武子さん。彼女がこれまでで出会った年上の旅人は80歳の男性たった一人だった

写真拡大

 私の真横に座る久保木武子さん(78歳)は、世界地図に視線を落としたまま人差し指をあちこちに這わせ、訪れたそれぞれの町について語る。世界地図を眺める彼女の瞳は、ゲームに熱中する子供のようだ。

 私が話題を変えない限り、彼女は地図を眺めながらひたすら旅の思い出を語り続けるだろう。場所はバンコクのカオサンにあるゲストハウス『Long Luck』。グラスに注いだビールを飲み、朗らかな表情を崩さず旅のエピソードを話す武子さんは、78歳を迎えた今でも世界を旅する現役の旅人なのだ。

◆離婚後、福島県大熊町で営んだ下宿が大流行り

 1939年3月28日、福島県いわき市生まれ。20歳で結婚した武子さんはしばらく東京で暮らしていたが、1974年ごろ、原発景気で沸く福島県の大熊町へと引っ越した。

 40数年後、大熊町は未曾有の原発事故により景色が一変するのだが、この頃は福島第一原発4号機の製作が決まり街が沸いていた。純国産の原発は日立製作所が受注。関連する従業員が大熊町へやってくるようになる。

「大熊町へ越してから旦那とは30代で離婚したの。理由は博打。知らない間に数百万円も借金してたんです。離婚してからは大熊町で下宿を建てたんだけど、当時は景気が良かったから繁盛しました」

 日立製作所や関連企業の作業員が原発完成まで大熊町に出張していくる。宿が不足気味だったこともあり、武子さんが営む下宿は流行りに流行った。景気の良さから下宿をもう一軒建て、さらにはスナックまでオープンし、武子さんは昼も夜も働いたという。

「私、お酒が好きだからスナックで飲みすぎちゃうのよ。ひどい時は下宿の廊下で寝ちゃってた時もあってね(笑)。さすがにこれじゃ体がもたないから、スナックは2年ぐらいで手放しました」

 女手一つで下宿を営み、4人の娘を一人で育て、40歳を超えたころには孫を抱けるようになった。娘や孫たちと旅行へ行くこともできるようになったのだが、60歳を超えたころからとある転機が訪れた。

「娘や孫たちとたびたび旅行へ行ってたんだけど、孫が高校生になると『一緒に旅行に行くのは嫌だ』って言い始めて。仕方ないから一人で海外旅行へ行くことにしたんです」

 60歳を超えて海外一人旅を決意。彼女が選んだ旅先はベトナムだった。ベトナム語はもちろん、英語すら話せない武子さんにとって、ひとり旅は難しいように思えたが、市場のおばちゃんと意気投合したほど意思疎通ができたという。ベトナムで言語を超えたコミュニケーションを体感した武子さんは、一人でも海外旅行ができることを実感。

 このベトナム旅行をきっかけに、武子さんは世界中を一人で周る旅人になった。

◆ケニアで荷物を失いタンザニアで骨折を経験

 60歳から始まった海外一人旅、78歳の現在まで80ヶ国以上を訪れた。アフリカ大陸へも渡ったことがあり、エチオピア、ケニア、ウガンダなど23ヶ国を制覇している。

 ケニアでは、乗ったバイクタクシーのハンドルに荷物をぶら下げ目的地まで行ったところ、荷物のことをすっかり忘れて降車。気付いたときにはバイクは視界から消え、手荷物を一つ失うことになってしまった。

「警察に行ったんだけど私は英語が話せないでしょ。だから、ひったくりに遭ったことを筆談で伝えたんです。すると『50ドルよこせ』だって。頭にきちゃうわ」

 筆談といっても英語がわからないので、イラストで伝えたのだろう。理解できた警察もアッパレだが、80歳に近い女性から袖の下を要求するとは見上げたものである。

 中央アフリカ東部にあるタンザニアでは、路上で転倒してしまい片腕を強打した。宿のおばちゃんの助けで病院へ連れていってもらうと医師は骨折と診断。ギブスが必要になったため片腕は使えない。ふつうなら一旦日本に帰国し治療に専念するだろうが、武子さんは違った。