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『少女A』『め組のひと』『涙のリクエスト』『2億4千万の瞳』…80年代、日本の音楽シーンを席巻したヒット曲の数々を手掛けた作詞家・売野雅勇。

昨年作詞活動35周年をむかえ、多くの人々の記憶に残る売野作品に再び注目が集まっている。なぜあの時代、売野の紡いだ言葉が若者たちの支持を得たのか?

8月27日(日)放送の『ザ・インタビュー 〜トップランナーの肖像〜』では、幼少期から青春時代まで、彼の作品を日常的に口ずさんでいたというインタビュアーの小島慶子がその理由を探っていく。

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◆作詞家だからこそ語れるエピソード

上智大学卒業後は広告代理店に就職し、広告などに文言を付けるコピーライターとして活躍。転機は30歳目前、キャッチーな言葉でさまざまな広告を彩っていた売野は、レコード会社のディレクターに「歌詞を書いてみないか?」と声を掛けられる。

1981年、ドゥーワップという歌唱スタイルと独自のスタイルを持ったシャネルズ(後のラッツ&スター)のアルバム曲に詞を提供し、作詞家デビュー。そこから売れっ子作詞家になるまでに、多くの時間はかからなかった。

その翌年には中森明菜の『少女A』が大ヒット。アイドルらしからぬタイトルと大人びた詞は反響を呼び、中森明菜を一躍トップスターに導いた。売野にとっても大きな転機となったこの楽曲について、作詞家だからこそ語れるエピソードを明かす。

 

◆チェッカーズとの交流秘話&名曲誕生秘話

そして、デビュー当時から深く関わったチェッカーズとの交流秘話も。大ヒット曲『涙のリクエスト』の誕生秘話、そして当時のメンバーたちの知られざる素顔とは?

さらにこの日の放送では、常識を裏切り、若者たちをとりこにしてきた作詞家の原点にも迫る。栃木県足利市で生まれ育った売野に影響を与えた人物や音楽とは、一体どのようなものだったのか?

また、CDが売れないといわれる現在の音楽シーンを売野が独自に分析! 何が今の歌には足りないのか? 売野の出した興味深い答えとは?