「目指す先はACL、インドネシアに渡った加藤友介が語る半生と未来」

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先日、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督は、W杯アジア最終予選に向けて日本代表メンバーを発表した。

今回招集された27名のうち、国外でプレーする選手は17名。

ハリルホジッチは度々「国内軽視論」を否定しているが、慣例通り、「海外組」が多数派を占める構成となった格好である。

その後の流れは、こちらも定番。サッカーファンによる、特定の選手に対する「待望論」と「不要論」のせめぎ合いだ。

だが、ここで忘れてならないのは、「メンバー発表時に注目を集める選手だけが海外組ではない」ということ。

日本を代表するスタープレーヤーのように、メディアで大きく取上げられるケースこそ少ないが、自ら強い信念を持ち、世界を相手に戦うプレーヤーが無数に存在していることだ。

そして今回、その中から一人の男を紹介しようと思う。

新たな挑戦を決断した、加藤友介だ。

高校卒業後に単身でアルゼンチンのウラカンに加入すると、高原直泰以来となる「アルゼンチン1部リーグでプレーした日本人選手」として話題に。その後は、日本、インド、タイ、香港、そして、インドネシアへ…。

「国外で戦い続けることの厳しさと魅力」を最前線で体感してきた、男の"想い”をインタビュー形式でお送りする。

カレン(以下、――):まずは、グレシック・ユナイテッドへの移籍おめでとうございます。そして、今日はよろしくお願いします。

加藤友介(以下、省略):ありがとうございます!こちらこそよろしくお願いします!

――加藤選手ご自身のキャリアについては、これまで様々なところで紹介されていますが、改めて高校卒業後にアルゼンチンへ渡った経緯を振り返って頂けますか?

14歳の時にアルゼンチンへ2ヶ月間の短期留学をしたんですが、その時にボンボネーラ(ボカのホームスタジアム)で試合を見て、「アルゼンチンでプレーしたい」という思いが芽生えたんです。

そして、そこから高校卒業後にアルゼンチンへ渡り、ウラカンのU-18チームに入団しました。アルゼンチンは21歳までユースの選手として登録できますが、逆に言えば、「それまでにプロになれないとクビ」という状況でした。

――その厳しい環境の中での「トップチーム昇格」だったわけですね。

はい。20歳の時に、ユースの紅白戦に1軍コーチがたまたま見にきていて、で、たまたまハットトリック。

次の日には、1軍とユースの紅白戦でアシストをして、当時の監督であるトゥルコ(アントニオ・モハメド)に「明日から1軍の練習に来い」と。

さらに、その週にはベンチ入りすることになり、次の週には2部リーグデビューという流れで、本当にトントン拍子で進みましたね。

――デビュー後もコンスタントに出場機会を掴んだようですね。

ほぼ毎試合「途中交代で使われる」という扱いとなりました。さらにチームも1部昇格を達成。次のシーズンにはプロ契約を結びました。

結局、1部リーグでは3試合しか出場できませんでしたが、本当に良い経験になったと思っています。

――その後、一度日本に戻ったようですが。

1年ほど給与が未払いになったんです。さらに、家族の問題も重なり、日本への帰国を決めました。

ただ、そこからは、左の膝蓋腱炎がずっと治らずで、ほぼリハビリでしたね。結局、治るまでに8ヶ月ほど掛かりました。

その後、ようやく治って、「これからどうしたらいいか…」という時、知り合いの紹介で奈良クラブに練習参加させてもらいました。

で、それからの展開は、これも“たまたま”が重なりました。

練習試合の対戦相手だった、MIO(現、MIOびわこ滋賀)が1人足りない状況になり、僕が急遽MIO側の選手として参加したんです。そうしたら、監督に気に入ってもらえて…そのままMIOに加入です。

――実力はもちろんのこと、タイミングだったり縁の重要性も感じさせてくれる話です。

そうですね。ただ、当時のことを振り返ると、「目標を失ってブレていたな…」という感覚もあります。

実は、MIOに入る前にエージェントを通してルーマニアにもチャレンジしていたんですよ。ですが、契約には至らず…。その後に帰国して、MIOに加入という流れだったので、「海外でやりたい」という思いを抱えた中での選択でしたね。

――そして、その気持ちが、また海外挑戦に繋がるわけですね。

はい。後は、怪我も一つのきっかけになりました。

MIOに加入後のプレシーズンで相手選手に削られて、その怪我の影響でグロインペインになってしまい、ほぼ1シーズン試合に出られなかったんです。

その時、自分の中で湧いたのが「仕事をしながらのサッカーでは怪我もしっかり治せないし、やっぱり、サッカーのみの生活がしたい」という気持ちでした。そして、「それなら海外しかない」と。

それから、当時の代理人がインドのトライアルの話を持ってきてくれたんですが、ほぼ迷わずに行くことを決めましたね。

――インドのデンポSCに加入し、4試合で1得点。その後はタイリーグへと身を移し、複数のクラブでプレーしました。結果的に、最も長く在籍したリーグとなりましたが、タイでのキャリアはどうでしたか?

「充実していた時期もあったけど、厳しい時期もあった」という感じですかね。

ただ、自分を表現する場所を与えてくれて、さらに4年半も過ごせたタイという国には本当に感謝しています。

「キャリアだけで見ればどうか?」で言われると、正直、満足はしていませんが、自分で選んだ道ですし、それぞれのチームで得るものもありました。

――その後、香港リーグのサウス・チャイナ(後にクラブは下部リーグへの自主降格を宣言)を経て、今夏からはインドネシアです。インドネシアのサッカーについてはどのような感想を持っていますか?

インドネシアのサッカーは本当に面白いなと思います。レベルも高いし、何よりファンの数が圧倒的です。3、4万人規模を収容するスタジアムが満員になるんですから。あの環境でプレーできることは選手冥利につきますよね。

やり方次第な面もあるとは思いますが、これからもさらに進化する国だと思います。

――さて、そのリーグでの戦いがいよいよ始まります。個人的な目標があれば、教えてください。

残り15試合、「5得点5アシスト」ですね。

後は、かなり厳しい状況ですが、チームの「1部残留」も目標にしています。

――もう少し話を広げて、一人のサッカー選手としての今後のビジョンはどうでしょう?

サッカー面でのビジョンは「国際大会に出場すること」です。具体的に言えば、「ACL出場」が今の目標ですね。「その舞台で日本のチームと対戦できたら最高だな!」と。

引退後については、「サッカーに関わること」、「僕にしかできないこと」を進めて行きたいと思っています。

――最後に。夢を追いかけている、未来のプロサッカー選手たちにメッセージを。

「自分がどうしたいのか」、「何をしたいのか」、「どこでプレーして、どこまでたどり着きたいのか」を考えること。

そして、それをしっかり自分に落とし込むことが大事だと思っています。

「本当にそれがやりたいことなのか?」、「ワクワクする事なのか?」と自分に問いかけて、しっかりと答えを見つけて欲しいです!

さて、今回のインタビューはいかがだっただろうか。

彼らのように「国外でプレーし続ける選手たち」の言葉には、サッカー選手としてはもちろんのこと、一人の人間としての「重み」が溢れている。

これまで筆者は、幸せなことに様々な選手たちの言葉に触れてきたが、その「重み」はいずれも強烈な力を感じさせてくれるものばかりで、今回の加藤友介というサッカープレーヤーも例に漏れることはなかった。

そして、それは何も言葉だけではない。その「姿勢」も感銘を受けるものばかりだ。

「厳しい環境に身を置いて成長していく」

「プランが変わった時に軌道修正する」

「常に目標を掲げて立ち向かう」

という行動は、いずれも「言うは易く行うは難し」の典型である。古今東西、その重要性を説かれてきたが、「いざ、実践」となれば容易ではない。

しかし、戦い続ける者たちは、見事なまでに実践している。逆に言えば、それらは、戦い続けるために必要不可欠な要素なのだろう。

彼らの言動は、プロサッカー選手を目指す者だけではなく、既に挫折を味わった者の心にも響くはずだ。

取材・構成:カレン