうなのでこのへんでやめるが、そのようなバラエティに富んだ豊かさも、『がらくた』の大きな魅力になっている。



懐の大きさもあるのが、桑田佳祐の音楽


以上、最新アルバム『がらくた』を聴きながら挙げてみたら10項目になりました。ただ、本当は、もっともっとあると思います。


それからもうひとつ。完全に余談ですが、個人的にどこかで書きたいと思っていた件。これも「ヨシ子さん」の歌詞のことです。最初にこの曲を聴いた時、“エロ本(エロ本) エロ本(エロ本) エロ本”のところで「えっ?」ってなりませんでした?


桑田、ここを“エロボン エロボン エロボン”と歌うのだ。「エロホン」じゃない? 普通は。なんで“エロボン”なの?


まずここ、その前の“チキドン(チキドン) チキドン(チキドン) チキドン”に呼応しているわけで、そこと韻を踏んでいないといけない。言葉の意味としては、まあ、歌詞全体の雰囲気にさえ合っていれば、なんでもいい。


つまりだ。桑田は最初、ここの歌詞、“ビニ本”と書いたのだ。“チキドン”と“ビニボン”。完璧に韻を踏んでいる。これだ! ってなったが、ただ、いくらなんでも、2017年の今“ビニ本”という言葉は、あまりにも汎用性が低いんじゃないかと。あの、80年代に神保町や歌舞伎町なんかの怪しい本屋で売っていた、ビニールにくるまれていて立ち読みできないようになっている、当たりハズレを確かめるには買うしかないいかがわしい本のことだと知っている人は、きわめて限られるでしょうと。


なので、“エロ本”に変えたのだが、“エロホン”だと“チキドン”との韻の踏み方が弱くなってしまう。せめて“チキドン”の“ドン”とは韻を踏んでおきたい。というわけで、「エロボン」になったのでした。


かどうか、実際のところはまったく知らないし知る予定もないが、そんなことを考えながらの聴き方も許容してくれる、そんな懐の大きさもあるのが、桑田佳祐の音楽だったりもします。


TEXT BY 兵庫慎司